学問のすすめを読んでみよう 1.

諭吉が欲しい。じゃあ、諭吉の考え方を知ればいいのでは?
はい。そんなわけで学問のすゝめを読んでいきます。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

これほど有名で誤解されている言葉も多くはないですよね。
もしこれを聞いて、「さすがは諭吉。いいこと言うな」と思った人こそ、この本を読まないといけないのではないかと思います。

勉強をする理由は、親が言うからでも先生が言うからでもない。というかこの本を読んでいれば、子供に無理やり勉強させたりなんかしない。

5科目ができればいいわけでもない。社会で役に立つ方法を学ぶことが初めて「学問をする」と言える。なんだって経験として学び、それを生かせる人が最後には出世するような世界である。だから生まれは平等とは言うが、そのあとも同じであることは保障されない。


以下私の読んだ感じの訳。

人はみんな平等に生まれる。と言われている。であれば身分に上下もないし、ものは充足しているので衣食住は満たされるし、皆邪魔をしあうこともなく気楽にいきていけるだろう。

しかし人間の世界を見てみると天才もバカもいる、貧乏もいれば富豪もいる。偉い人もいればそうでない人もいる。まるで別物である。どうしてこんなに違うのかは明快である。「実語教」に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」と書かれている。(学ばないなら知識がつかないし、知識がなければ馬鹿者だという意味かな。)つまり賢い奴もバカもその違いは学ぶかどうかである。この世には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。難しい仕事をこなす人を偉い人といい、簡単な仕事をする人を身分のない人という。必死に物事を考えて、あれこれと考えないといけない仕事は大変で、手足を動かすだけの力仕事は簡単な仕事という。(今ならば力仕事をこなす人も必要な人だよね)だから医者や学者、政府の役人や社長、大地主は身分がある偉くて高貴な人というのだ。

身分がある偉くて高貴であればその家は自然とお金持ちになり、一般人から見ればとてもとても遠い存在だが、その大元を辿れば学問の力があるかどうかの差であって、天が決めたわけではない。「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」という諺(天は人にお金や偉さを与えるのではなく、その人の働きに与える)もあるが、生まれに貴賎・貧富の差なんてものはない。だが勉強して物事をよく知っている人は身分が高く、お金持ちになる。そうでない人は貧しくなっていく。

学問というのは、何も難しい字を知っていて、難解な古文を読め、和歌を嗜み詩作にふけるような、世間で役に立たない文学のことだけではない。文学も人の心を豊かにするものではあるが、昔から学者たちがいっているほど高貴で大事なものではない。昔の学者が立派な家庭を持つことも少なかったし、和歌を作ってばかりで商売が上手くいった商人も多くはない。だから常識ある人たちは子供が学問に熱中し始めると、いつか失敗するんじゃないかと心配していた。まあそうだろう。その学問と呼ばれていたことは何か遠くを探求していて、日常で役立つものではないのだから。

今やるべきことは、日常で役立つことを真っ先にやるべきだ。文字を習い、手紙の書き方をしり、Excelの使い方や電卓の使い方、重さの測り方といったことやその応用といったことは数多く存在する。地理を知れば日本どころか世界中の風土を知ることができる。理科はこの世に存在する全てのものの性質や力学を知る学問である。歴史は全ての国が昔からどのように変わってきたかを調べるものだ。経済学は一家から世間までの生活を伺うことができる。修身学とはマナーを身につけ、人と接する社交性を身につけるための方法を知るためのものである。

何かを書く練習ですので、サポートいただけると最高に喜びます。