甥の「車の免許はいらない」発言を聞いて(かなり大袈裟に考えてみた)

高校生の甥を夕食に連れていった。ついでに欲しそうにしていたジャケットを買ってあげたらとてもよろこんでいきなりおしゃべりになった。面白い。
彼を姉の家に送っていく道中、「僕は一生車の運転はしなくてもいいな」という。なぜ?と聞くと、「運動神経がないから。人をはねたりするのが怖い。電車でもバスでもどこにでも行けるしね。一生助手席でいい。」と言う。たしかに。そう、だよね。うん。それもありだ。

私も電車やバスの旅は好き(注:甥は電車やバスの旅が好きだとは言っていない)。車窓から見える景色をぼんやり見つめ、耳からはオーディオブックの音声を聞きながら過ごすうちにいつの間にか目的地へ着く、というのも悪くない。というか便利!うん、それもいい。バスにはバスの、電車には電車の、自転車には自転車の、そして車には車の比べられないいいところがある。

時々徹底的に自分の車を洗ってあげたくなる。犬をシャンプーする感覚に近いかも(私が以前飼っていた犬は、お風呂は大嫌いだったけれど)。ぴかぴかに、中も外もきれいにすると、車もよろこんでくれているように感じる。人間が馬で移動をしていた時代は、乗り物という感覚よりも、やはり自分の足でも行けないことはないけれど、体力も温存できて、あたたかくて、時々話し相手になってくれて、寂しいときもそばにいてくれる存在だったのではないだろうか。大袈裟だけど、私のどこかに残る遠い記憶が私をそんな気持ちにさせる。だから車は移動のためにも必要だけれど、でもそれだけではないのだ。はっきりと言葉にすることはむずかしいのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?