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FR繝?D繧コRHYTHM AREェ繝A20?邨 〜終わ縺?ないMUSIC〜 ライ繝ゥレポ昴?繝

 

 オレンジや朱色のライトが会場中を埋め尽くしていた。彼らの再登場を待ちわびる空気は、見慣れた昂りだけではなく、愛おしくて仕方ない家族を見つめるような柔らかさがあった。


「俺らの音楽はどうでしたか?」


観客の声に応えて再び現れたメンバーはそう言って、満面の笑みを見せる。それから四人は二手に分かれて会場内の花道を歩き、センターステージへと向かった。多くの観客が間近に迫る彼らの姿に歓喜の悲鳴を上げ、手を降っていた。

彼らが彼女の目前を通り過ぎるとき、彼女はどことなく呆けた表情をしていた。彼女がずっと遠い地から応援していた彼らがいま、彼女の目の前にいる。彼女と同じくらいの身長で彼女と同じように同じ地面を歩いている。

(マジで生きてるんだ)

彼女は純粋にそう思った。人間である。彼らも、彼女も。そんなことを考えている隙に、彼らはもう彼女の目前よりずっと遠くに立っていた。

センターステージに辿り着いた彼らは、四人で向かい合うように座り、楽器を手に取る。各々にこの記念すべきライブへの思いを語ると、観客からは暖かい拍手が送られた。

「じゃあ初披露のこの曲を、今日は特別にアコースティックでやります。」

その言葉に続いて、アコースティックギターの柔らかいイントロが奏でられた。原曲にあるキャッチーで煌びやかな音源とは全く異なる響きは、和やかな雰囲気に包まれたこの日のアンコールに、とてもよく似合っていた。

彼女が待ち望んでいたその曲は、どことなく彼女の故郷の景色を彷彿とさせた。たくさんの雪が降る港町である彼女の故郷と、この日の会場となったアリーナが立つ土地はよく似ていた。

(ここに雪が降ったら、実家っぽくなるのかな)

駅に降り立ったとき、彼女はそう思案したが、その考えをすぐに掻き消した。ここは彼女の故郷が持つ、独特のもの寂しさを孕んではいない。この街は、冬の港街が持つほの暗い影を、電飾と人混みで埋め尽くしていた。

彼らの優しい演奏に合わせて、会場には雪が降る演出が披露された。ゆっくりと客席に降り注ぐ白は、この曲の歌詞がもともと持つ寂しさを包み込むように心地良く舞っていた。向き合って演奏する四人は時折アイコンタクトをして、互いを確かめ合いながら音を奏ているようにも感じられる。
ボーカルがアコースティックギターで弾き語る姿を、一筋のスポットライトが照らす。まるで絵画のような景色が、彼らの歴史の一ページに組み込まれていくのだろうと、その場にいる誰もが確信しただろう。
そんなロマンチックな想いに浸ってしまえるほど、鮮やかに滲む『冬』が生まれていたのだ。

彼女は会場に舞う雪を見ながら、やはりどこかもの寂しく、ほの暗い思いを抱えていた。それがどこから来るものなのかは解らないが、その答えが考えが見つかる前に、曲はアウトロへと向かっていく。
解らないけれど、ただただ重力に負けて、涙の粒だけが溢れていった。彼女が淡く滲む視界で見た景色は、ステージの向こう側が煌々と白く輝く、彼女の故郷とは似ても似つかない、目映い世界だった。



 大量のアルコールを摂取したわけではないのに、彼女はフワフワとした頭で横浜の街を闊歩していた。覚束ない足取りで渋谷行きの東横線に乗り込む。終電に近い電車は、それなりに混雑していた。偶然座れた端の座席はほんのり暖かかったので、きっとついさっきまで人が座っていたのだろう。そのときの彼女にとっては、見知らぬ人の体温までもが心地良く感じる要因の一つとなっていた。

 彼女が上京してから、早数ヶ月が経つ。東京に来たことによるメリットやデメリットも、彼女はぼちぼち理解してきた。
上京するまでは、映像でしか見られなかったアーティストのライブに行くことができるのは、大きなメリットだ。それに、発売日に新譜が手に入ることも大切なメリットだと思う。
デメリットは人の多さ。上京したての彼女が住居に選んだのは、渋谷駅から歩いて三十分ほどの場所なので、彼女の生活は自転車なしでは成り立たない。彼女が出掛けるときは、自分の自転車を渋谷駅構内の駐輪場に預けているのだが、渋谷駅から渋谷の街中を通って彼女の住む地域まで自転車を押しながら進むのは、結構な手間になる。渋谷の街を自転車で通り抜けるなんて所業、とんでもない。そんなことを試した日には、何人か人を轢き殺す羽目になるだろう。
だから、彼女は人が多すぎることをデメリットだと考えるのだ。

