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EneKey(エネキー)から考える天狗党

神奈川に住んでいた頃、乗っていたバイクが燃料タンクの小さな50㏄の原付だった。
なので、だいたい三日に一回くらいのペースでガソリンスタンドに通っていた。
そのたび小銭を用意するのがめんどくさいし、じゃらじゃらと釣銭をもらうのもイヤだしと思っていたら、「EneKey(以下、エネキー)」というものをお勧めされた。

この小さな、平行四辺形の黒いプラスチックのキーホルダー様のものがクレジットカードに紐づいていて、ガソリンスタンドでのキャッシュレス決済が可能になるという。

「でも、この先、引っ越したら使えなくなったりしませんか?」
「大丈夫ですよ。エネオス石油は日本中どこでもありますから、使えないところはありません」

そういうものかと思って、エネキーを作った。
しばらくは、本当に便利だった。
財布を忘れても、ガソリンが入れられる。
すごい。

しかし、敦賀に来てみると、全く使えるところがなくなってしまった。
いや、エネオス石油はあるのだ、あちこちに。
けれど、セルフのガソリンスタンドがない。
セルフでないところは、エネキーが使えない。
どこのスタンドでエネキーを見せても、
「うちでは使えないですねえ」
と言われる。
結局、エネキーは邪魔な飾りになってしまった。

ここからは、単なる仮説である。
おそらく、大都市圏ではガソリンスタンドに対して、車の数が多すぎ、求人が間に合わない。
だから、セルフスタンドをたくさん設けざるを得ない。
そうすると、エネキーやそれに類するものが、主流になっていく。
ところが、地方に行くと、スタンドと車の数はだいたい需給が一致していて、しかも、慢性的に仕事がない土地柄なので、セルフスタンドを増やして仕事を取り上げるわけにいかない。
なので、いつまでもエネキーは導入されない。
同じ日本国内でも、これだけの差がまだあるのだ。

敦賀はかなり気に入っているので、エネキーが使えないくらいどうってことはない。
ただ、現代はインフラが整備されて大都市と地方の差がなくなったといえども、まだ、こういう小さな差は残っている、という例を挙げてみたかっただけである。

幕末の頃は、この「差」は、もっととんでもなく大きかったのだろうと思う。

天狗党を生んだ水戸藩は特殊な藩で、参勤交代が免除されていた。
藩主は常に江戸の屋敷にいて、水戸にいることの方が少なかった。
だから、水戸藩の侍たちは、何かあるとすぐに江戸の藩主のもとに行った。
江戸っ子ではないが、今でいう首都圏の人間ではある。
当時の地方の実態を知らない。
水戸と江戸とその近辺しか知らなければ、日本は豊かな国だと思っていた可能性だってある。
太平洋側は、温暖でコメもたくさんとれるし、あらゆるものが江戸に集まってくるのを見て知っているわけだし。
だから、「尊王攘夷」「横浜鎖港」なんて、軽々しく言えたのではないだろうか。

天狗党が旗揚げした時、掲げていたこの二つのスローガンは、投降した際には、「え?僕たち、最初からそんなこと考えていなかったんですよ」というくらい出てこない。
「水戸藩内の対立する派閥のトップが悪い奴で、あいつを倒さないことには藩が良くならないと思って挙兵した」
投降文には、こんなようなこと書いてある。

ずっと思っていたのだけれど、これは行軍の途中で、大都市圏と地方の山村との暮らしの差にカルチャーショックを受けて「攘夷、無理!」「鎖港、無理!」と方針変更したのではないのか?
延々と山間を通る中山道、美濃から北陸へ至る峻険な山道、どうやってもコメなどとれない山間の村で、雪道を歩くためのわらじ一足を編んでもらうのにも苦労して、貧しい日本の実態を初めて知ったのではなかったか。

金と資源を持ってる方が勝つのが戦争だ。
「どっちもない日本で、尊王攘夷なんて、無理ー!」
と身をもって知ったのが、天狗党なのだと私は思っているのだけれど、どうなんだろう。
誰か、そんな本書いていないかしら。

**連続投稿214日目**

(追記2022.09.02)
敦賀に住む友人から「出光系列で使えるドライブペイなら、敦賀にもありますよ」と連絡いただいた。仮説がいきなり覆った。これだから『ちゃんと調べて書かなねばならない』のだな。
「とにかく書く!」をモットーにした#毎日note なので、文章の内容の修正はしないが、エネキーは使えなくても、ドライブペイは使えることを、ここに追記しておく。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。