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天狗党ルート逆走②〜新保から木の芽峠〜

前回のチャレンジから、ちょうど一週間。
今日の敦賀は、28度を超え夏日だ。
これならさすがに、雪も溶けているだろう。
「天狗党チャレンジ、行ってみよう!」
とバイクに乗って『新保』に向かった。

『武田耕雲斎陣屋跡』から、頭の中の地図と実際の道路を見比べながらゆっくり走ると、前回見落とした看板を発見。

峠まで距離1.8km、高低差200mほど。
しばらく、運動をサボっていたので、自信はなかったが、
「まあ、ダメなら帰って来ればいいや」
とバイクを停めて歩き出した。

私にとっては、木の芽峠といえば天狗党なのだが、実はこのルートは古代からいろんな歴史上の有名人が通過している。

紫式部。
永平寺を開山した道元禅師に親鸞、蓮如。
新田義貞、豊臣秀吉。(当時は羽柴かな?)
芭蕉。


たぶん、紫式部だけは輿に乗っての旅だったのだろうが、残りは皆、徒歩。
しかも、道元さんなんて、永平寺から病気療養に向かう途中だったというのだ。
病人が歩ける山道を健康体の私が歩けないでどうする、とぜーぜーしながら歩く。
山とか坂とか階段とか、本当に嫌い。

道元さんといえば、

両親の死後に母方の叔父である松殿師家(元摂政内大臣)から松殿家の養嗣子にしたいという話があったが、世の無常を感じ出家を志した道元が断ったと言う説もあり、逸話として「誘いを受けた道元が近くに咲いていた花を群がっていた虫ごとむしりとって食べ、無言のうちに申し出を拒否する意志を伝えた」とある。
Wikipedia「道元」

なんて記述があったが、「虫ごとむしり取って食べる」のが、なぜ拒否の意思表示になるのか、よくわからない。
「お前の養子になるくらいなら、虫でも食って生きていくわ!」
ということなのだろうか。

道は、山裾に近いところだけ、それとわかるくらい整備されている。
杉木立が並び、街道の風情だ。
石垣を組んで作った棚田の跡もある。
昔の人は、かなり標高のある、こんなところまで田んぼにしたのだなあ。

天狗党の人たちがここを通った時には、雪に埋もれて田んぼは見えなかったと思う。
けれど道が広くなり、里が近いことはわかったはずだ。
北陸に入ってから、何度目かの雪の峠越え。
何度越えても、里が近づくとホッとしたことだろう。

高度が上がると、道はどんどん隘路になる。
私にとって「道」とは、平らで、せめて体の幅くらいはあってほしいものなのだが、ここでは、そんな贅沢は言えない。
山の斜面に沿って、靴の幅ほどの細い踏み跡が続く。
その下は20mほどの崖になっていて谷底を急流が走る。
落ちたら、上がれる気がしない。
空身の私でさえ、踏み外しそうなところを、彼らは武具に身を固め、おまけに大砲や砲弾まで運んでいた。
どれほどの緊張感だっだろうか。

後世書かれた天狗党の物語はたくさんあるが、雪の峠越えを詳しく書いているものはあまりない。
彼らの残した日記自体、とても簡素なもので「大雪につき難渋した」程度の記録しかないため、詳細は想像するしかないのだ。

その中にあって「魔軍の通過」(山田風太郎著)や「天狗党が往く」(光武敏郎著)は、フィクションだからこそ、彼らの苦難を丁寧に書いていて面白い。

雪の山道を歩きながら
「なぜこんな苦行を?」
「一体だれのために?」
「これが本当に日本の役に立つのか?」
など浮かぶ思いに気を取られていると、滑って谷底に転落しかねない。
必然的に、目の前の一歩、足元の安全だけに意識を集中せざるを得なくなる。

厳しい、と一言で表現するにはあまりに苛烈な北陸の冬を進むには、高邁な思想などより、一歩を進めるための集中力だけが必要だったのだろう。

私も、体力と山歩きの技術の無さから、「これは死ぬかもしれない」と覚悟して歩いていたので、余計なことを考えている余裕が一切無く、何となく彼らの気持ちがわかったような気がした。
(注: これは、私だからです。新保から木の芽峠までは、たぶん、雪のない季節のハイキングコースとしては、難易度1くらいの初心者コースだと思われます。)

さらに進むと、道の上に雪が覆いかぶさり、ひさしのようになっている。

下界は28℃。そこから100mばかり登ると、これなのだ。
冬の雪溜まりの凄絶さは、どれほどのものだったのだろう。
馬が荷を背負って越せない雪の山道を、よく人力だけで進軍したものだ。
人間って、実はちゃんと育てれば、相当すごい力を秘めてる生き物なのかもしれない。

さらに登ると、木の芽川の源流の泉があった。明治天皇が立ち寄られ、ここで水を飲んだとされている。

何でわざわざ好き好んでこんな山奥へ、と思うけれど、たぶん、明治天皇の北陸行幸の際に、立ち寄られたのだろう。

ここから峠までは、ほんのわずかだ。
石畳が敷かれた山道を登り切ると、かつて「峠の番所」だった建物が現れる。
平家の子孫、前川家が代々ここを守っており、茅葺のどっしりしたこの屋敷は築年数500年を超えているとのことだ。

福井県は、この峠を境に「嶺北地方」と「嶺南地方」に区分される。
私が住む敦賀は嶺南、今登ってきたルートは、嶺南側のルートである。
嶺北側を見下ろすと、峠のすぐ下まで雪が残っていた。

峠の一軒家にお住まいの前川さんのご先祖様は、天狗党が来た時にもここにいらっしゃった。
この家も天狗党の地獄の雪中行軍を見ていたのだなぁ、と思うと感慨深い。

ドラえもんの道具に「ものの記憶を引き出すスプレー」なんてのはなかったかしら?
「蟲師」の中には、古木の記憶を実際見ているように体験させる蟲がいたはずた。

欲しいなぁ。
彼らは、どんな出立ちで雪の峠を歩いていたんだろう。
今1番知りたいことは、それだ。

**連続投稿73日目**

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