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モヒカンが作る絶品会席

世界を悩ます厄介なウィルスが出回り始めたころ、僕は長年勤めた役所を辞め、新しい仕事をはじめた。

それからは清々しい毎日だ。純粋に夢中になれた時間がたくさんある。昨日よりももっと清々しく、もっと夢中になる瞬間をつくりたいと毎日思っている。こんなことは、以前の自分では考えられなかったことだ。

あのとき、あの人との出会いがなかったら...

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数年前の春、ワンコと一緒に、突然旅に出たくなった。季節はゴールデンウィーク。空いてる宿などないだろうと、ダメ元でネット検索すると、手ごろなお値段の宿を発見。これは何かのご縁かもということで…長野へ向かった。

宿に到着し、食堂の奥から出てきたのは、ラーメンマン顔のオジサマだった。ラーメンマンと違うのは、おさげ三つ編みではなく、頭部の頂き周辺から寄せて引き上げた、金髪のモヒカン頭というところだ。
首から下は日本料理の割烹着。そうか、この人がホムペに掲載されていた支配人兼料理長か...そんなことを思っているうちに、ラーメンマン顔のオジサマは、挨拶もそこそこにフロントのカウンターに入っていった。

「えーっと...見えねぇ...」

老眼鏡をかけ、部屋割り表、管理システムの端末を目を細めながらのぞき込む。

「えっと、もしゃおさん、初めてでしたよね...(はい)...んじゃここの説明を...」

と宿の説明をしてくれた。その話しぶりは、丁寧だが声色にドスが効いている。説明がひとしきり終わり、ワンコに近付く。

「おー、よく来たよく来た!お名前は???」

しゃがんでワンコの鼻先に手を出しながらの甘えたドス声。僕は

「もじです。」

と答えた。


「あ、申し遅れました、ワタクシはタマといいます。タマさん、と呼んでください。」

「…(クンクン)…」

「いま晩ごはんの仕度してたから、その匂いがするかな...いいニオイだろ。うまいメシ作ってやるからな。」

その後は、宿までの道中の話や近隣の日帰り温泉の話などの雑談をし、部屋へと案内された。

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モヒカン頭のタマさんがつくる創作料理は、会席弁当のようなお重に色とりどりの料理だった。本格的な日本料理っぽいが、よく見ると家庭で再現可能な料理だ。ちゃんと長野の素材も使っている。
口に運ぶと、あのドス声&強面&金髪モヒカンからは想像つかない優しい味。舌や歯で食わせるのではなく、鼻で食わせる。匂いが満腹感を醸し出す料理。プロだ。
他のお客さんが食堂からいなくなったところで、タマさんが僕らのテーブルにやってきた。

「お気に召しましたか?」

「いやぁ、おなかいっぱいですよ。食べ過ぎました!」

「よかった!もじくんは...?」

「うーん、口に合わなかったみたい。食べ慣れたゴハンの方が良いようです。ゴメンナサイ...」

「しょうがないよなぁ、君たちのゴハンは何度作ってもわからんよ...」

「ところで、タマさんは日本料理の方なんですか?」

「そうですよ、どっからどう見ても日本料理っぽいでしょ。」

「(爆笑)イタリアンかと思ってましたよ。フロントでお会いした時から。」

「よく言われるんですよ...イタリアンの巨匠かって」

「(爆笑)さっきは「どう見ても日本料理」って言ってるのに...好きだなぁそのノリ」

「ありがとうございます。こんな良い加減な男ですから...」

「ずっと長野なんですか?」

「いえ、オレは神奈川です。予約が入るとこっちに来てるんです。」

「へ?」

「あ、オレもともと赤坂の料亭の料理長やってたんですよ。ある日、他人から指図されて料理つくるのがイヤだということに気づいて、料亭を辞めちゃったんです。社長に、給料が不満か?と引き止められましたけど、給料も不満だけど、そうじゃないって言いながら思いを全て伝えたんですよ。そしたらしょうがないってなって...」

