『北斗の拳』考察:レイは弱いのか?
・はじめに
これはただの考察です。「こう読むのが正しい!」と言っているわけではありません。こんな読み方もできるんじゃないですか、と言いたいだけです。
『北斗の拳』自体が後付け設定、無数の派生作品を呑み込んだ巨大な作品です。実在の武将について、残された資料から様々な人物像を(雑な言い方をすれば)こじつけられるのと同じように、『北斗の拳』の登場人物たち、エピソードそれぞれについても様々な見方ができます。ラオウの言行にしても、乱世全体を慮って行動していた真の世紀末覇者であるとするか、ワガママな子供がそのまま大人になった暴君、サウザーにビビッてケンシロウ任せにしたチキン野郎、障壁になりそうな相手が病や老いで次々死んでいったラッキーマンとするか。正解不正解はありません。どの面を強調するかというだけです。
それと、筆者は『北斗の拳』のスピンオフには全く手を付けていないので、原作漫画、およびアニメ版の知識のみで考察します。
・レイは弱いのか?
"南斗水鳥拳 レイ 弱い"で検索すると、こんなyahoo知恵袋のページが出てくる。
このベストアンサー、"レイはウィグルに惨殺される"は根拠がないので無視するとしても、(質問者も例に出しているが)ラオウにあしらわれ、ライガ・フウガに対し苦戦した(そしてケンシロウに交代した)というのは事実である。事実、というか実際に起った出来事である。かくいう筆者も初読時、この二つのエピソードが連続して出てきたことで「レイって大したことないな」と感じ、その印象はレイがユダを倒しても覆ることはなかった。多くの読者が、これらのエピソードをもとに「レイは北斗神拳組・及びサウザーやシンより格下」と認識し、「弱い」と判断しているのではないだろうか。
だが、『北斗の拳』を再読・(アニメを)再見して確信した。レイは決して弱くない。少なくとも、レイを「弱いです。」と断ずることのできる十分な描写はなされていない。以下、ライガ・フウガとの顔合わせ時、そしてより重要だがラオウとの交戦時それぞれについて状況を確認し、考察していく。
・VSライガ・フウガ
状況を再確認するが、レイはライガ・フウガから少し痛手を浴びせられたというだけで、そもそも本格的に闘っていない。
憐れみさえ覚えてしまう場面(特に最後のレイの表情)だが、ケンシロウとて「アンタじゃムリだ オレがかわる」と交代したのではない。ライガ・フウガのまとう雰囲気と、自らの都合を考えたのだ。
ライガ・フウガはそもそも人探しのために今から侵入していこうとしている施設(カサンドラ)の門番である。二人が単なる悪党に過ぎなかったとしても、案内役にできるかもしれないし、少なくとも得られる情報はあるだろう。あっさり殺す意味は薄い、というか普通門番が殺されれば警戒は厳重となり、悪くすればトキを移送されてしまうので有害ですらある。
南斗水鳥拳は
なのである。身体の内部から作用する北斗神拳は意志と無関係に相手の口を割らせたり、異常に発達した筋肉を分断しつつまともに働いて食べていくだけの能力は残してやるなど魔術めいた力を持っているが、外部破壊の南斗聖拳はそんなに器用ではない。本腰を入れて闘えばレイが勝つか負けるか2つに1つだが、レイが勝った場合相手は殺してしまう公算が高い。かといってレイに負けて負傷されるのも困る。ケンシロウはそんな無用な賭けをしたくなかったのだろう。
つまり、ライガ・フウガ及びレイの実力とは無関係に、この時ライガ・フウガと闘うにはケンシロウが最適だったのだ。
ここまですべてケンシロウの都合だけで考えているが、そもそもカサンドラに行くこと自体がケンシロウの都合であり、レイは友として、またトキという男に会ってみたいがために同行しているに過ぎない。つまり、レイにとってライガ・フウガと闘う理由は(本来的に)ない。
