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小説『円柱マン』

 円柱マンは悲しんだ。
 彼は彼の住処である自室から外へ出てみようとしたのであるが、頭がドアにつかえて外に出ることができなかったのである。今はもはや、彼にとって永遠の住処である自室は、出入り口の所がそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。
 強いて出ていこうと試みると、彼の頭はドアの外に出るには些か横に伸びすぎており、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそはなったが、彼を狼狽させかつ悲しませるには十分であったのだ。
「なんたる失策であることか!」
 彼は自室の中でしばし脱出方法を考えた。しかし彼の横に伸びた頭には不釣り合いなほど小さな脳味噌では、思案するだけ時間の無駄であった。彼は深い嘆息をもらしたが、あたかも一つの決心がついたかのごとくつぶやいた。
「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」
 しかし、彼に何一つとしてうまい考えがある道理はなかったのである。
 円柱マンは再び試みた。それは再び徒労に終わった。なんとしても彼の頭はドアにつかえたのである。
 彼の目から涙が流れた。
「ああ神様! あなたは情けないことをなさいます。たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯この穴蔵に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。私は今にも気が狂いそうです」
 諸君は、発狂した円柱マンを見たことはないであろうが、この円柱マンにいくらかその傾向がなかったとは誰が言えよう。諸君は、この円柱マンを嘲笑してはいけない。
 やがて時が経つと、部屋に一匹の猫が闖入してきたのを円柱マンは見た。そしてこの事態に精神をおかしくしていた彼は、その猫を押し入れにすっかり閉じ込めてしまったのである。円柱マンは相手の猫を、自分と同じ状況に陥れることが痛快だったのだ。
「一生涯ここに閉じ込めてやる!」
 円柱マンの呪い言葉はある期間だけでも効験がある。猫は無理やりと押し入れにねじ込まれ、悶えた。そして猫は、押し入れから顔だけ現して次のように言った。
「うわ、頭横に長っ」
「出てこい!」と円柱マンはどなった。そうして彼らは激しい口論を始めたのである。
「お前どうなってんだよその頭。ヤバい奴じゃねえのか」
「よろしい、いつまでも勝手にしろ」
「おい話聞いてんのか」
「おまえはばかだ」
 彼らは、かかる言葉を幾度となく繰り返した。翌日も、その翌日も、同じ言葉で自分を主張し通していたわけである。
 一年の月日が過ぎた。あれから彼らはいっさい黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意していたのである。
 ところが円柱マンよりも先に、押し入れの猫は、不注意にも息を漏らしてしまった。それは「ああああ」という最も小さな風の音であった。
「おまえは、さっき大きな息をしたろう?」
 猫は答えた。
「死ぬ」
「そんな返事をするな。もう、そこから出てきてもよろしい」
「……」
「なんと、もうだめなようか?」
 相手は答えた。
「もうだめなようだ」
 よほどしばらくしてから円柱マンは尋ねた。
「おまえは今、どういうことを考えているようなのだろうか?」
 猫はきわめて遠慮がちに答えた。
「今でも別におまえのことを怒ってはいないんだ。それと、横向きになれば、部屋を出られることを、ずっとおれは黙っていたのだ」
 円柱マンはそれを聞くと、したりという顔で、横向きになって、ドアをするりと抜けていった。その足で雀荘へ行き、三連箱ラスになり、初めて行った雀荘にもかかわらずアウトを試みて、殺されてしまった。