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【北陸ウミウシ日記】富山のウミウシハンター来たる!

きっかけは、この記事だった。

同じ北陸に、素潜りでウミウシを探している人がいる、と嬉しくなり、「私も敦賀のウミウシハンター目指すぞ!」というnoteを書いた。
それをTwitterでシェアすると、ある日、ご本人からこんなコメントをいただいた。

うっひゃー!本物だ!
浮かれていると、今度はFacebookの「ウミウシ素敵。」というグループに投稿した私のウミウシ写真にコメントをいただいた。
撮影技術に関する丁寧なアドバイスだ。
なんていい人なんだ、やっぱり、ウミウシ好きに悪い人はいないな、としみじみ思った。

ももりんさんのプロフィールを拝見すると、なんと、あのオードリーのお二人が卒業した日大二高のご出身だ。
若ちゃんが春日の襟足をハサミでチョキチョキしていた校舎で、若ちゃんが体育の授業を受けた体育館で、若ちゃんがアメフトに励んだグラウンドで、同じように高校時代を過ごした方なのだ!
それだけで、一気に親近感が青天井になってしまった。

そしたらなんと!
昨日から、ももりんさんが、富山から福井にウミウシハンティングに来ていると!
一緒に潜る仲間を探していると!
よかったら、はんださんどうですか?と!!
そりゃもう、1も2もなく、行くに決まってる。

……決まってるんだけど、問題が2つ。
私のバイクが現在、修理中で足がない。
その修理中のバイクに、ウエイト(潜るときにつけるおもり)を載せたままなので、どう頑張っても潜れない。

その旨伝えると、ももりんさが迎えに来てくださり、おまけにウエイトも3㎏までなら車に積んでるから、貸せますよと言って下さった。
神だ。
私は、今日、神とウミウシを探してきたのである。

ほーら、見て見て。
ももりんさんが見つけたウミウシたちだ。
もう、二度と会えないかと思っていた「エリシア・ジャポニカ」と「キイロウミウシ」までいる。
ウミウシがいないわけではなく、私の探し方が甘かったんだなあと痛感した。

そして、こちら。
ももりんさんのおかげで、初めて会えた子たち、2種類。
写真は拡大してあるけれど、どちらも5mmくらいの小さなウミウシだ。
よく見つけられるものだなあと、感動してしまった。

ヒラミルミドリガイ
ハクセンミノウミウシ

どちらも、遠目にはゴミにしか見えない。
これをウミウシだと認識できるのは、やっぱり、ウミウシ・アイを鍛えてきたからなのだろう。
私も、もっと図鑑を目に焼き付けるほど、読み込まねば。
いや、その前に遠近両用のマスクを作るのが先か。

水中の安定感がすごいももりんさん
「僕はフリー素材なので」とおっしゃってくださったので遠慮なく。

今回、ももりんさんといろいろお話しできて、気付いたことがある。

ひとつめ。
体の使い方を変えると、体にかかる負荷が全然違うということ。
私は、ウエイトを重めにつけても、どうしても水中で下半身が浮いてしまう。
特に、お尻から太腿にかけての浮力がすさまじく、海底と平行に潜っているつもりでも、腰から下がエビ反るくらい浮く。
これは、脂肪のせいだから、痩せなくてはどうにも解決できない問題なのだろうとずっと思っていた。
ところが、ももりんさんは、たぶん、体の使い方のせいだろうとおっしゃる。
下半身の力を抜いて、浮力のなすがままにしてしまうと、腰から下が浮いてエビ反り状態になってしまうのだが、そこで、腰にぐっと力を入れて浮力に抵抗し、膝を底(または岩壁)に近づける意識でいると、下半身が浮かずに体をまっすぐに保てるのだ、と。
この「浮力に抵抗する」というのが、慣れないととても難しくて、今日は、1,2回しか「できた!」と思えなかったのだけれど、できた時はたしかに変な体勢にならず楽だった。

そういえば、昔、サスケくんという木登りの天才に、マンツーマンレッスンを受けていた時、どうやっても彼のオランウータンのような登り方が真似できない私が、半べそかきながら
「サスケ君と私とじゃ、体重も筋肉量も違うんだから、同じことはできないよ」
と、文句を言ったことがある。
その時、サスケ君は
「もし僕が、今、はんださんと入れ替わったとしても、絶対、同じように登れる自信があるよ。筋肉じゃなくて、体の動かし方の問題なんだよ」
と言った。
そうだった、そうだった、思い出した。
ジャンルは違えど、天才というのは、体の動かし方のコツを自分で編み出す生き物らしい。
これからしばらく、ももりんさんの教えを意識して実践してみようと思う。

ふたつめ。
他人の自由を「安全」を盾に侵害してもいいと思っている人たちが、まだ一定数いるということ。
私は神奈川にいた時、プレイパークづくりの活動に関わっていた時期があり、そこでのモットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」だった。
子どもも、大人も「自分の力量を自分で知って、その責任がとれる範疇で、自由に遊んだらいいじゃん」という意味だと思っている。

木登りも、ウミウシ探しも、海の洞窟探検も、私にとっては、過去の経験からこれくらいだったらできそうだな、と思ったことをしているに過ぎない。
できないと思ったら、そもそもやらないし。
危ないと思ったら、引き返すし。

ももりんさんは、夏は海、冬は山で、圧倒的にソロ活動が多いらしい。
しかも、山ではフリークライミング。
知らない人が見たら、卒倒するほど危険な遊びである。
自分の物差しでしか、他人を評価できない人たちは、命綱も付けずに崖を登ったり、木登りしたり、ひとりで海に行くことを、危険なこと、禁止すべきこと、と判断しがちだ。

私は幸い、周りにプレイパーク育ちの人たちが多いので、止められたり、危ないと文句を言われることは無いのだけれど、ももりんさんのところには、一定数、そういう「危ないからやめなさい」攻撃が来るらしい。
これが、とっても不思議でならないのだ。

SNSを見ていると、この10年くらい「やりたいことをしよう」「自由に生きよう」的なプロパガンダがあふれているように見える。
そして、多くの人は、それを歓迎しているように感じる。
なのに、他人の自由については、それが自分の物差しに照らして危険だと判断すると、すぐに「禁止」という発想に向かう。
なんでだろう?
やっぱりSNSは、ごく一部の人たちのもので、世論を反映する装置ではないからなのだろうか?

私やももりんさんが、ソロ活動を好むのは、自分の責任を他人に背負わせたくないし、逆に、他人の責任を背負いたくないからだ。
もし一緒に海に行った人に、何かあったら、その人を助けられなかった罪悪感は一生消えない。
逆の場合は、その人に罪悪感を背負わせることになる。
どっちも嫌だから、ソロ活動が多くなる。
それだけのことなのだけれど、それが危険だと言われたら、自分のやりたいことは、どうやって叶えていけばいいのだろう?

他人のすることに無関心であれ、と言いたいわけではない。
逆だ。
関心を持って、見てくれていれば、危険かどうかは自分で判断しているんだな、とわかりそうなものなのに、それを自分の常識だけでシャットアウトして、わかる気もなさそうなところが悲しいのである。

「安全」というのは、とても大事な概念だけれど、時として、それは人を縛り付けるものになる。
そこをわかってもらえない人とは、私は、きっと仲良くなれないと思う。

休憩中にそんなお話ができて、お会いする前よりずっと、ももりんさんに親近感がわいた。
今度は、私が瀬戸内の海にお招きしたい。
それまでにもっと練習して、素潜りがうまくなっておかなくちゃ。

**連続投稿594日目**


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