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毎日noteを書く理由

#毎日note は、文章修行の場ではなく、考えたことを最後までまとめる、思考の訓練をする場なのだそうだ。

それはそうだろうな、と思う。
デイリーにnoteを書き続けることを自分に課していると、テーマを吟味したり表現を練ったりする時間なんて、確保しようがない。
仕事終わりの眠い頭で「どうしよう、書くことがない」と焦りながら、何かしらを捻り出すしかない。
面白いものを書くことより、頭をよぎる思考のかけらのようなものから、まとまりそうなものを拾って、どう形にするかを考えるしかない。

だから、作品性にこだわる方々が「毎日書くよりも、時間をかけて考えた『これだ』と思うものだけを読んでほしい」という気持ちはよく分かる。
駄作を世間に晒したくないよね。
そりゃそうだ。

わかる!わかるんだけれども。

私の場合、時間をかけたからと言って面白いものができるとは限らない。
なぜなら、考えたことよりも出会った出来事の方に面白さの比重があるからだ。

私というフィルターに価値があるとは思っていない。
起きた出来事の方に圧倒的価値があるのだと思っている。

そうなると、毎日引きこもって、一日一回プール通いのために外に出るだけの現在、面白いものなんて書けるはずがない。
そうそう毎日、変なことは起きない。
ネタがない寿司屋は、おにぎりしか握れない。

我ながら不思議なのだが、だからと言って、もうnoteなんてやめちゃおうかな、とは考えない。
おにぎりしか出せないなら、米の炊き方や塩加減を工夫できるようになるしかないのだと思う。

書くことがなくても、毎日noteを書き続けるのは、そういうことだ。
自分を「書く人」に変えていく修行をしているのだ。

今日のおにぎりは、こんな感じです。
どうぞお召し上がりください。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。