「すごーい!それでそれで?」

「でもガキを二人もつくっちゃったから、学費稼がなきゃなんなくて…キッチンカーやったんですよ。そんな時に、いまの社長から宿で料理作ってくれって...」

「それで長野へ?」

「いや、それがね...」

...そこから先の身の上話は、爆笑のオンパレード。でも、タマさんだからこそのエピソード満載の時間だった。

料亭での安定した地位よりも、自分の思いを込めた料理をお客さんに出したい、という信念を貫いたタマさん。翌朝、見送ってくれたモヒカンの金色が、とても眩しく見えた。

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役所では、モデルケースよりも早いペースで出世させていただいていた。しかし、昇格するたびに目の前の市民に対してどうあるべきかではなく、役所内の上席や関係部署に対してどう見えるか、ということばかり気にしなければいけないことが多くなった。
何かをしようとするときに、関係部署の協力や理解を得なくてはならないのはわかる。しかし、そのサービスを受けるのは市民だ。役所内の稟議を終えると市民が必要としない施策になっていくことに、苛立ちや憔悴をおぼえた。
そんなことがあるたびに思い出すのは、タマさんのモヒカン頭と料理、そしてタマさんの生き方だった。

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自分は会社の肩書なしになっても、世の中で通用するのだろうか。

タマさんのことを思い出すたび、併せて感じていたことだ。
役所のキャリアはつぶしがきかないと、よく言われる。そこで僕は、ボランティア活動などをしてみることにした。行った先では、目の前にいる相手のために仕事をする、ということを実感できた場面も多くあった。
しかし、自分の掲げたビジョンを語るも、それを実現させるために手足をなかなか動かせない人たちに直面したことも同じぐらいあった。結局、役所の中でも感じていた苛立ちや憔悴を、役所の外でも感じてしまうようになり、ボランティア活動に行かなくなった。

タマさんみたいに腕一本で渡っていけるのだろうか。

とにかく不安だった。腕一本を証明したくて、資格試験なども受けてみたが、落ち続けた。不合格通知を見るたびに、やっぱり自分にはタマさんみたいな生き方はムリなんだ。と自分を抑え込んでいた。

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誰のためにやっているんだ。
何のためにやっているんだ。

気がつけば役所内では、部下に対しても上司に対しても、この二言しか言わない僕がいた。あんまりこれしか言わないものだから、周囲から疎まれた。ムリもない。ただただ日々が穏やかに過ぎていけば良い人たち、「やった」という痕跡が残れば良い人たちにしてみれば、うっとおしいことこの上なかったろうから。
「もっと穏やかになれ」と忠告してくれる人もいた。でも僕が関わる市民からは、感激に至らない、形だけの感謝の声が投げかけられることもあった。とてもむなしかった。そのことにとても申し訳なく感じ、今度こそは「感動」してもらいたい、と思ったが、僕の立場ではどうにもできなくなっていた。

それからしばらくして、新人の頃からお世話になっている役所内の先輩から、「ある人から『もしゃおの職場はずいぶん大変そうだという噂があるけど、大変になっている原因は何かね。』と聞かれたんだよ。」と耳打ちされた。その時先輩は、僕のことを認め、守ってくれる返事をしてくれたそうだ。そして心配までしてくれた。
僕は、その話を聞き、先輩に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。と同時に、悔し涙が頬を濡らした。

もはやこれまでだ。
これが潮時ってやつかもしれない。

タマさんのモヒカンを思い出した。

もう出るしかない。
とにかくやるしかない。
やったらできるようになる。

僕は腹を括った。
エイって、飛びだした。

向こうにいる人もこちらにいる人も、感激の感謝であふれる場所に向かって進んでいくのだ。


タマさん、ありがとう。
僕も、もう少ししたらモヒカンにするかもしれません。




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