見出し画像

考えることなんて、それしかないだろ

知人のnoteで、「Facebookのアカウントを残したまま、過去の投稿を読めなくする設定」があることを知った。
しかも、その設定を行なってもメッセンジャーは使えるので、連絡を取り合うことはできるらしい。
仕事の連絡が来ることがあるので、Facebookを退会することは考えていなかったが、この設定を使えば、あたかも退会したかのようにFacebookの無い暮らしを送れる。
これは便利だと、早速設定を行なって1週間が過ぎた。

いわゆるSNS断ちである。

禁断症状が出てくるかと思っていたのだけれど、今のところそんなこともない。
変わったことといえば、シェア先が1つ消えたので、そこからnoteを見に来てくれる人がいなくなり、スキの数が減ったことくらいか。

空いた時間は、ひたすら外を歩きながら、音楽やラジオを聴いている。

結局のところ、私はこれまで、現実を無いことにしたくてSNSに逃避していたのだなとわかる。
ボーっと他人の投稿を眺めるのと、ボーっと音を聞くのは、基本的に同じことだ。
脳に隙間を作りたく無いのだろう。
時間を無駄に消費するという行為は、脳の空きスペースを何かで埋めて、向き合うべきことを無視するためにしているのだと思う。

愛媛にきて以来、断酒を続けていた夫が再び飲み始めた。
やはり、依存症を自力で克服しようというのは、無理なのだろう。

私は、ライター1本で自分を養っていくことを夢見ていたが、現実は全く思うように進んでいない。
いざという時、いつでも1人で生きていける経済力を身につけたかったのに、文章で身を立てられるだけの才能は無かったようだ。

昨日、バイト情報誌をもらってきた。
島のみかん農家さんで、出荷アルバイトを募集しているのが、やたらと魅力的に見える。

パソコンも、Wi-Fiも、スマホも、全部捨てて農家さんのお手伝いで生きていくのもいいな、なんて思ったり。

わかっている、これも逃避だ。
まずは、夫を捕まえて話し合え。
考えることなんて、それしかないだろう?
結論を焦るな。
逃げるな。
ゆっくり丁寧に、博打でない未来を考えろ。

**連続投稿744日目**

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。