日記:10/5 外見の美しさというのは幻想/ ゲッターロボ(原作)を読んだ
昨日は、もうほとんど風邪を引いたかのような体調の悪さを感じていたが、持ち直したようだ。
つまり、かなり体調が良い。
昨晩はかなりはやく寝た。疲労の蓄積を自覚した瞬間に、ゆっくり休むのが大事だのだろうと思う。
ここに日記を書くようになって気づいたのだが、大抵体調が良い日は、前日にゆっくり休んだと書いてあり、休むのが大事なんだと改めて認識させられる。
私はもともと多動タイプで「ゆっくり休む」みたいなのが苦手なのだが、日記に「ゆっくり休んだので」と記載している時は、大抵ひきこもって絵を描いたりゲームしてるので、引きこもって無軌道に生活する、というのが自分にとって休憩してる度が高く再現性の高い行動なのだと考えられる。
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ガンダムSEEDの新作の情報が公開されつつあるようだ。
主人公が乗る機体のデザインが公開されていたが、正直、ストフリのマイナーチェンジ版といった雰囲気で、あんまり好感触では無い。
しかし、ロボットアニメにおけるロボデザインは実は割とどうでも良いというデータが、イデオンとゲッターロボにハマりまくった私自身によって証明されているので、まあフリーダムっぽさがあればなんでもええのだと思う。
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昨晩は疲労と低気圧で気分が落ち込みに落ち込んでいたので、風呂上がりにおもむろに自撮りを撮った。
現代の自撮りアプリ、ないし加工アプリの補正性能はすさまじく、有名なsnowとか、beauty camなどは、人物の加工という面だけでいえばAdobeのソフトを上回る利便性がある。
自撮りは角度とかで意外とコツが要るが、時間を掛けて加工をすれば誰でも美男美女になれる。自らが美しいと思えるのは、精神的に良い。とはいえ、まあ、目鼻の形状などはどうであっても本質的に無意味であるのだが。
ティーンの頃は、人並みに見た目にこだわっていた時期もあった。
しかし、何年も悩み、そのうち「何のためにこだわる必要があるのか?」と思うようになった。
性的に満たされた生活を送るためなのか?それとも配偶者を得て安定するためなのか?自己愛を高めるためなのか?
外見の美醜というのは、ひとの好みの問題もあるし、絶対的な指標が無い。
性的に満たされたければ、風俗に行けば良い。
配偶者を得たければ、相応の甲斐性を出せば良い。
自己愛は、見た目以外の部分で高めれば良い。
モテたい? モテて何になるというのだろうか…
小規模な配信者に毎日3000円ずつ投げ銭をすればすごいモテると思う。
SNSをみていると、私からすれば美形この上ない人が、なぜか見た目にコンプレックスを抱いている様子がたくさん見られる。某モデルもある日、インスタグラムのストーリーに、顔面が左右非対称であることが嫌で嫌でたまらないという投稿をしていた。
おのれの見た目の良さで飯を食い、フォロワーが何百万人いて、つまり何百万人にカワイイと認められている人間でさえ、悩むのだ。非対称でよくねえか?左右対称だと逆に不自然で怖い気もするが。まあ自分ではわかり難いことなのだろう。
有名な元女優が自殺したりするような事件も後を絶たない。「見た目の美しさ」というのは幻想であり、どれだけ他人に羨望されるような形状であっても、それだけで幸福になれるかと言えば、否であると言える。
むしろ、なまじ美しければ、もっと本質的な、教養であるとか詩情であるとかそういった部分を磨くことを怠ける原因ともなるし、嫉妬され、粘着され、ストーカーもされればセクハラをされる原因ともなる。
美しければ良い、ということは無いし、絶対的な美しさというものも幻想である。
ただ、髪や肌のつや、血色は良いに越したことはない、とも思う。
そうこう言いつつ、自撮りを撮ったのは、下賤な価値観の再確認と自らの身体性を確認するためなのであったが、観念的で長い話になるので割愛する。
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昨晩は、steamに販売されているインディーズのノベルゲームをプレイした。「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」というゲームだ。
ゲームの概要は、以下の記事に詳しいので省くが、簡潔で良いゲームだった。
精神疾患者の少女のイマジナリーフレンドとなって、彼女のおつかいを手伝う話なのだが、会話の選択肢が、常に露悪的な悪口と肯定的な励ましの二通りあるのが斬新で良かった。
まあ悪口を何回か言うと、普通に棄てられてゲームオーバーになるだけなのだが、通常、精神疾患者は理解しがたく、ウザいものだし、イマジナリーフレンドとして感情移入したとて、肯定ばかりするイマジナリーフレンドも居ないだろう。妙なリアリティを感じたのだった。
サクサク進めると、大体10分くらいで終わるのだが、インディーズゲームはこれくらいさっくりしていた方が良い。
インディーズゲームは、ゲーム性以上にコンセプト重視で製作できるのがAAタイトルに対する利点だと思うし、30分以内くらいにクリアできるようなボリュームが、コンセプトの強さで胸焼けしないラインであるとも思う。
私も、長年あたためているオリジナルゲームの設定があるのだが、いい加減そろそろ作りたいところだ。
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ゲッターロボの漫画を大体読み終わった。4シリーズくらいあって、最後の1シリーズは未完とされているので、まあまだ読まなくていいかなというところだが、ゲッターロボ、ゲッターロボG、ゲッターロボ號、真ゲッターロボまで読んだ。
個人的には、ゲッターロボ號までで完結していて、真ゲッターロボも面白かったが、これは正直にいって蛇足だと思う。
同著者の他作品につながるような、超々インフレの石川賢ユニバースに引き込むために、後付けで製作した感触が強く、超々インフレの世界観もそれはそれで面白いのだが、ゲッターロボ號の衝撃のクライマックスを貶めている形になってしまっていると思う。
ゲッターロボ號は、凄い作品だった。
中盤までは、まあ割と普通のロボット漫画という感じなのだが、4巻の中盤でいきなり空気感が変わり、想像の580度みたいな方向にぶっ飛んでいく。
映画のRRRが、部族の男が娘を探し、イギリス警察のインド人と仲良くなったと思ったら、インド独立運動まで物語がぶっとんで、これが「途中から想像の400度くらいの方向にぶっ飛びやがった…!」と思ったが、ゲッターロボ號はそういうレベルをはるかに超えている。さらに180度違う方向に行く。
ジョジョ7部の、終盤の面白くなっていく急勾配よりもずっと急に面白くなる。
で、真ゲッター登場後は、かなり観念的な話になり、どうにも仏教モチーフなので、宗教好きの人間としては丁寧に考察して、できれば記事にまとめたいところである。