 彼女が乗り込んだ電車は、律儀に各駅に停車しながら渋谷駅へと近づいていく。これから渋谷駅に到着したら人混みの中を歩くのだと自覚しながらも、この日の彼女はひどく浮かれていた。

そう、端的に言えば、イヤホンから流れてくる音楽に、思わず鼻歌を漏らしてしまうほどに、彼女は浮かれていた。

(早く帰って、早く、早く作らなきゃ)

彼女は緩んだ口元を隠さないまま指先を見えない六弦にかざしていた。彼女の、彼女にしか見えないギターは確かにあの日の音色を奏でていた。




3月29日の禿筆



ユーザーネームMの邂逅

 本屋を出ると、外は季節外れの雪景色だった。三月に雪が降ったり、未知のウイルスで世界中が大混乱に陥ったり、令和時代の幕開けは散々だな、なんて思う。
傘を差して自動ドアをくぐると、細い針のように冷たい外気が肌を刺してきた。風に煽られて傘が揺れた拍子に、着古したモッズコートが水分を含んだ雪で濡れる。まだらに深緑に染まっていく生地に構うことなく、私は駅へと歩を進めた。
 人通りがほとんどない渋谷の街は閑散としていて、どこかもの寂しい。
私は信号が変わるのを待ちながら、そんな感慨に耽っていた。
人もいなければ、雪に吸収されて音もなくなっている。地球が滅亡する時の街はこんな感じなのかな、と少しセンチメンタルな気持ちになったりしていた。

「ちょっと聴いていってもらえませんか?」

不意に肩をたたかれて、思わず飛び上がった。耳をくすぐるような、鈴の音に似た声に振り返ると、その先には見知らぬ女性がいた。黒い髪に雪を積もらせて、アコースティックギターを背負う一人の女性が、そこに立っていた。
女性、と言うには少し違和感を覚えてしまうほどの彼女の無邪気な声色と表情に気圧されて、私は彼女の問いかけに頷いてしまった。こんな天気の、こんな日にわざわざ彼女は路上ライブをしていたのだろうか。ギターは雪に濡れても大丈夫なのだろうか。そんな疑問が続々と湧いてくるけれど、彼女の心底嬉しそうな表情に、何も言えなくなってしまう。

「一ヶ月ぐらい前に作った曲なんですけど、どうしてもきょう誰かに聴いて欲しくて」

人いないのにおかしいですよね、と笑ってから彼女は悴んだ手で開放弦を掻き鳴らした。


『文字の雨 音の雨 炸裂して降り注げ 』


 思わずスマートフォンに収めてしまった彼女の歌声を、電車に乗りながら聴き返す。液晶の中でも彼女はどこまでも楽しそうに歌っていた。

彼女の歌を聴きながら、私一人では抱えきれないほどの太陽が、世の中まるごと、乾かしたての布団の匂いにしてくれたらいいのに、と思う。
 実際、彼女が紡いだ歌詞の意味は少しも理解出来なかったけれど、私は少しだけ元気になっている。
買ったばかりの専門書を湿った袋から取り出すと、さっきよりも肩が軽くなったような気がした。




ユーザーネームHの爾今

 昼食を食べながらぼんやりと見ていたネットニュースは、東京で降った季節外れの雪を報じていた。いつも人でごった返しているイメージの渋谷のスクランブル交差点でも、ほとんど人がいないらしい。
「珍しいこともあるもんだね」なんて、友人と当たり障りない会話をしながら安っぽいハンバーガーを口に運んでいた。
勉強のために、という口実で友人と集まったものの、結局はお喋り会合になってしまった。いつもこうなのだから仕方ない。みんな当初の目的なんてなかったように会話に花を咲かせていた。
「東京は雪」という話題から「雪ってなんだかんだでテンション上がる」という話題になり、今は「テンションの上がる食べ物」の話題になっている。
私はコロコロと変わる話題に置いていかれない程度に相槌を打ちながら、ネットニュースの続報を追っていた。