少し脱線するが、『北斗の拳』はメンタルバトルである。ケンシロウがジャギに対し放った「もはや北斗神拳の神髄すら忘れたか 怒りは肉体を鋼鉄の鎧と化すことを!」というセリフ、まだ精神的に甘かったとはいえ修行を終えた状態の北斗神拳伝承者ケンシロウに7つの傷をつけたシンの語る"執念"、無想転生を会得したケンシロウへの恐怖で格下であるはずのフドウにさえ気圧されてしまったラオウなど、全編を通して精神は闘いの趨勢を左右する。男たちの鋼鉄の肉体を支えるものは、繊細なメンタルの取り扱いなのだ。
話を元に戻すと、弟を人質に取られ「何人たりとも侵入させるな」との命を受けているライガ・フウガと、そもそも旅に出た目的である妹・アイリの救出を果たし、あとは義星本来の宿命のため友の力になろうとしているレイでは、言ってしまえば必死さが違う。端的に言えば、
これである。
体調はともかく精神的には、レイは弱まっていたのだ。牙一族の前でケンシロウと互角の戦いを演じられたのも、アイリ救出という第一目標を目の前にした精神的な餓えのためである(加えて、ケンシロウはレイと戦いたがっておらず、いわばデバフがかかっていた)。作中の描写だけで考えても、精神的に餓えていればレイは並~不調時のケンシロウ程度の力は出せるのである。そして、ケンシロウはライガ・フウガを余裕であしらうことができた。よって、ライガ・フウガ相手に手傷を負ったからとて、レイが弱い理由にはならない。
・VSラオウ
例によって(シャレではない)状況を確認するが、ラオウ率いる拳王軍がアイリ・リン・バットたちのいる村に侵攻していることを知り、レイはケンシロウ・トキ・マミヤに先んじて村へ向かう。
村で拳王軍の暴虐とそれに抵抗したリンの傷ついた姿を目の当たりにしたレイは、
間違いなく漫画史上もっともカッコよく、もっともピンとこない超名セリフとともに戦闘を開始、拳王軍を殲滅する。そこに黒王号に跨ったラオウが現れるのだ。
ここでラオウが重要な一言を放つ。「お前がレイか 南斗水鳥拳 楽しませてもらった」である。またまた脱線するが、ラオウは"前方確認を欠かさない男"である。戦う前には相手が死兆星を見たか訊いている。また、そもそも先述のカサンドラを作ったのも、ありとあらゆる拳法の秘奥義を我が物とするためである。しかし、せっかくそうして会得した技を、作中ラオウが披露することは少ない。せいぜい、(アニメオリジナルで)風殺金剛拳をケンシロウに対し放った程度だ。ではなぜラオウはわざわざカサンドラを作り、数多くの人々を不幸に陥れてまで様々な拳法の知識を得たのか。
秘密はラオウの過去、リュウケンとの戦いの中にある。
伝承者がケンシロウと決まり、リュウケンのもとを去ることを決意したラオウに対し、一子相伝たる北斗の掟のため拳を捨てろと告げるリュウケン。しかし、もとよりそんな掟など意に介するラオウではない。かくて火蓋を落とされる両者の戦いであったが、そこでラオウは初めて、"七星点心"を目の当たりにする。
ラオウの「そんな奥義もあったのか」という発言から推して、これは伝承者のみ使うことを許される技と推測されるが、とにかくこの技によってラオウはおそらく産まれて初めてであろう大敗を喫する。リュウケンの動きを全く見切れず、拳をつぶされる寸前までいったのだ。リュウケンが病に倒れ勝利したが、さしものラオウもこの出来事は身に染みたのだろう。自分が極めたと思っていた北斗神拳にさえ、自分の知らない奥義があった。ましてやこの世界に無数にある拳法には、いかなる技があるやもしれぬ……そう考えたとしても無理はない。不安があっては、メンタルが乱れる。メンタルが乱れれば、技が冴えようはずもない。北斗神拳を極めた男ラオウ、「我が肉体は無類無敵!」と信じる男ラオウは、メンタル=強さの源であることをもよく理解していた。それがカサンドラの建設、拳法の情報収集につながったのだ。サウザーと戦わなかったのも同じ理由が根本にある。相手だけが北斗神拳を知っており、自分は相手の体の謎がわからない……では、ラオウとしては話にならないのである。
