濃淡論の見せしめに怯える世界へようこそ
加藤文宏
濃淡論とは
ここで濃淡論と名付けたものは、紀藤正樹弁護士が提唱する、旧統一教会/現家庭連合をめぐる善悪判定基準だ。教団との関係性が濃ければ悪質で糾弾されなくてはならず、薄ければ不注意であるから許される基準と言い換えてもよいだろう。
もちろん特定の宗教団体または信者と政党や政治家が交流、交際してはならないとする法はないので、濃淡だけでなく悪質かどうかも紀藤独自の価値観に基づく意見にすぎない。
紀藤は2022年8月7日に岸田首相の「濃淡」を含む発言を引用。
8月25日に当人が「濃淡」を語った記事を紹介。
同日、濃淡論の基準として[うっかり型/祝電等][確信型/年会費を払う][悪意型/イベント参加や支援を受けたり便宜を図る]という説を、鈴木エイトが出演した番組を紹介しながら開陳した。
各党で議論してもらいたいとしているが、これもまた旧統一教会の現状を一切無視したうえで、紀藤が独自に教団は悪質性が高いから公的な基準をつくれと言っているだけだ。
ワイドショーが決めた善悪
旧統一教会および教団と接触があった政党や議員たちの善悪を、紀藤や鈴木や有田芳生らがワイドショーのトークの中で決めてきた。このことは月刊「正論」で論考済みである。
善悪を紀藤、鈴木、有田といった面々と、彼らが出演したワイドショーが裁定したと書いても、ぴんとこない人たちが多い。「統一教会は悪いに決まっているではないか。自民党はズブズブではないか」と言うのだ。紀藤が唐突に濃淡論を持ち出してきて、これを基準にしなければならないと語っても不自然に感じない人々である。
だが前述したように旧統一教会の現状は、2009年のコンプライアンス向上宣言以降、法令遵守の徹底がはかられてきた。また自民党を支持していたとしても、同党を牛耳り候補者を確実に当選させるほど信者数は多くない。これらの実態は伏せられたまま、宣言以前の1990年代までに日本社会に広がった教団の印象を、ワイドショーの常連出演者たちは拡大再生産した。また教団が自民党に何をさせたのかも明確にされなかった。
もちろん刑事事件も発生していない。
鈴木は旧統一教会の悪事を次々と報告したが、マスメディアは内容の正誤を検証しないまま伝えた。こうして鈴木発言が放置された結果、彼は教団関連団体から提訴されるに至った。
最大の見せしめ例
最大の見せしめは安倍晋三元首相だった。
鈴木は旧統一教会関連団体が開催した「THINK TANK2021希望前進大会」に安倍がビデオ出演して教団を讃え、5000万円の報酬が支払われたと語った。これに対して大会を主催したUPFは、報酬の支払を事実無根として鈴木を提訴した。
では、安倍晋三前首相基調講演とはどのような内容であったか全文をあきらかにしよう。(全文書き起こしは、MakeHeaven研究所氏のnote記事を採用し、説明部分を割愛した)
一目瞭然だが宗教の教義を称賛するものではなく、自由と民主主義の大切さを解く、通り一遍ですらある祝辞だ。
紀藤、鈴木による濃淡論の[うっかり型/祝電等][確信型/年会費を払う][悪意型/イベント参加や支援を受けたり便宜を図る]を採用するなら、[うっかり型]で濃淡の「淡」に分類される。
だが本章冒頭に記したように、鈴木は団体が報酬を支払い、安倍が受領したと語って、人々に[悪意型]と信じられたのである。「安倍は統一教会とズブズブ」とされ、貼られたレッテルは未だ剥がされていない。
安倍は最大の見せしめとして、亡骸が吊るされたのである。
筆者を干せと怪文書が回ったことを、「筋道のタテツケ通信」の月額制記事で紹介した。この怪文書でも、旧統一教会から便宜がはかられ、便宜に応えるため教団を擁護し、追及勢を批判しているとされた。もし紀藤や鈴木によってテレビ番組や雑誌記事等で[悪意型]と名指しされたら、どうなっていただろうか。
ある人が言った。
「本当か嘘かは関係ない。世の中から統一教会の一味と見られるのが怖かった。だから怪文書に書かれていたように行動して、言われたように怪文書を回してしまった」
怯えて口籠る人々
日本社会が「統一教会は悪いに決まっているではないか。自民党はズブズブではないか」と一色に染まった。迂闊なことを言えば関係性が「濃い」とされ、教団の代弁者などと言われかねない。この問題には触れないのがいちばんであり、何か言わざるを得ないときは「私は信者ではないが」「統一教会は大嫌いだが」と予防線を貼らざるを得なくなっている。
会社経営者は、「異業種が集まる社長会で、鈴木エイトがすごいという話になったとき、気づいたことがある。みんな言いたいことをぎりぎりのところで我慢していた。この結果、全員の発言が神様、エイト様になってしまった」と言った。
新興宗教だけでなく仏教や神道、キリスト教などの伝統宗教の関係者も立場が複雑になった。ことに解散請求の手続きがはじまると、藪をつついて蛇を出しかねないため、文化庁だけでなく紀藤らの顔色をうかがうような発言をする。
「統一教会は解散請求されるべきだ」などとまず言う。威勢のよい教団批判のあと、「こうなったのも教団のせいだが」などとしながら、「自分たちの宗教も、どこで揚げ足を取られるかわからない」等の不安が語られる。
もちろん教団批判で終わる者もいる。そこで「信者や信者の家族から、お布施、献金、奉納を返せと言われたらどうする」「どんな宗教も内部にトラブルを抱えているものではないのか」と問うと、顔色が変わる。彼らもわかっているのだ。宗教施設の建物から、彼らが身につけている衣体、カソック等の衣服までが献金で賄われている。高額の献金や奉納をして、家族に恨まれる信者がいる。
しかし、率直に「教団追及はおかしい。解散請求はおかしい。信教の自由や財産権が毀損されようとしている」と言えなくなった。
審判や裁判官のように善悪を裁定する紀藤らに、睨まれたらやっていけなくなるのはタレントも同じだ。太田光は旧統一教会信者を拉致監禁して棄教させる脱会手法を批判して、番組内ばかりか他のメディアでも吊し上げをくらった。
濃淡論の見せしめに怯える世界へようこそ!
さてどうしよう
この問題について、より詳細な事例と、できごとの構造を「筋道のタテツケ通信」で整理のうえ論考しようと思う。
「旧統一教会がつぶされようと信者が困ろうと関係ない。世の中がよい方向へ向かっている」などと、とぼけて知らん顔をしてはいられなくなっている。岸田文雄首相と文化庁ですら、恐れおののいて手離れだけ考えた結果が解散請求だ。
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