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日記:4月26日

昨晩は落ち込んでいたが今日は落ち込んでいない。元気いっぱいという感じではないが普通。60点ってところだ。

ネガティブな気持ちになる時は大抵栄養やら休養やらが足りていなかったり脳が疲労している時だと思うし、良く寝たらよくなった今回も脳疲労が原因として大きいところを占めていたのだろう。まあ時は落ち込むこともあるよね…


昨日の日記で書いた部署内の雰囲気の話だが、雰囲気が悪い中でもやっぱり特定の個人をちょっといじるみたいな習慣があるのが良くないなと思う。かといって自分はやめなよ!とかたしなめるようなことはしないが。
同調もしないが、やめさせるように行動をしないのは結局同調しているのと同じである。

同調して、流れに身を任せてその集団の中で立場を確立していくのは簡単である。でもそれで良いのか。その雰囲気がエスカレートしていったらその社会に待っているのは破滅ではないだろうか。

昔ネットで「社会の存続で最も大切なものは自浄作用である」という言葉を見かけた。社会の内部、例えば幹部の一人や首長に「悪い人」が発生した場合、それを第三者の力によらず排除する仕組みがあるか。
会社組織においては、労基や組合があるが、こういう小さい悪の火花に対してはあくまで個人の辞めなよ!という言葉が必要なのではないだろうか。


漫画BANGで無料連載している「あなたがしてくれなくても」という漫画を読んでいる。
面白いぜ。セックスレスに悩む二組の夫婦の話で、各個人の内面の描写リアルで解像度が高いのと起こるトラブルの「ありそう感」がつよくて読んでいて飽きない。

ちょっとした気持ちのズレが原因ですれ違いが起こって、レスになって、でも相手のことが必要だと感じる気持ちと外部に刺激的な恋愛を求めてしまう気持ち……といったようなささいな感情な変化は実際描こうとすると相当地味になりがちだったりオーバーになりすぎたりすると思うしとてもうまく描けていると思うし、だからこそ感情移入してしまう。

実際恋愛って難しいよね… どんな刺激的な相手でも何年も経ったら刺激を感じなくなるものだし、それでも刺激を感じたい気持ちは誰にでもあると思うし。

倫理的にどうかとは思うが、刺激を求める気持ちを正当化してあくまで合理的に考えてみるとするならメリハリを付けるために定期的にセックスを外注したりするという考え方もあるのではないかと思う。
それはモロ性交、とまでは行かなくても刺激を求めて今の関係を完全に断ってしまうことよりはお互いに生産的なのではないか。

まあそれを相手にされたら滅茶苦茶嫌ですが。

ところで、医学的にドーパミンの刺激はセロトニンやオキシトシンのそれに比べて、慣れてしまうという事実があるという。
つまり、恋愛でドーパミン的な「ドキドキとしたときめき」を感じるのは一定の期間(ピークが3ヶ月で3年程度)だけで、それ以降はどうしても感じられなくなるものだというのだ。
だから恋愛においてはときめきよりも一緒に居て安心できるような感情、そのホルモンであるオキシトシンを目的にしていくべきだという。

まとめると、恋愛をする中では相手には常に新鮮なドキドキを求めるのではなくて一緒に居て安心できる感情を求め、新鮮なドキドキはまあ…タレントとかに外注しましょう というのが継続可能な恋愛関係(SDRs)というものなのではないかという旨だ。


この漫画の中で、浮気をした後ろめたさから久しぶりに妻を抱いた男が行為の最中、絶頂できず苦しむ描写があったがめちゃくちゃ生々しくてびっくりした。そういう無理をしてるとEDになりそう。

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