タイムラインの文字を適当になぞりながら目を引く情報を漁っていく。
激しく雪が降るビル街の映像や、桜と雪のコントラストがタイムラインを埋める中、私はある動画を見つけて、はたと指を止めた。
雪の中、ギターを掻き鳴らす女性が楽しげに歌っている。なんでこんな日に、と思いながらも私はその動画の再生ボタンをタップしていた。


『 朝になって 空にだって 飾って いま 生きていて』


「ねぇこれ見て」

みんなの会話を遮るようにそう言うと、一瞬だけ静寂が訪れる。今じゃなかったかな、と不安になったけれど、すぐに「なになに」と興味を示してくれたので、安堵した。
私の携帯の画面を中心に四着の紺色が身を寄せ合う。制服を身に纏った私達とほとんど変わらない年齢の、画面の向こうの彼女にはどんな景色が見えているのだろう。

「すごいね」

雪が、歌が、それともそれ以外の何かが。誰かが漏らした主語のない文章に、私は強く頷いた。




ユーザーネームMの小休止

 息抜きのために研究室から出ると、廊下は湖面のように静まり返っていた。休日返上で研究室に篭っている私みたいな人はあまりいないのだけど、存外私はこの人気の無い休日の研究棟が好きなのだ。
白衣を脱いでコートを羽織る。メガネを外してオリーブ色のマフラーを身につける。そうすれば、これまでの疲労がリセットされる。ような気がする。ただ飲み物を買いに、近所のコンビニに行くだけなんだけど。
 コンビニに向かう道すがら、コートからスマートフォンを取り出して、使い慣れたアプリを起動した。
タイムラインを追いながら、気に入った投稿や友人の投稿を追っていく。
研究の息抜きで眺めるタイムラインは心地良いけれど、時々苦しい。私が篭っている狭い狭い研究室と、無限に広がるネットの海の対比に時々、本当に時々胸が痛くなる。

『渋谷駅前にすごい人がいました! 素敵な曲と歌声なのでぜひ見てほしい』

そんな言葉につられて何の気なしにタップした動画は、雪の中で一人の女の子が路上ライブをしている映像だった。荒い映像で、所々歌詞も聴き取れなかったけれど、彼女がただただ楽しそうに歌う姿とそこで完結しているはずの世界が、ネットの波を辿って私のところにも届いていた。「届いたよ!」の意を込めて、ハートのマークをタップすると、私より先にもう数十人の人がそれを押していた。


『 一人でも 「独りが好き」って泣いてるんでしょう
そんな あなたを』


かろうじて届いた一節に思いを馳せる。
私のこの小さな世界でも、いつか誰かに届く答えが見つかると信じて泳ぎ続ける。
涙の気配を感じてグッと目を閉じても、今日は暗いなんて思わなかったんだ。




ユーザーネームRの半宵

 家、職場、家、職場。きっと目を瞑っていても行き来できるかもしれないな。なんて考えて、小さく笑った。
笑いたいわけじゃない。笑ってないと一瞬で崩れてしまうそうなほど、弱っている私にはこの選択しかなかったのだ。泣いていいなら泣きたい、叫んでいいなら叫びたい。でも決して、「泣くな」「叫ぶな」と誰かに言われたわけじゃない。
けれど、『そう』してはいけない気がする。『そう』したらきっと、私は二度と立ち上がれなくなってしまうような気がするのだ。
夜、一人の部屋で何度も苦い汁を飲んで、何かを諦める。そうして無理やり眠って、何事も無かったような顔をして、次の日の朝は仕事に向かう。
何度繰り返せばいいんだろう、何度繰り返せば、私は私を好きになることができるのだろう。

(こんなふうに思うのも、もう嫌なんだ)


『渋谷駅前にすごい人がいました! 素敵な曲と歌声なのでぜひ見てほしい』

遠くに住む友達の言葉が、タイムラインを横切っていく。あの子が動画をあげるなんて珍しい。
そう思いながら、私はその動画を再生した。


『 届く前に 兎は舞え!』


泣くな。
叫ぶな。
聴こえていたはずの声が、私を縛っていた声が、今はもう聴こえない。画面の中で雪まみれになりながら歌う女の子は、眩しいほどの笑顔で歌っていたけれど、大声で泣いているようにも見えた。
ピンク色に染まった頬と水色の雪のコントラストに、目が眩むほど、私は恋に落ちた。


(その姿が、とても美しくて、羨ましいって思ったんだよ)





