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絵本

子どもらが成人して家を出てからもう4年経とうというのに、いまだに処分できないものがある。

それは、絵本だ。
本棚いっぱいにあったうち4分の3は、もらってくださる方に差し上げてきたのだが、子どもたちのお気に入りの絵本は、やはり手元に置きたくて、今も本棚二段分を占めている。

「いつか孫が生まれた時に」
とかなんとか理由を付けているけれど、たぶん、孫なんて生まれちゃったら狂喜乱舞して新しい絵本を贈ると思うので、ここにある絵本が活躍するときは二度と来ないだろう。

単なる自己満足で貴重な本棚を占拠するのは、よろしくないと思っているし、床に積み上げられた本たちを、早く棚にしまってあげたい。
けれど、名作絵本はどれも、くすりと笑わせてくれたり、名付けようのない寂しさを感じさせてくれたり、勇気をくれたりと、描かれる感情世界が豊穣で、絵本の中でしか味わえない気持ちを体験できる優れたコンテンツなのである。処分なんて考えられない。

私が今も時々読み返したり、人に勧めたりしている絵本の一冊に「ウエズレーの国」という作品がある。

ウエズレーが住む町では、家のかたちはどれも同じで、男の子はみんながみんな、頭の両側をツルツルにそりあげている。ピザもコーラもだいっきらい、サッカーにも興味なし、へんてこな髪形のウエズレーは、いつもひとりだけはみだしていた。そんなウエズレーが夏休みの自由研究で取り組んだのはなんと、「自分だけの文明」を創ること! 誰もみたことのない作物を育て、自分でつくった「きかい」で服を作り、遊びや文字まで発明、次々と浮かぶアイデアを実現していくウエズレー。はじめは遠くからながめていた近所の子たちも、そのうち…。

あらすじ

とても強いメッセージ性のある絵本で、無理やりそれをまとめると「同調圧力に屈せず、自分が面白いと思うことを貫けば、人はあとからついてくる」といった、立志伝的人物が語りそうな人生訓のようでもある。かといって絵もストーリーも決して説教臭くはないし、発明の数々がおもしろいので楽しく読めるし、私は大好きだ。
しかし、今になってこの本をわが子らがどう受け取っていたのか、気になってきた。

もしも、学校で人間関係に悩んでいた時にこの本を読み聞かせられていたら、どう聞こえただろう?
勇気づけられる場合もあれば、「一人でも負けるな」と孤軍奮闘を後押しするように働いた場合もあっただろうし、圧倒的な魅力がないと友達はできない、他人を味方につけようと思ったら、センスや才能が大事なのだと曲解したかもしれない。
これくらい受け取る人の状況によって、評価が分かれる本もないなあと思い始めたのである。

というのは、この本についた、こんなレビューを見つけてしまったからだ。

<カルトっぽくて気持ち悪く感じる>
夏休みに何にでも使える不思議な植物を手に入れたことをきっかけに独立共同体みたいなものを作る話です。その創造性はいいと思うんですが、共同体を作ること、教祖化することの危険性みたいなものに無自覚なのが気になりました。実際にこの本の内容を行うと、絶対に学校や地方自治体、政府などと揉めることになります。そういうことは一切描かれていないです。主人公の内面は描かれず、子供なのに問題があっても動揺しない。超人としか見えないです。人間性を感じない。仮に宗教団体がプロパガンダのために書いているとしても自分は驚かない内容です。
一つの材料からいろいろなものを作り出すという点で創造性という面から教育的な価値はあるとは思うのですが、それ以外は評価できないです。

す、すごい。
絵本に「学校や地方自治体、政府などと揉める」描写を求める人がいらっしゃるとは。これだけ荒唐無稽なお話に、妙なところでリアリティを求める人もいたものである。

評価が分かれる作品ほど、良い作品である、と言われることもある。しかし、「カルトっぽくて気持ちわるい」とまで書かれる絵本が、はたしてあらゆる子どもにとって、安全に面白く作品世界の中で遊んでもらえる内容なのか、と言われると、ちょっと自信が無くなってきた。

私は大好きなんですけど、みなさんはどう思われます?

**連続投稿119日目**

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