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ファイトクラブを119回観たので、解説します

結論から書くと、ファイトクラブとは
「ナヨナヨした腰抜けが真の男になる映画」だ。

そして重要な前提として「そういう人間性的なテーマが理解できない人のために、タイラーが自身の人格だということを殊更に演出して、一定の興業的な盛り上がりを作っている」という点に注意が必要だ。

この2点がファイトクラブを読み解くための大切なキーである。
つまりタイラーが別人格であることは大した問題では無い。暗喩に満ちた映画であるから、それも実際その暗喩のひとつにすぎない。

以下に登場人物を整理する。解説なので当然ネタバレアリだ

・主人公

名前は特にない。名前が特にないのは、見ている自分自身が感情移入、自己投影しやすくするための演出上の工夫である。
仕事もあり、高級家具を揃えたり物質的に豊かであるが、その実、全然満たされておらずその結果睡眠不足に陥っている。
タイラーはそんな主人公を「欲しくもないものを、広告に煽られて欲しいと思わされ、ただ目的なく消費しているだけの資本主義的奴隷だ」と表現する。
真に満たされない理由は後述だが、簡単に言えば、軸が無くて地に足付いてないから、である。

・タイラー・ダーデン

主人公の別人格。
ここでは、「主人公の男性性」と定義する。
タイラーは男性性、ないし父性の権化だ。
タイラーの行動理念はすべて男性性的要素として説明できる。
例えば、暴力、恫喝、テロ(目的の無い破壊)活動は、すべて暴力的(男性性)要素だ。
またホモソーシャルを築いていたことも男性ならではの、つまり男子校体育会的なノリである。
そして後半しばしば見せていた自傷行為、自殺行為も行き過ぎた暴力性(男性性)的行為だ。つまり暴走族がバイクで崖に突っ込んで度胸試しをするような、柴千春がわが身を顧みらない自殺的な闘い方をするような、男性ならではの行動だ。

演出的にはタイラーが是とされているようにも見えるが、後半のメイヘム作戦や資本主義社会へのテロ行為は別に肯定されておらず、一貫して悪である。主人公自身にとってはかりそめの救済であったが、暴走する男性性に対して、最期には対峙を迫られる。

また、タイラーは公共のサービスであるとか、商品を全然信用しておらず、ただ気の向くままに嫌がらせしたり、セックスしたり、破壊活動をしたりしている。タイラーは本能のまま行動しているため、タイラー自身からすると満たされていると感じている。しかし、本質的には、それは否である。

・マーラ・シンガー

劇中はっきりと描写されては居ないが、ナレーションのセリフ「腫瘍のような女、マーラ・シンガー」が示すように、彼女も主人公の人格の一つである。
マーラ・シンガーは、タイラーに対して「主人公の女々しい部分」と定義したい。
マーラ・シンガーの行動理念はすべて女性的要素として説明できる。
グループセラピーで他人のことを憐憫して、つまり下を見ることで安心を得ていたり寂しくなったら自傷行為をして他人の注意を引いてみたり、押しには弱かったりすべて女性的行動であるように思える。

冒頭の主人公は、自分の中に眠る男としての素養に気付いておらず、あくまで人間らしい女性的な(悪い言い方をすると女々しい)部分に対しては嫌悪しており、つまり地に足のついていない、虚無的人間なのであり、父性も母性も兼ね備えていない未熟な子供なのである。
虚無的人間であるから特に嬉しいことも悲しいこともなくなんとなく生きているという状況になっており、満足感と縁のない生活を送っているという訳だ。

・ファイトクラブ、ファイトクラブのメンバー

ファイトクラブは、地域の治安の向上によって暴力(もとい動物的本能)から縁遠くなってしまった社会に対して生まれた、”動物的本能を取り戻す会”である。
上記の主人公のように牙を抜かれた虚無的人間に対して、あくまでスポーツ的な喧嘩を通して男性性的な充実感を得る会合だ。

男性性的な充実感を得るための活動なので、メイヘム作戦発動後はテロリスト集団となるが、破壊工作という暴力(男性性的要素)を得ているので本人らは別に不満を抱かない。

彼らのノリは常に体育会系である。結局のところテロリスト集団なので、まあ邪悪である。
最終的には街中を爆破していたので、やはりこの作品では、男性性の行きつく先は自殺行為であると示してるのだと考えられる。


■次に、主人公が辿ったプロセスについて順を追って確認したい。

・満たされないことから不眠、グループセラピーに参加して眠る

死にかけの人が集まるグループセラピーに参加することで、否が応でも自らの生を実感する主人公。下を見て安心するという行為は、直後にマーラが登場することをみても「女性的」なものである。

マーラと出会うことで(つまりこれは元気な自分が参加している後ろめたさから、自身の女々しさを自覚したことを示唆している。)会合に参加することに違和感を覚えるようになり、参加の頻度が減る。(マーラと曜日分けをしていたが、実質週半分のみの参加に減らしたということだろう。)