ユーザーネームOの観取

 仕方ないことだと思いながら、仕方ないと思い切れない自分が怒っている。
一昨日から代えていないマスクは、擦り減って光が透けている。足りないものを補うための議論が、無駄に時間を浪費していく。
どうしたらいい? 私には何が出来る? 解らないまま夜は更けていく。

「いつになったら落ち着くの?」
「どうしてこんなことになってるの?」

患者さん達だって私たちを困らせたくて言っているわけじゃない。彼らを健康にしてあげることはできないけれど、彼らを少しでも安心させてあげるのが私の、私たちの仕事だ。
ちゃんと分かっている。分かっていても、日に日に体と心が擦り減っていくのだ。
今まで擦り減った部分を埋めてくれていたものが取り上げられたとき、どうやって生きていけばいいかまで、私は知らない。

「きっと大丈夫ですよ、みんなで乗り越えましょうね」

患者さんに伝えた言葉に嘘はない。どこまでも私の本心で、伝わってほしい真実だ。
なのに、時々少しだけ不安になる。もし、私が言っていることが間違っていたら、そのときはどうしたらいいんだろう。言いようのない不安は、必要以上に私の心を擦り減らしていった。


 大きな溜息をついて、軋むパイプ椅子に座った。あと五分経ったら戻らないといけない。僅かな休憩時間でも気が抜けない状況がいつまで続くかなんて、私の方が知りたいのに。


『 ご覧、ほらって 朝陽を指して』


霞む目で見たスマートフォンの画面が、一瞬光って見えた。比喩でも何でもない。画面の向こう側の景色が、確かに光って見えたのだ。光は、擦り減った部分を埋めてくれるほど大きくはなかったけれど、それでもほんの少しの強さをくれた。


「絶対大丈夫です、みんなで乗り越えましょう」

一文字一文字を溢さないように伝える。私が負けちゃいけない。もう少し、頑張ってみようと思う。





ユーザーネームKの疏通

 

『機体は重さで落ちないわ 』


 知らない人が歌っている。よく見知った渋谷の交差点前。小さな画面の向こうで歌う彼女は、きっと私と同い年くらいだろう。純粋に、凄いと思った。
歌が上手くて、ギターが上手くて、笑顔が眩しくて。
感動している、感動しているはずなのに、言葉にすると薄っぺらい感動に圧縮されてしまう気がした。歌が上手くて、ギターが上手くて、笑顔が眩しい。そのどれもが嘘じゃないのに、恥ずかしくなるほどチープな感情だ。

(140文字じゃ無理なんだって)

日が暮れた外の景色を一瞥してから、私はタブレットを起動させる。
たりない分は、別の方法で補えばいい。文字じゃ表しきれない感動の表し方を、私は知っている。

線を引いては消し、引いては消しを繰り返す。そうして私の感動を、どこかの誰かに伝わるように描いていく。中指の瘡蓋にも愛着が湧いてしまうほど、私は喋るように描いていたいと思うのだ。


『 期待は重さで落ちないわ』


好みの線で囲われた中身を、ミントグリーンで塗り潰すと、眩しくて仕方なかった彼女の歌声が脳内で再生される気がした。





ユーザーネームAの紐帯

 情事を終えた身体は、冷房の風で冷え切っていた。出しっぱなしにしたシャワーの下にぼうっと立っているだけで、ぐずぐずにされた身体の芯が戻ってくるように感じた。
ホテルで浴びる温かいシャワーと抱擁は、少し似ているような気がする。

「大丈夫? 逆上せてない?」

磨りガラスの向こう側から、少し掠れた声が聞こえてきた。
甘すぎるその声に「大丈夫」と答えてシャワーを止める。バスルームの熱気で曇った鏡を濡れた手で拭くと、惚けた表情をした私の顔が映っていた。

「ねぇ、これ見て」

バスローブを身に纏ってベッドに戻ると、開口一番に彼がそう言って、スマートフォンの画面を見せてきた。液晶の中では、私と同い年くらいの女の子が雪の中、ギター1本で弾き語りをしている。
東京は今日、雪が降ってたんだね、なんて。きっと彼がほしい言葉はこれじゃない。

「凄いね、かっこいい」
「ね。君に似てるなって思ったんだ」

画面の中の女の子を一瞥してから、彼は少し目を細めて、私の頬に手を伸ばした。シャワーを浴びたばかりの頬が、情事の頬と似ているのだと言いたいのかな。私が猫のように彼の手に頬を擦り寄せれば、彼は分かりやすく顔を綻ばせる。

