理屈とユーモアと配慮

一応外向き文章ですが、ですます調とである調が混ざります。確かどっちかに統一しろって学校では教わったんだけども、どっちかに統一するとどっちかに違和感が出る。


Twitterでなんとなく書いた事を掘り下げるのも、頭の体操になって良いかもしれない。深く考えず言葉を出す事が多いから。


「理屈とユーモアと配慮で生きてる人はいいなって思う。」


理屈とユーモアと配慮ってなんだ。あれをツイートした後に考えてたんだけどな。忘れちゃったから考え直しだ。


理屈というのは多分、例えば身の回りの物事にちょっとした道理や繋がりを見つけたり、自分で何か生きやすいようにルールを作ること。wais(知能検査)で言うところの知覚統合に近いかもしれない。私はこれが低い。ええ、バリバリに低かったんです。


伊坂幸太郎作品にも、error403という方の作品にも、ぽつぽつ変な名言が出てきます。というか創作とかエッセイというのは大体そうなのかもしれませんが。


変な名言ってのは、キャラとか作者が「ここは例えるとこうなんじゃないかな」「ここはこういう仕組みなんじゃないかな」って自分なりに切り取って、自分の解釈を入れたセンス良い言葉って事です。私はこれが羨ましい。


いや言葉、意見、思考、主張は全部当たり前に自分の解釈入ってるんですが......なんだ、何だろう、もっとシンプルにしたい。そして物事に何かを感じる事自体少ないので、前回も書きましたが捻り出してでも自分なりの何かを出したい。


ユーモアと配慮についてはまた書きます。忘れないで書きます。ウンウン悩みながら書いているせいか頭痛がする。こんな時間まで起きてるもんじゃない。


では

(この文章は2018年12月に書いたものです)

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