どうやったって子どもは育つ
前項、前々項と、ABAの基本を書いてきましたが、別に私は「怒らない子育てをするためにABAを推奨したい」わけではありません。
怒りたくないなら、使えるテクニックはこんなのがありますよ、ってだけで、誰がどんな子育てをしていようが、「いいんじゃないのー?」と思ってます。というか、最近、そういうふうに思えるようになりました。
それまでは、子どもは怒って育てちゃだめだ、存在そのものを受け入れなくちゃだめだという気持ちが強くて、人様の子育てを、身の程知らずにもジャッジしまくっていました。
が、そんな私にガツンと重たいパンチを食らわせてくれたのがこちらの本。「事故ル!18歳からの車椅子ライフ」
ちょっとAmazonの内容紹介を引用してみましょう。
気付いたら集中治療室のベッドの上。私はバイクで交通事故を起こして、病院に運ばれてきたのだった。それから始まったのは、壮絶な入院生活。いや、障がい者になることにも気付いていなかったことを考えると、脳天気な入院生活と言うべきか。そんな私に向かって母はいきなり「この死に損ないが!」と罵倒した。そんなんだから、もちろん病院での喧嘩は日常茶飯事。こうして私の障がい者人生がスタートした……。手も足も動かせない重度障がい者ながら、今では車いすで一人暮らしをしている著者。初めはもちろん、「障がい者」という事実を受け入れられずに苦しんだこともあった。しかし、これも与えられた人生なのだから、全うするしかない! 持ち前の明るさと、母との“戦い”から身につけた強さをバネに、著者がひとりの障がい者として自立していくまでを綴ったノンフィクション。
「「この死にぞこないが!」と罵倒した。」んですよ。
バイク事故である日突然、車いす生活になってしまった息子を!(*O*)
いやー、ぶったまげました。私の常識の中では考えられない出来事だったので。でも、それだけじゃないのです。このパワフルなお母さんは、介護している途中に、息子とケンカになり、カッとして息子の体の上にかかっていた毛布に火をつけるという恐ろしい行動までとっているのです!(笑)
ちなみに、この著者の安藤さんは、私のバイト先の元社長、今は相談役をされています。事故のあとから、大学受験をめざし、経済学部の大学院まで進学されて会社をおこしました。
本の中に再々出てきますが、お母さんと安藤さんは、障害を持つ前から言いたいことは言い合って、ケンカもバリバリしちゃうタイプ。車椅子生活になった息子を「かわいそうに」と何でもやってあげちゃうような、母性全開の慈悲深い受容タイプではありません。
そして、安藤さんはこのお母さんだったからこそ、『母の世話にならずに自活するには?』と考えて、自力で稼ぐ道を切り開いてきたと言っています。
何でもやってくれちゃうタイプの優しいお母さんだったら、今の安藤さんはいなかった、ってことです。(★お母様の名誉のために追記:安藤さんのお母様は直情型ではありますが、安藤さんの大学在学中は、車で送迎し、授業のノートを代筆し、とさまざまなサポートをされています。だからこそ、今の安藤さんがある、というのも真実です。)
つまり。
今の世の中、ありのままを受け入れるとか、共感とか、そういう寄り添いばかりが重視されていますが、子どもによっては、それではスポイルされてダメになっちゃうタイプも絶対いるってことです。
もちろん、安藤さんだって、乳幼児の頃から苛烈に育てられてきたわけではないと思いますが、それだって、ほんとのところは人それぞれです。小さい頃から逆境に負けない、信じられないほど強い子ども、というのも時々いますしね。親子の組み合わせによって、「こう育てたら、こんな大人になる」なんて公式はいかようにも変わると思います。
また、子育ては思春期でほぼ終わり、あとは子どもが自分で自分を作っていく時期ですから、親の影響下から離れて全く違う自分になりたいと思えば、それだって可能だと思ってます。
だとしたら、今やってる自分の子育てを「将来の子供に悪影響を及ぼしているのではないか?」と責めてイラつくのは、無駄でしかないともいえましょう。子どもの未来にまで責任を負う必要はないのです。
子どもは、「育てられた自分」が気に入らなければ、自分で変えていけるから。自分を変えられない人なんて、ほんとはいません。変えたくない人がいるだけです。
今だから言っちゃいますけど、私、子どもが離乳食を食べないときは、テレビ見せながら、ボーっとあけてる口に放り込んでましたよ、食べ物を。とにかく、今、お腹を満たして、速攻で外に遊びに行く、部屋をおもちゃで散らかす前に家から脱出する、というのが私の最大のミッションでしたので。
しつけなんて、どーでも良い、いずれ、腹が減れば自分で食べる、と思ってました。そして、実際、自分で食べてますし、偏食もなければ、箸の持ち方がおかしいってことも特にないです。
性格的な偏りは誰にでも一様にあるものでしょうから、それがすべて自分のせいだとも思いません。
どうやったって、子どもは育つ。それが実感です。