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帰りたい場所ってどこだ?

18歳で実家を離れた。住んだところは札幌。地縁も血縁も全くない土地である。大学の女子寮に入寮したのだが、最初のひと月は、気心知れない人たちの中で緊張していたので、いつも「帰りたい」と思っていた。

「帰りたい」と思うとき、頭に浮かぶのは、高校時代の友人たちの顔だった。だが、帰ったところで彼らはもういない。大学進学とともに全国に散っていったから。帰れる実家はあっても、そこはもう、私の帰りたい場所ではない。誰もいない、ただの思い出の中の場所だ。「帰っても仕方ない。あそこはもう私の居場所じゃないんだ」と必死に言い聞かせて毛布を握りしめ、寂しさに耐えていた。

入学から四か月過ぎ、夏休みが来た。実家に帰省し、めいっぱい友達と遊びまくり、夏が終わるころに札幌に戻ってくると「ああ、帰ってきた」と感じた。よそよそしかった札幌の街に、少しずつ私の足跡がついた場所が増え、友達もできて、いつの間にか帰りたい場所になっていたのである。物心ついてからずっと慣れ親しんだ土地を離れてみて、初めて自分一人で居場所を得た経験だった。

大学卒業後も、就職、結婚、離職などで、あちこち引っ越しを経験した。尼崎、大和、相模原。最初こそ違和感はあっても、すぐに馴染んで、そこが「帰る場所」になった。その土地ごとに大好きな友達もできた。

そして今、敦賀に住んで「こんな暗くて雨と雪ばかりの冬が続く土地は嫌だ、早く引っ越したい」と思っていたのに、やっぱり、ここが「帰る場所」になっている。昨夜、都内から戻り敦賀駅のホームにいる恐竜博士の銅像と再会して「帰ってきたなぁ」と思えた。神奈川にいつか戻ろうと思っていたのに、すでに「もう神奈川でなくてもいいか」と思っている。

どこにいてもその時は「今住んでいるところが大好きだし、できればずっと住み続けたいし、離れてもいつか帰ってくるんだ」と思っている。心からそう思っているのだが、離れてしまうとスーッと興味が無くなる。いつもそうだ。土地への執着がないというか、今以外どうでもいいというか。

どうしてこんな話を延々と書いているかというと、最近読んでいる認知症関連の本の中に「徘徊は、帰りたいところに帰ろうとしているだけで、意味もなくうろついているわけではない」というような解説があり、だいたい皆さん、最も幸せな記憶が詰まっているところに帰りたがるのだと書いてあったからだ。それで考えてしまった。私がもっと年をとって、認知機能が阻害され、ここではないどこかに帰りたいと強烈に思うとしたら、それはどこなんだろうか?と。

常に今が一番楽しいなーと、よぼよぼのおばあちゃんになっても思っていられるとしたら、それはとても幸せなことだと思う。
「帰りたいと思ってホームを出たけど、帰りたいところはここだったわ、あっはっは」
と笑えたら、長生きするのも悪くないと思えそうだ。

あと一年と少しで夫が定年を迎える。どこに住もうかと今からワクワクしている。終の住処は長い人生のなかで、初めて会社や学校の都合ではなく、自分で選べる場所だ。住む前から「ああ、ここに帰りたかったんだ」と思えるところに巡り合いたい。

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