闘う前の死兆星確認も、ラオウにとっては重要な、メンタルを安定させるためのルーティンなのだろう。プロ野球のバッターがバッターボックスに入って毎回同じ動作をするようなものだ。明らかに死兆星を知っているケンシロウに対してさえ"死兆星"という単語を使わないのは、脳を介さずに口から出る、ルーティン化された行為だからなのである(この直後戦うことになるトキに対して訊かないのは、トキが自分と互角に戦えるかもしれない宿命の相手であるから、訊かなくても見てるという確信があるから、実弟だから忍びなかった、などいろいろ考えられる)。
めちゃくちゃに脱線が長引いたが、大事なのはラオウがレイと戦う前にレイの南斗水鳥拳(それもライガ・フウガ戦時とは違い実力を十二分に発揮している)を目の当たりにしたという事実だ。ジュウザの我流の拳法すら一合で破ったラオウほどの達人であれば、ある程度体系だった拳法である南斗水鳥拳を見切るのに、遠目とはいえ十分すぎただろう。レイはラオウとの闘いにおいて、前提からすでに不利だったのだ。
さらにラオウは黒王号から降りないことを宣言、馬上から闘気を発して威嚇するなど、レイのメンタルに揺さぶりをかける。しかし、激しく動揺はしたものの、ラオウの力を肌で感じたことがレイを逆に奮い立たせることになる。これはラオウも意外だったらしく、余裕は崩さないものの「ほう まだ虚しい戦いを挑む気か」と発言している(もっとも、死兆星を見たことを確認し"俺と闘う運命にあったらしい"とも発言している以上、挑発とも取れるが)。
"勝てない"と感じながらも闘う気力をレイに復活せしめたのは、計り知れないラオウの実力と、ここにやがてやってくるであろうケンシロウの存在だった。ケンシロウが来れば、ラオウと闘うだろう。そして、ケンシロウは敗れるか、少なくとも重傷を負う。アイリが自立したこの時点では、それがレイの最も恐れることなのだ。そして、その未来を防ぐことができる、少なくともその可能性があるのは自分しかいない。その自覚がレイに闘う気力を復活させ、自らの命を懸けて相討ちを狙う奥義、断己相殺拳の使用を決断させる。
拳法に関してズブの素人であるバットやアイリにさえも凄まじさが伝わる程の奥義である。結果的に断己相殺拳が決まることはなかったわけだが、アニメ47話では
レイ、断己相殺拳のために飛び上がる
↓
ラオウ、自らの迎撃とレイの攻撃の結果をシミュレート
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ラオウの拳が先に当たるものの、死を賭したレイの拳によってラオウ自身も切り裂かれる(輪切りにされている。=死である)
↓
ラオウ、レイの意図が相討ちにあることを悟り、戦闘プランの変更
↓
マントでどりゃっ!
という流れになっている。目立たないが、ラオウがマントを使ったというのは実は結構すごいことである。というのも、自らの肉体に絶対の自信を持つラオウは滅多に攻撃をかわさない。肉を斬らせて骨を断つのがラオウの基本戦術なのだ。この直後のトキとの戦いでも武器を使用し、また持久戦法を取ってもいるが、これはトキが特別なのであり、ケンシロウとの戦いでは真正面からダメージ覚悟で打ち合うという、基本戦術に戻っている。トキが剛の拳を使用した二度目の戦い、さらにジュウザとの戦いでもそうだ。
断己相殺拳を前にしてのシミュレートでも、当初のラオウはこの基本戦術に則っている。だが、レイの技のキレがそれを許さなかったのだ。ラオウは自らの戦術を捨て、奇策とも言えるマントを使用し、レイに完勝した。
ラオウが指一本でレイを倒した、というのは結果だけを見れば事実。しかし、断じてそれだけではない。自らのメンタル管理を怠らず相手のメンタルには揺さぶりをかけたラオウの勝負へのこだわり、それを跳ね除けたレイの覚悟の気高さ、ラオウの戦闘プランを変更させ瞬間防御に徹させた技のキレの凄まじさ、瞬時に相手の意図を見抜き最適な回答を提示してみせたラオウの戦闘の天才的巧みさ、なのである。
・結論
レイは弱くない。
ラオウはすごい。
俺の『北斗の拳』完全版を借りパクしたE藤、絶対許さねえ。
以上です。