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推しよ、幸せでいて



「私が好きになる人たちは解散か休止しちゃうから…」


そう言って自分の存在をまるで呪いかのように嘆く友人がいる。

確かに彼女が好きになる人たちはことごとく解散か休止する。
アイドルグループ・バンド・ボーカユルニット…ジャンルは関係ない。国内・海外、女性・男性も問わない。とにかく彼女が好きになる人たちは解散か休止するのだ。参加したライブの数日後に活動休止が発表された時は流石に気の毒でかける言葉がなかった。

もちろん彼女の存在が解散や休止の理由なんてことは1ミリだってあるわけはないのだけど、本人はとてもとても気にしていたし、ここまでくると私も「次こそは大丈夫だよ!」なんて気軽に言えない。


自分の存在を嘆いていた彼女だが、2年ほど前から一人のアイドルの話を良くするようになった。彼の可愛さや魅力を話してくれる時の彼女は本当に楽しそうで笑顔がキラキラしていた。
でも「そんなに気になるならファンクラブに入ってコンサートに行ってみたら?」という私の勧めは頑なに拒否する。過去の経緯を知っているから拒否する理由もわからなくはないが、彼女が彼のファンであることは明らかだったのに彼女だけがそれを認めようとしない。


そんな彼女が先日友人数人で集まった際に、開口一番「ファンクラブに入ったよ!」と弾ける笑顔で報告してきた。
「ついに入ったのか」「(気になりはじめてからFCに入会するまで)長かったね」と口にする友人たちに「覚悟ができたから」と彼女は言う。その言葉に周りは「何それ」「大袈裟だなー」と笑っていた。



「覚悟」をGoogleで検索すると1番上こう出てくる。

悪い事態(に多大の努力がいるの)を予測して心の準備をすること。


「推す」ことに果たして「覚悟」は必要だろうか。
上記の意味からすると「覚悟を決めて応援します」なんて悪いことが起こる前提で応援しますと言ってるようなものだ。

「覚悟」も何も好きになるきっかけなんて突然訪れることが多いし、わざわざそんな重苦しいことを考えてから「よし推そう!」なんて人は少ないだろう。
でもたとえ偶然だろうと“自分が好きになる人たちは解散か休止する“というジンクス(?)を持っている彼女には「覚悟」が必要だった。私もまた「ずっと続くと思っていたものがある日あっけなく崩れた」経験があるから彼女の気持ちがわかる。


推しが不祥事を起こして引退するかもしれない、熱愛が発覚してあれよあれよと結婚するかもしれない、突然脱退したと思ったら裁判を起こすかもしれない…。


それでも変わらずに“推す“ことはできるだろうか?



アイドルの応援の仕方は人それぞれだ。

推しのことはなんでも知りたい人、おうちでCDを聴いたりDVDやテレビを見たりして比較的ライトな応援をしている人、本気で恋をしている人…さまざまなタイプがいる。


私はというとかつて現場至上主義でエゴの塊なアイドルオタクだった。
アイドルオタクが使う「現場」とはコンサート会場や握手会などのイベント会場、いわゆる実際にアイドルに会いに行く場所のことを指す。

アイドルはテレビと雑誌でしか見ることができなかった田舎娘だったくせに、18歳で社会人となり東京で自活をするようになって自由とお金を手にしてしまい「担当*に会いに行くこと」に心血を注ぐようになった。
若い頃の私はJ事務所の一人を追いかけていたのだが、とにかく毎日担当のことを考えて担当に会うために仕事をして担当を中心に私の世界は回っていた。

  *担当:いわゆる推しのこと。J事務所特有の呼び方。

最初の頃はただの現場至上主義で済んでいたが、途中からどれだけの公演数入れるかに必死になり、さらに良席重視も加わった。「絶対私へのファンサービスが欲しい」「自分だけが幸せであればいい」「自分が入れない公演で楽しそうにしている担当なんて知りたくない」という醜い考えが頭の中を占めていて自分で自分に疲れてしまうような追いかけ方をしていた。

その頃にはテレビや雑誌の担当に興味が湧かなくなってきていた。
一応バラエティもドラマも見るし雑誌も買う。公式のグッズストアでは毎回厚みが辞書かよってほどの枚数の写真を購入したりもしていた。だけど本物じゃないと満足できない。担当に会うことによって自分自身が満たされるから。
結局のところあの時の私は「自分>担当」で、自分を満たすためだけに彼を使っていたんだろう。彼のことを大事にしているように見えて、実際のところ彼自身のことはお構いなしだった。

担当から卒業したのは金銭的なパンクが理由だし、それも含め根本的にアイドルの愛し方や追いかけ方を間違えていた。熱狂的に追いかけていた数年で私に残ったものといえば、担当からもらったファンサの思い出くらい。
醜いエゴは自分の身を滅ぼすと言うことを痛いくらいに実感した。

