【色弱】世界の明るさを教えてくれたお友達

『世界ってこんなに明るいんだ』

瞬間に出た感想。
そして、自然と流れる涙。

私の“お友達”は、そんなサプライズを用意してくれていました・・・


私は色覚異常、いわゆる色弱です。
生まれてから現在まで、人生の様々なシーンで横にいてくれるお友達。

このお友達は地味にお節介な相棒です。


■お友達のトリセツ☆一部ご紹介

・都合が悪いと赤色と緑色と茶色を誤魔化してくる
→人に聞きましょう

・桜の花を灰色に塗り替えてくる
→それはそれで趣深いと納得する

・バスの路線図をいじって迷子にさせる
→さぁ冒険の始まりだ!

・ひとつ目の点滅信号が挑戦状を送ってくる
→初心忘れず安全運転

等々


私とお友達の関係性、周りにはなかなか想像もつかない世界観。
お友達はお医者さんとも仲良し、病気と診断されたことがありません。


たまに会話でお友達が話題に出て私に、
「これ何色に見える?」と聞いてきてくれます。

思った通りの色を答えると、
「えっ!これは〇〇色だよ!」
と教えてくれます。

時として私のお友達は、場を盛り上げてくれる気さくなヤツです。
コミュニケーションには欠かせない存在です。

※幼少期は日常で不定期に書いています
※ものすごく長いので分割します(全然結末までいかない)

【私とお友達のお話~社会人編~】

■初めての社会人生活

大学を卒業し就職をした会社は、広告出版系の制作部でした。
地場ではそれなりに有名な優良企業だったそうです。

初めての大人の世界。

同期がいなかったので、
毎朝早く出社して先輩達のデスクを拭いたり灰皿を片づけたり
コーヒーを作ったりを一人でやっていました。

そのあとは始業まで上司が社会人基礎の研修を行ってくださいました。

始業するとものすごい量の実務研修&OJTがあったり、
一日20個の質問を考えて終業後に一つずつ先輩に聞いて回ったり。

週末には読書感想文を書いて週明けに提出。

自分で言うのもなんですが、
当時の自分は純粋にがむしゃらに頑張っていたと思います。


■お友達を紹介

そんなある日、
先輩と談笑していた時に話の流れで私のお友達を紹介しました。

いつものあるある質問がくるかと思いきや、

「そっかー・・・」

という肩透かしな返答。

想定とは違う反応だったので、
『興味がないのかな』と思い話しはそのまま流れていきました。


数日後


突然本社の上層部から、お友達を検査したいという打診がありました。
面食らった私は困惑しながらも承諾しました。

検査は昔からある、色のついた丸がいっぱいある検査シート。
文字が浮かび上がるやつですね。

何で検査する流れになったのか。
実は先日お友達を紹介した先輩が会社に報告したそうです。


■本社からエラい人がやってきた

数日後、本社から専務取締役がやってきて会議室で上司と先輩たちにお話しをしていました。
しかも先輩たちがそのエラい人に向かって怒鳴っているという異様な光景。

何事かと思い会議が終わるのを待っていました。

そして先輩たちが戻ってきました。
泣いている先輩がいたりもしました。

次は私が一人で呼ばれました。


正直めちゃくちゃ怖い、怒られるのだろうか・・・


会議室、エラい人と面と向かいお話しが始まりました。

日頃の仕事に対する労いや、先輩たちからの評価を伝えられて、
とても和やかにお話しが進みました。

『さっきの先輩たちは何だったんだろう?』


そんなことを思い始めた矢先・・・

エラい人は私に“自主退職”を勧めてきました。


■お友達の検査結果

あまりにも突然のことで頭が真っ白になりました。

『なんでだ?何か重大な失態でも起こしていたのか?』

全く心当たりが無かったので混乱しました。
能力が足りないと言われたら、新卒の自分は何も言えないのは確か、ですが・・・


理由はお友達との交友関係にありました。

エラい人曰く、


「君の友達はこの業界では向かない、やっていけない。」

検査結果の判断。
役員会で話し合って結論を持ってきたそうです。


上司や先輩たちはそれに怒ってくれた。
泣いてくれた。

「君がどうしても辞めたくないというのなら部署異動させてもいいが、
君がやりたいことと違ってくるけどいい?」


私は自主退職を選びました。
なんだか一気に体の力が抜けて、考えることができなくなりました。

「これからミスが起こるかもしれない」

「リスクヘッジ」

「君はどの業界でもやっていけるから大丈夫」

「給料は翌月まで出すから」

「君は・・・」

確かに、紙媒体を主力としていた会社だったので一つのミスが命取り。
(当初777万部発行だったか)

経営陣の判断は間違っていない。


私が去ったあと、
その会社では入社に際し色覚異常検査が導入されるようになったそうな。

今でも電車の広告を見ると、その会社は元気にやってそうだ。


■お母さんとお友達

新米社会人としての頑張りを一番身近で応援してくれたのはお母さんでした。

就職を一番喜んでくれたのもお母さん。

私が先のことで退職することを知って、
そんなお母さんはひとこと、


「お母さんのせいで、ごめんね・・・」

そう言って
すごく悲しい顔をしていたのを今でもはっきりと覚えています。

普段はあっけらかんとしていて、
何が起きても動じず笑顔でいるタイプのお母さん。
とっても優しいお母さん。


私は全くそんなことを思っていませんでした。

「そんなことないよ^^
どこにお母さんに責任があるのさ」

と言っても、全然お顔が晴れません。


それから少し経って調べてみました。

“先天色覚異常”

つまり遺伝子からくる生まれつきだから、ということがわかりました。


そういえば小さいころ、お母さんから

「お友達のことはあまり人には言わないほうがいいよ」

と言われていたのを思い出しました。

特に昔は差別の対象になっていたそうです。


現在でもお友達と仲良くしていると、職業選択に制限のかかる職種もあります。
そりゃ、わからない色があったら危険を伴う仕事もありますわな。

運転免許もそうですな。


■落ちた青年

お話しは少し戻ります。

多感な時期、私は将来何になりたいか考えました。
音楽をやっていたこともあり、表現して感動を伝えられる仕事がいい。

自分が生み出した作品で、
世界中の人たちが少しでも笑顔になってくれたら嬉しい。

・・・青臭いですね(笑)
今でもその臭さは多少ありますが。。。


最初はテレビ・ラジオ局を志望しました。
大学のマスコミ講座を活かしきれず、ペーパーで全部落ちました(無念)。

次にレコード会社を志望しました。
惜しくも最終で落ちました。

では、他にどんな選択肢がある?

ふむ、デザインとか文章か。

運良く先の会社に拾っていただきました。


そして辞めました。

今ここ

半年ほど実家でぼんやりと過ごしていました。

仕方ない結果に終わったとはいえ、
どうしても納得できていない自分に引っかかっている。


『本当にダメなのだろうか?』

ボーっとしていた半年間、唯一やっていたことは
PCに入っているイラスト作成&写真加工ソフトで遊んでSNSにアップすること。


そうだ、学校に行ってみよう。


続く

次回「覚悟とお友達」

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