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惣吉のまわし #嘘語源

城主の松平掃部守忠平は、大の相撲好きで知られていた。
新春、田植えが始まる前、稲刈りが終わった後、と、年に3度は必ず城で御前相撲が執り行われる。そのうち、秋の収穫後の取り組みは、その年の年貢米から米10俵が優勝者に贈られる。地域の百姓にとっては、娯楽であると同時に、食い扶持のかかった真剣勝負の場でもあった。

惣吉は、体躯が優れているわけではない。どちらかと言うと、並の者よりひょろひょろして見える。早くに父を亡くし、ろくに食えずに成長したためだ。しかし、その分、労働で鍛えた筋肉には持久力があり、その上、生来のすばしこさと、ここぞという時の勝負勘が冴えていた。なので、相撲を取らせれば、村の子供らの中では、大将格の源太といい勝負だった。

源太は、体が並外れて大きく、10歳の時にはすでに牛一頭を担いでいた怪力だ。2人は、15歳になったら御前試合に出ると心に決めていた。源太は優勝して殿さまの目に留まり、侍になることを目指しており、惣吉は幼い弟妹に腹いっぱい米を食わせてやることを夢見ていた。

さて、相撲とは神事でもある。子どもが遊びでとる相撲は、どんな格好であろうが差し支えないが、御前試合には、きちんとそれように決められたまわしをつけて参加することが義務付けられていた。今でいう帆布のような、硬い木綿の白いまわしを使うよう決められていたのである。布は高価な品だ。特に、まわし用の雲斎織り(うんさいおり)と言われる厚手の織物は、百姓においそれと手が出るようなものではない。そこで各村は、代表として城で相撲を取る若者のために、講でまかなった雲斎織りのまわしを2本用意していた。代々受け継がれて黄ばんではいるが、このまわしを締めて戦うことは、村の栄誉をかけた戦士の証なのである。

原太と惣吉は、村の代表を決める取り組みを勝ち抜き、その年の秋の城内相撲大会に参加することが決まった。2人は、生まれて初めてまわしを締めることになり、その硬さと分厚さに驚いた。恰幅の良い源太にとって、約7mのまわしは体を3周りするくらいの長さでちょうどよかったが、細身の惣吉には5周りしても、まだ余る。まわしが腹を何周もしているのは、見栄えもよくないし、ゆるむ原因にもなる。かといって、村の共有財産であるまわしを勝手に切るわけにもいかない。惣吉はできる範囲で、まわしにカスタマイズを加えることにした。具体的には、まわしを大鍋で煮込んで柔らかくし、4つ折りの癖がついているところを、5つ折りになるよう、石でたたいて布に癖をつけ直したのだ。つまり、まわしの幅を狭くする分、折って厚みを増し、惣吉の体でも4周りになるよう工夫したのである。

源太と惣吉は、それぞれのまわしを締めて、御前試合に向かった。

順調に勝ち上がった2人だったが、準決勝で源太が昨年度の優勝者とあたり、力比べの結果、押出しで敗退した。源太は、悔しそうに土俵を降り、惣吉の方を見た。
「俺の仇をとってくれ」
その目はそう言っているようだった。任せろ源太、俺は勝つ。

惣吉は冷静に対戦相手を分析し、怪力の源太が正面からがっぷり組んでも勝てない相手なのだから、奇襲しかないだろうと考えていた。その時、対戦相手が行司に何か言っているのが見えた。
行事は頷くと、惣吉の方に近づいてくる。そして
「まわしを見せてくれ」
と言った。
なんだ? まわしに何か仕込んでいるとでも思われたのか?
惣吉は、言われるままに後ろを向いて、締め上げたまわしの端を行司に見せた。
「このまわしは5つ折りなのか?」
行司が訊いた。
「はい。自分は小兵なので、まわしの折り方を工夫して長さを加減しております」
「それは、掟破りだ。相撲のまわしは4つ折りと決まっている。いますぐ4つ折りにしてくれ。でなければ、この試合は不戦敗となる」
「ええっ? 今まで、このまわしで戦ってきたのにですか?」
「うむ。気づいた以上、見過ごすわけにはいかぬ」
惣吉は困った。この硬い折り目の付いたまわしを、いますぐ4つ折りに戻すことなどできるはずがない。話を聞いていた源太が言った。
「俺のまわしを使え。行司さん、少し待ってくれ。まわしを交換してくる」
「すまん、源太」
「なんの。勝てよ」
「おう」
源太のまわしは生暖かく、汗で湿っていたが、惣吉は気にもならなかった。経験も体格差もあり圧倒的に有利なのに、難癖をつけてくる対戦相手が許せなかった。そうまでして勝ちたいか。悪いな、俺が絶対勝ってやる。

「はっけよい のこった」
行司の掛け声と同時に飛び出してくる相手をかわし、後ろに回り込んだ惣吉は、太ももを外から掴みすくいあげると、そのまま思い切り相手に体重をかけた。片足でよろめいた対戦相手は、そのまま土俵に沈んだ。決まり手「足取り」。惣吉が勝った。

「おれのおかげだな」
源太がにやりと言う。
「おう、おまえのおかげだ」
惣吉も応えた。

後の世に「他人のふんどしで相撲を取る」というのは、「自分は労せず、他人の作り上げたもので、利を得る狡猾な行為」のように言われるようになったが、本来、ふんどしを貸し借りできるような熱い友情を前提に成立した物語であった。
翌年優勝した源太が侍になっても、惣吉と源太の交流は続いた。
飲むたびに
「あの時、おれがふんどしを貸したから、お前は勝てたんだ」
と何度も嬉しそうに源太が言うのを聞き、事情を知らぬ者たちが曲解して今に伝わっているらしい。
「他人のふんどしで相撲を取る」の語源となった故事である。(すべて大嘘です。内容はひとつも信じないでください)

**連続投稿234日目**

【参考】稽古まわしの作り方

★これを書こうと思うきっかけになった、わが師のnote

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