(似てるって言われて、それで私は)

 脳内で閃光のように生まれた言葉は、ぶつかった唇の間に消えていく。彼がベッドに放ったスマートフォンからは、彼が私に似てると言った彼女の歌声が流れ続けていた。


『落ちませんって 約束を
ただ眺め ただ眺めてる私だった』


赤い炎よりも、青い炎の方が温度が高いって、彼に伝えたらどうなるだろう。


(あのね、多分わたしは、あなたが思うよりずっと)





 東京に大雪が降った翌日。彼女の暮らしは、それまでと何も変わらないようでいて、少しだけ変わった。ただ、アルバイトとワンルーム、スタジオとワンルームを行き来する生活は変わらない。中古で買った自転車に薄いギターを括り付け、彼女は都会の風を切って走る。

 彼女の生活を構成する要素は何一つ変わらないけれど、彼女が作る曲と彼女の歌声を待つ、彼女の知らない人が少しだけ増えたことに、彼女は気付いていた。
組んだばかりのバンドの作ったばかりのアカウントに、一夜でフォロワーが500人も増えた。
雪の中、偶然出会ったあの人があげてくれたんだろう動画は、一日で何千、何万回と再生された。バンドのメンバーは彼女を称え、このチャンスを逃すものかと躍起になっていた。しかし彼女は反して、正直「どうでもいい」と思っていた。
否、「どうでもいい」というフリをしていた、と言う方が正しいかもしれない。
 雪の中で楽しそうに弾き語りをした女、というだけの私が世の中を一人歩きしているだけだと、ある意味でいじけていたのだ。歌詞すら聴き取れないあの動画がどれだけ素晴らしいと称賛されても、そう言ってくれた何人が次のライブに来てくれるのか、なんてことを考えてしまって気が滅入る。数字と実在する人間が、うまく結びつかない。

図らずも目立ってしまった彼女には、まだその立ち居振る舞いが分からずにいた。
それもそうだろう。彼女はつい数ヶ月前に北の国から上京してきたばかりのひよっこで、未だに渋谷駅すら攻略できないくらいの、根っからの田舎育ちなのだから。


スタジオでの練習の合間、彼女を尻目に浮かれているメンバー。「早く練習再開しようよ」の一言すら挟む余地のない会話が、流れるように続いている。
「スカウトとか来たらどうする?」「やば!」「メジャーデビューしちゃうんじゃない?」エトセトラエトセトラ。

(みんなが喜んでくれるのは嬉しいんだけど、だけどなんか違うんだよな。)

彼女はモヤつく思いを吐き出すように大袈裟な溜息をついた。



「ねぇ、ちょっとこれ」

メンバーの一人がスマートフォンの画面を彼女に向けた。メンバーが彼女に見せたのは、あるメールの文面だった。知らないアドレスから届いたメールは、彼女の歌声にいたく感動した旨と、次のライブがある際はぜひ取材をさせて欲しいとの内容だった。

「見せて」

彼女はメンバーから、半ばひったくるようにしてスマートフォンを奪い、その文面を凝視した。

『件名:取材のオファーにつきまして
はじめまして。フリーライターをしております、橘と申します。
昨日の動画を見させていただき、いてもたってもいられなくなり、取材オファーのメールを送らせていただきました。歌唱力はもちろんのこと、動画の音から微かに聴き取れるフレーズの美しさに感動し、この曲を書いた方は、とても素敵な文章を書かれる方なのだなと感じました。取材の折に、楽曲制作のことに関してお話を伺えればと思っています。
私自身が一ファンとして、お会いできればとてもハッピーです。
ご検討のほど、よろしくお願い致します。

追伸
もしよろしければ、動画で演奏されていた曲の歌詞データなどありましたら、拝見させていただくことは可能でしょうか? よろしくお願い申し上げます。』



「ちょっとやだ、なんで泣いてんの」

メンバーに茶化されて初めて彼女は自分が泣いていることに気がついた。
ずっと、たくさんの人に届くより、誰かの未来に根付く言葉を書きたいと思ってきた。
あの時、褪せない夏をくれた君のように、彼女はずっと割れない風船を飛ばし続けてきたのだ。


「わかんなくていいよ」

彼女は涙声で答えてから、壁に立てかけていたギターを肩にかけた。乱暴に開放弦を掻き鳴らすと、爆発したような音が鳴る。

今度はなんて伝えよう。
そう考えるだけで、高鳴る鼓動が抑えられないのだ。




































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