 

そこから数年間はアイドルに触れることはなかったのだが、友人の付き添いで東方神起のコンサートに行ったことによりKーPOPの世界を知った。そして元推しグループに出会う。KーPOPの世界はそれはもう異文化で新鮮で私を夢中にさせた。

ここでは自分に少し変化があった。
彼ら自身の幸せを願うようになったのだ。

なぜ変化があったのかは正直わからない。
以前の痛い教訓があったからかもしれないし、自分が歳を重ねたこともあるかもしれない。それに加えて彼ら自身にそう思わせる魅力があったのだろう。


自分はファンの中の一人でいい。彼らがステージ上から見る綺麗なペンライトの海の中の一つでいい。大きな歓声の中の一つになって、彼らに届けばそれで十分。だからずっと幸せでいて。魅力たっぷりに歌い踊る姿をずっと見せて。
心の底からそう思っていた。

香港でのコンサートに行った時、もみくちゃのスタンディングエリアであるVCRを見て「この先彼らに幸せだけが訪れますように」と祈りながら号泣したことがある。隣を見たら友人も号泣していた。彼女も同じことを思っていたらしく、抱き合ってまた泣いた。
お互い汗だくで抱き合う日本人はさぞ怪しかっただろう。

自分が参加しないコンサートも、推しの楽しそうな写真が上がってくればそれだけで嬉しくなった。ステージと距離のある席が当選しても彼らのパフォーマンスを見られるということが何よりも幸せだった。

ただ私はある時を境に彼らを好きなったときと同じほどの熱量で応援していくことができなくなった。デビュー当時が至高と思っていた私にとっては人数が少なくなってしまった彼らを見るのが辛い時があったし、それでも応援していこうと決めたのにまあなんか色々あった。(ぶん投げた)

応援していく中で「彼らの何かが変わっても変わらず推す」という覚悟は私には生まれなかったようだ。彼らが悪いわけではないから、今でも少し申し訳なさが残る。


そして出会ったBTS。

まだまだ見終わる気配のない過去の動画たちを追っていって、彼らの絆の強さを感じると胸がジーンとするし7人で楽しそうにしている姿を見ると笑顔になる。
まだまだど新規の私だが、7人の幸せを願わずにはいられない。

そしてまた少し以前の自分と異なる点がある。
それは彼らから学ぶことがとても多いということ、彼らを通して興味を持つ事柄が多いということ。

過去映像やインタビューには感心してしまうような出来事や言動が多くあって、年下の男の子たちから日々色んなことを学んでいる。
独りよがりな応援の仕方をしていた過去の自分からは考えられない変化だ。

BTSの7人が楽しそうで幸せそうだと、私も含め多くのARMYは心が満たされるだろう。そしてそんなARMYの姿を見て彼らもまた満たされるんじゃないだろうか。

アイドルとファンという関係性は一方的であっても決しておかしくはないのにBTSとARMYはそうではないように見える。独りよがりじゃない、相思相愛。
BTSとARMYが築いてきたのは、互いが互いのことを想い合う暖かくて素敵な関係性。なんだかとても羨ましい。



さて「推しに何かあっても変わらずに“推す“ことはできるか」という問いに戻る。

はっきり言って私にそんな覚悟はない。
そんなこと絶対あって欲しくないし考えたくもないけど例えばの話もし仮に本当に仮に本当にもしもだけど(しつこ〜)何か良くないことが発覚したらいくら全肯定オタクの私だとしても全てを許容はできないだろう。「なんでだーーーー」と大泣きするし怒りも湧くかもしれない。
熱愛だって、彼らに本気で恋しているわけではないけども「彼らに愛されている女性がいる」という現実を受け入れたくなくてひっそりこっそり泣くと思う。


でもきっと性懲りもなく彼らが幸せであることを願い続けるだろう。
この先何があっても、何か変わってしまっても、彼らが幸せならそれでいいな。


冒頭の変なジンクスを持つ“覚悟を決めた“友人に「覚悟ってどんな?」と聞いたらこんな答えが返ってきた。


「もしも休止しようが解散しようが脱退しようが、推しの幸せを願う覚悟」だそうだ。


類は友を呼ぶ。
友よ、推す対象は違っても気持ちは同じだ。私もその覚悟ならある。

可愛い推したちが美味しいものを食べて心穏やかに1日を終えられますように。
今日は昨日より、明日は今日より、幸せでありますように!


※「推し、燃ゆ」を読みました。過去のことを思い出したり色々思うところがあったので感想文ではないけど殴り書き。決して過去の推したちよりBTSが最高〜!って言いたいわけではないです。

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