敦賀便り21 わずか50年の間に
先日、時間ができたので、今年最後の釣りに行った。敦賀半島の西側へ、馬背峠(まじょうとうげ)トンネルを抜けるルートで往復した。このトンネルの上には、今は使われていない、二車線の立派な峠道がある。昔は敦賀半島を横断する道がこの峠道しかなかったので、海水浴シーズンにはよく渋滞したそうだ。
(画面中ほどの赤い印が馬背峠。その下を横に走る33号線の一部がトンネル区間である)
さて、このトンネルの出入り口付近には、かつて使われていた峠道へと続くルートが口を開けている。今はブロックやチェーンで封鎖されているが、時々何故かこのチェーンが垂れ下がっていて、バイクで入れることがある。多少熊が怖いけれど、行ってみる価値はある。
釣りの帰り道、いつも気になっていたそのチェーンが下りていた。これはラッキーとさっそく峠を登る。
峠道は使われなくなってから、そんなにたっていないようだ。冬には雪に覆われることもあって、さほど荒れてはいない。通行に支障が出るのはこれからだろう。
峠の上からは海が見えたり、紅葉した山々が見渡せてとても良い気分だった。
帰宅後、ネットで「馬背峠トンネル」を検索してみた。いつから峠道が使われていないのかを知りたかったのだ。すると、知らなかった事実に行きあたった。
馬背峠トンネルが作られた背景には、美浜原発の事故があったのだ。
国内の原発事故で死者が出たのは初めてのことだったという。小泉政権時代のニュースだ。幸い放射能汚染がなかったため、おそらく、事故当時もさほど尾を引いて報道されなかったのではないかと思う。でなければ、少しくらい覚えていてもおかしくないのに、私にとってこの事故は記憶のどこにも残っていなかった。地元には、大変な不安と悲しみが溢れていたことだろう。亡くなった作業員の最年少は29歳だったという。
事故の日付に注目してほしい。夏真っ盛り、海水浴シーズンだ。峠や海沿いの道は近隣のビーチへ向かう車で渋滞しており、救急車の到着や事故対応の初動も遅れたという。
この事故は、原子炉から離れたタービン建屋の事故であり、繰り返すが放射性物質が漏れだすような類のものではなかった。しかし、近隣住民は仮にこの先、重大な事故があった時、今回のような渋滞と重なり逃げ遅れたら?と誰もが恐怖を感じたに違いない。そこで原発の立地交付金を投入してできたのが、馬背峠トンネルだったという訳だ。事故の翌年には工事が始まり、分厚い花崗岩の岩盤を掘りぬいて、四年で完成させている。異例のスピードだろう。地元福井県は、このトンネル工事の費用を一切負担していない。全て交付金で作られたトンネルである。
ところで、敦賀半島には、あまり人が住んでいない。半島の東側には、廃校になった鉄筋コンクリート造の小学校の校舎も残っているし、先端に行くほど地元の人を見なくなる。居るのは他県ナンバーの釣り客ばかりだ。その人口の少ない半島に、もんじゅ、ふげん、敦賀原電、美浜原発など7つの原子炉が建てられている。(現在稼働中なのは一機のみ)敦賀原電からの電気は、大阪万博に送られ、会場で「今、この会場に原子力の灯がともりました」とアナウンスされたという。日本で2番目に古い原発だ。
2021年3月8日付の朝日新聞の記事によると、敦賀半島には520人の住民のために40億かけて道路やトンネルが整備されているらしい。これを「520人のため」と言い切る感覚が私には不思議だ。
しかし、今回書きたかったのはそこではない。
国策として作られた原発は、今、あちこちで使用年限を過ぎ、次々と廃炉になっている。事故のあった美浜原発も同様だ。三機ある中、使われているのは三号機のみ、これも40年の使用年限を過ぎているところを、足りない電力を補うために無理矢理稼働させている。同じ半島にある敦賀原電は2機とも廃炉、もんじゅ、ふげんの二つの研究炉もなんの成果も上げられないうちに廃炉が決まった。
先日、この三号機の再稼働に反対するデモが行われた。雨の中、誰もいない原発付近の海沿いの道を、警官に先導されたデモ隊がとぼとぼ歩いていた。誰も聞いていないシュプレヒコールが波音と混ざり合い海に消えていく。
みんな知っている。
3.11以来、原発は人類の夢のエネルギーなどではなくなったことを。
国内に新しい原発はもう建てられないだろう。今ある原発も耐用年数を過ぎれば廃炉が進み、将来、この国には原発は無くなるものと思われる。声高に反対しなくても、いずれ無くなるものなのだ。残るのは、引受先のない核のゴミと、他に産業のない街で原発に頼らざるを得なかった人たちと、新しい道路とトンネル。
そして今、開通したての新しい道路やトンネルも、原発がなくなり、税収や交付金が消え、原発に通勤する人たちがいなくなれば、やがて、メンテナンスが立ち行かなくなり、馬背峠のようにひび割れ、草が生え、落ち葉に覆われていく。
国策とはなんだろう?
国策とは、巨大な人の意思である。
わずか50年で正反対に振れる人の意思。
他人の意思に翻弄されて生きるということは、どれほど辛いことだろう。やがて無くなるものにすがり生きなくてはならないというのは、どんな気持ちがすることだろう。
自然はあっという間にその意思が作り出したものを飲み込み、何事もなかったように四季を繰り返していく。
自然の美しい敦賀にいると、人の営みなど一瞬でしかないことを、痛切に感じる。
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