・タイラーとの出会い、自宅爆発

女々しい部分にうんざりしたので、今度は無意識に自らの内面の男性性に目が向く。
タイラーは物質至上である社会、広告による人々の意識への汚染、所有をすべて捨て去ることで本当に大切なことがわかる(意訳)旨を説く。
客観的に観ると、この理論から主人公は自宅を爆破し、廃墟に移住する。

また、地下でファイトクラブを設立する。

・マーラから再度接触。

男性性に順応したことで再度女々しい部分の自覚が生じる。
タイラーがマーラをファックする。最終的にタイラーと対決するという物語の構造上、マーラは一応第三者として描かれている。

・タイラー、またファイトクラブの過激化

タイラーが増長し、やり取りの末、主人公の手を焼く。タイラー自身の手にも同じやけどがあり、これも自傷行為である。
ファイトクラブはテロ行為を行うようになる。

・タイラーと主人公の関係悪化

主人公はホモソーシャルとしてのノリでタイラーが好きだったが、タイラーがマーラを囲い始めたことで関係は悪化し始める。
タイラーは主人公をハブにしてクラブの増大を図り、主人公はキレてイケメンの第三者をボコボコにする。
またナレーションの通り、タイラーは訴訟をいくつか起こされ、自暴自棄になっている。

・メイヘム作戦終盤、タイラーとの対決

タイラーの行き過ぎた男性性が結実し、街中を巻き込んだ同時爆破テロ作戦が開始される。
主人公はタイラーと対峙し、闘う。しかし、殴り合いでは歯が立たない。
そして主人公は、状況打開のための妙策を考え付く。

・エンディング、男性性、女性性を受け入れる

相手を破壊して屈服させるような手段では、結局男性性の化身たるタイラーを倒すことはできない。しかし、和解などできようものも無い。
最終的に自身に拳銃を発砲し、男性性の最終地点である自殺行為を実行することで、男性性を受け入れ、タイラーに決着を付ける。
行くとこまで行く、真っ向から受け入れる。煮え切らない暴力である他人へのへなちょこパンチではなく、自殺という暴力の最終地点を行為で超越する。その度胸が据わることで主人公は男性性の手綱を握り、タイラーを消滅し得たのだ。

そしてマーラの手を取り、ビルの崩壊を見つめる。
マーラを愛するということは、自分自身の女々しさ、または母性を受け入れたという暗喩である。
自分自身の女々しい部分を受け入れ、また男性性を乗りこなした主人公にとって、物質を至上とする社会、つまり目に見えていた世界は音を崩れて壊れたのだ。
これからは広告に支配されない、不要な苦しみもない真の世界が訪れる。そういうエンディングなのである。(このシーンは無い)

「これからはすべて大丈夫になる」というセリフの通り、ラストシーンは決して破滅を意味しているわけではなく、ハッピーエンドなのだ。

今後の主人公は、この成長を通して己の思う生と、満足感を追求する真の人間として生きていく。

おわりに

この映画は資本主義がもたらす危機の一側面に対して、警鐘を鳴らす作品である。
日常は、どこを見ても常に広告にあふれ、人々は、この私自身でさえ、本当に必要では無い商品が欲しくなったり、不要なサービスに契約したりして限りある時間と学習の余地(金銭など)を消耗してしまっている状態である。

大量の資本の流動をもたらすキーを握っている一部のステークホルダーからすれば、短期的、長期的問わず経済の成長が最も重要なポイントである。我々のような未熟で地に足付かぬ人々は、その経済成長のための手段であり搾取対象であり、物言わぬ奴隷であるということを、我々は自覚する必要がある。

言い換えると、動物的な本能、すなわち自分自身が誰に影響されるでもなく感じる衝動、内なる感情、その自覚が薄れた人々は誰しもが容易にそのステークホルダー達の奴隷になってしまいかねないということだ。

団体としてのファイトクラブは、その奴隷の苦痛に耐えかねた人々に対する蜘蛛の糸であったが、その終着点は社会主義的理想すら無い破壊集団であり、これもまた別の視点からすれば、即ち首謀者のタイラーからすればスペースモンキー、ないしは奴隷であろう。彼らは、タイラーのカリスマ性の下で皆有無も言わず無償奉仕していたはずだ。

つまり、先述の通り、我々が、いつまでも満たされず安眠出来ない主人公のようにならず、かといって何者かの奴隷にもならず、精神的に真に自立した存在でいるためには、誰に影響されるでもなく感じる衝動、内なる感情を繊細に自覚し、自分自身にとって真の豊かさをもたらすのは何か追求していく必要があるのだ。それが引いては父性や、母性の獲得にすら繋がるはずだ。

そのためには、その自覚しがたい自覚をしていくためには、まずは健康であらねばならない。

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