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日記:2023/3/7 気息整わざる

こんにちは。
今日は体調が思わしくない。風邪気味だ。

3日前くらいに口蓋の奥の方にしこりができてて、気になるな~と思っていたら扁桃炎に発展した。扁桃炎だと思うが、扁桃腺の腫れよりも身体のだるさの方が気になる。

だるさはチョコラBBを飲むと一時的に緩和できるが、粗大ごみを出すためにちょこまか動いていたらバフ効果が一気に切れてしまった。帰りたい。


衛府の七忍を読み終わった。
全10巻中、6巻まで持っていたので残り4冊だったのだが、古本屋や書店をどれだけ巡っても見つからなかったので、なくなくamazonで割高で購入した。

面白かったぜ。今年読んだ漫画ランキングでトップと言ってよい。

衛府の七忍は、ネットでの評価は終わり方が投げやりすぎて残念、という話ばかりなのだが、実際のところはそんなことは無かった。

読んでいない人のためにあらすじを書いておくと、徳川の治世が始まったばかりの時代、天下統一に際して狩られる各地の被差別民族(まつろわぬ民)の中から「鬼」が現出し、それに対抗するため徳川方では桃太郎卿率いる「鬼哭隊」が結成され…というような感じである。基本的に主観視点になるのは鬼のメンバーで、時々鬼哭隊のメンバーで…群像劇である。

面白いのは、鬼となるのは、同作者の過去作品の主人公たちであること、その敵となる鬼哭隊のメンバーは宮本武蔵や沖田総司(タイムスリップしてきた)など歴史上の人物で…というところだ。彼らは立場上、幕府にあだなす者と幕府勢力で対立しており、つまるところ山口貴由vs史実みたいになっているのだ。主人公らは、当然過去作品での積み重ねがあるので、キャラクターとしての厚みや強さの説得力があるのだが、武蔵や総司も史実の裏付けがあるので、短い話ながら非常に重厚だ。


「終わり方が残念である」と言われる理由として、
劇中では、「まつろわぬ民」である鬼たちは、当然自身らの脅威である幕府に敵意を抱いており、鬼哭隊はそれを狩る立場であり、最終的に彼らの凄絶な殺し合いで終わるのだろう───となっていたのに、和解し、終了したことが挙げられるだろう。

ただ、仮に立場上敵対していても、殺し合うことの虚しさ──DESOLATIONは耐え難いことである、というのは過去作品「シグルイ」で散々やったはずだ。

彼らは覚悟が決まった超人だからこそ、躊躇なく闘うだろうし、相手を殺し、藤木のように心を喪うはずだ。
だから、絶対に闘うことがあってはならなかったわけで、シグルイを描いて相当堪えていた(エクゾスカル零の描写がそれを思わせる)山口先生は絶対に描かなかったはずだ。和解の伏線が無かったことは問題だが、それは最後の最後まで闘わせるかせざるか躊躇していた、山口先生の真摯さの証左なのだ。

だから家康がはらら(鬼の代表)と和解し、ツムグが最後に殺し合いを止めたのは最大のハッピーエンドだったのだ。

読むべし。

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