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日記:8/11~19あたり

新型コロナウィルスの発症による隔離とお盆が連なった「魔の15連休」も明け、元の日常が戻ってきた。隔離については別記事を執筆している。

長い長い休みだった。体調の悪さのあまり自堕落ですら居られない日もあればただただ隔離中だから外に出ることができず激しい虚無感を感じた日もあり、はたまた解放された後は深夜に繰り出してコンビニの裏でカップヌードルを食べたりした。

自分のモットーの一つに「次の平日が憂鬱な時点でその休日は死んでいる(だから平日を豊かにする努力が必要だ)」というのがあり、それの実践の恩恵か休みが明けてもそんなに悪い感じはしていない。

サウナやエステなど癒しの施設は疲れていないといまいちだし、平日だからこそ仕事終わりのビールが美味い、とか


嫉妬を買いやすいので言及を避けていた話題を書く。
この二ヶ月はおそらく成人以来、異性と親しくしないほとんど初めての期間であった。

自分にとって異性関係というのは非常に根の深いカルマで、正直なところ異性の居ない人生は考えられないようなものだった。

そういう性格になったのもきっと原因があるのだろうが、根の深さのあまりなのか考えてもわからない。わかるのは、ただ異性との関係を求める気持ちの強さばかりで、長年そんな性格だから異性相手に話すことがとても得意になった。

もちろん、異性といいつつその考え方や貞操観念は人それぞれなので一概には言えないが、大抵は距離感を理解していくつかのコツを踏まえると仲良くなれるものだ。恋に大切なのは蛮勇というし、要は度胸なのだ。


そんなこんなで結果的に絶え間なく他人とかかわりを持ち続けていたが、ようやく切れ目の期間となっているのが今だ。

毎度他人の心に入り込もうとするのは疲れるし、無理に仲良くしていくのも疲れるしそもそも仲良くなる努力して消耗してまで他人との関わりを求めること自体ストレスなのではないか。そう思ったりしたのが理由だ。

自己観察をすると、自分は別に遊びたいわけではないのだろうなと思う。「遊びまくっている」ような人らを見てうらやましく感じないし、前述のようにストレスだからだ。

つまりなんというか心の支えみたいなのが欲しいというような感じがするのだ。それなら、より一層妥協せずじっくり相手を選ぶべきだし、普段の生活に不安感があってそう思わせてるのならそれを改善すべきだ。

おれは他人に依存せず自立して歩むために向き合うぜ、己(おのれ)のカルマと...

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