理屈とユーモアと配慮②

前回から続いています。


ユーモアがある、と言うとちょっと違うかもしれないんですが、文章や発言に優しさと親しみやすさがあって、たまにちょっと茶目っ気のあるような人が好きです。


現在大学生なんですが、大学の先生方にも色んな方がいます。「この人の話面白いな」って素直に聞けるような人もいれば、「なんだか笑い取ろうとしてか時々何か言うんだけど、そういうの無くても良いのにな」って思う人もいます。ネットや本でも好きな文、そうじゃない文があります。どれが正しい間違いと言いたい訳ではなく、温かい/冷たい印象、面白い/つまんないはどっから来るのか、私はどういう文章/話し方が好きなのかをもうちょっと考えてみます。


話す時に事実だけでなく、それに対する自分の感情や意見や憶測が入ってる人が好きです。他の人の理屈、とか価値観とか好きです。高校まではほぼ教科書通りの授業で人間味があまり無かったんですが大学はまあ、色々、偏ってますね。授業の喋りの自由度が高いです。本でも見方が偏ってたりして、別の解釈もありそうだなーーーって思うこともあります。


話や文の最中、ですます調の合間に、気軽な喋り口調が挟まれるのも好き。そうかなあ、とかそうなんだよねえ、とか、ちょっと待ってね。あれ分かんなくなっちゃった。とか。黒田龍之助っていうロシア語の先生がいるんですが、その方の文章がこういう書き方で、私も多分若干影響受けている部分があります。


謙遜と自虐が多い方は苦手です。そういう教授がいるんです。「私はこの分野には詳しくないのですが」みたいな(私は経験無いですが)、何か偉い方ほど謙遜する文化があるのかもしれませんが、英語圏で調査しているのに「私は英語は話せない」と言ったり、家族がおられるのに「クリスマスだと思うと気が滅入る」と言ってみたり、「自分がどう研究してるかは恥ずかしくて言えない」とか。専門の授業では言わないのに1,2年向けの共通科目でよく言うので、誤魔化しの類いなのかもしれません。本気でそう思ってる訳では無いだろうし、真に受けてはダメだろうし。


謙遜と似た意味で「〇〇かもしれませんが〜」と予防線張るのも、自分で書くのはみっともない気がするのであまりやりすぎないよう気をつけています。


あと「普通分かるはずだ」「知ってるよね」とか、一人の意見を聞いて「ふうん最近の子はそうなんだね」とか、他の可能性を考えずに決めつけたり、主語がでかくなる先生.....


「分かるはずだ」にも決めつけと信頼の2種類あってですね、
「えっ知ってるでしょ、知らないの、常識だよ」と言われると惨めな感じになってしまうのですが(たしかに一般教養には違いないし先生は間違ってない)、「今やってみれば分かる」「習ったはずだから考えてごらん」「もう一声」と、最初の答えがダメでもダメな学生扱いしないで待ってくれる先生は優しい先生だし有難いなって思いますね。これユーモアじゃなく配慮の話だったかもしれない。親しみやすさと配慮は重なるところがありますね。


オヤジ世代の人はオヤジギャグ、ダジャレとかを言うもんだと思ってましたが、実際に言う人いないですね。会社勤めのオヤジは言うのかもしれない。


続きます。続け。


では

(この文章は2018年12月に書いたものです)

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