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ていねいな子育て②

本屋に行くと子育てコーナーには「褒めて育てる」「叱らない子育て」「にこにこママが天才児をつくる」(全部テキトーに書いてます。ほんとにこんなタイトルあったら、著者の方ごめんなさい)などなど、「母ちゃんは怒るな、母ちゃんは笑っていなさい」という圧をかけてくる書籍が並んでいます。

そして、私たちは、みんな「怒ること」が良くない事だと思っているので、怒る自分は嫌いだし、怒った後で子供を泣かすのも後味悪いし、嫌だなあ、できるだけ怒りたくないなあ、褒めて育てたいなあ、と思ってはいるわけです。

なのに、なんで怒っちゃうんだろう。
よく聞くのが「私だってほめたいのに、うちの子にはほめるところがない!」という苦悩の叫び。

本当にそうでしょうか?

私たちは「できたことをほめられる」という風に育てられてきました。なので、当然、子どもも「できるところ」を見て褒めようと思うし、できないところは何とかしてあげたいと思ってしまう。親心ですねえ。

が、「できたところだけ」ほめようとするから、褒めポイントが見つからないのです。じゃあ、どこをほめたらいいのか。

①あたりまえにしていること
②すでにできるようになっていること
③やろうとしている良い行動
④失敗してしまったけれど、やろうとした良い行動

これです。

たとえば、食事中に立って歩きまわってしまい、遊びながら食べるため、なかなかご飯が終わらない。
こんな時、私たちはつい「できないことを改善するにはどうしたらよいだろうか?」と頭を巡らせてしまいます。
でもそうじゃなくて、できている時を見る。①のあたりまえにしていることに着目するのです。
たぶん、最初からずーっと遊び食べしている子、というのはいないと思うので、座って食べている時間もあるはず。
が、親としては「できるのは当たり前」と思っているので、ここが褒めポイントだとは思えない。なんでこんなこと褒めなくちゃいけないの?と思ってしまう。

「おお、●●ちゃん、ちゃんと座ってご飯食べているんだねえ、えらいなあ。お母さんが作ったお料理を、座って食べてもらえると、お母さん、本当にうれしいな、ありがとう!」
若干大げさでもいい、私、女優か?ってくらいの勢いで、できているときに褒めてみてください。

子どもはお母さんに褒められたい、いつも見ていてほしい、かまわれたい生き物です。なので、できている時にこそ、見て、かまって、褒めまくると、なるほど、これをしたらお母さんは私を見てくれるのね、と学習するのです。

前項で話した「マッチング」ですね。こうすれば、こうなる、がわかるってこと。

ところが、これ、逆に、立ち歩きだした時に「ちゃんと座って食べようね」「もういらないの?」「お母さんがもらっちゃうよ」なんて声をかけだすと、子どもにとっては、黙って食卓でご飯を食べているよりも、立ち歩いて遊んでいるときの方がお母さんの注目が増え、言葉かけが増え、かまってもらえるわけですから、「こっちの方が、かまってもらえる」というマッチングが成立しちゃうわけです。
なので、食事中の立ち歩きは、できてる時に褒めて、どこか行っちゃったら、その時点で「ごちそうさまだね」と片付けちゃうのが良いと思います。

この時「次のご飯までにお腹がすいて機嫌が悪くなったらどうしよう」とつい考えちゃいがちですが、そしたらしめたものです。次のご飯は空腹できっちり食べてくれるでしょう。

おやつの買い置きをやめると、家に食べるものが無いので与えることもなく済みます。「誰か遊びに来たときに、お出しできるものがないと」と思うのであれば、手ぶらでうちの家に来ることは厳禁ですと、徹底しましょう。(笑)よその人の都合より、まずは、大事なわが子です。私と子ども最優先。私と子どもが気持ちよく過ごせることをまず考えましょう。

遊びに出た先で、次の予定があるのに、なかなか帰れない、遊びに夢中でおいとまできない、というのも、同じ方法で対応できるかと思います。時間に間に合うように帰れたときに「ありがとう!●●ちゃんが、途中で遊ぶのをやめて一緒に帰ってくれるから次の用事に間に合ったよ、助かった!」です。

子どもといえど、一個の人格を持った人間であり、本人のやりたいことを遮って、お母さんの用事で連れまわしているのだ、と考えたらとりあえず、ありがとうって気持ちにはなるじゃないですか?

でもこれが、「まったくもう、時間迫ってるのに、ぎりぎりまで粘るから、いつもバタバタでほんと、こまるわ」とぷりぷりしていたら、子どもにしてみれば、せっかく途中で遊び止めて帰るのに、踏んだり蹴ったりですよね。(笑)「言う事を聞いても良いことはない」というマッチングが成立。

わが子ではなく、たとえば自分の友達に、楽しんでいる用事を切り上げて私の用事に付き合わせている、と思えば、自然と「ごめんね、ありがとう」が出てくると思います。同じです。子どもにも、感謝を。

そして、これは、先ほどのご飯の時の例と通じるのですが、子どもはある程度の年齢になるまで、一番大事で一番大好きなのはお母さんです。たとえ、お友達と遊んでいるときでも、振り向いたとき、お母さんがいる、呼んだらお母さんが来てくれる、ってことほどうれしいものはありません。遊び場で、子どものしてほしい遊びに適宜付き合ってあげていれば、帰る時のやり取りもスムーズになる気がします。

遊んでる時は、お母さんは、呼んでも来てくれないけど、「帰らない」ってごねれば、お母さんとの会話が長引く、それだけ、お母さんは私を見てくれる、うれしい、というのがこどものその時の気持ちなのかもしれません。

私のことを直接知ってる方はご存知かと思いますが、私、大人と話すより子どもと遊んでる方が気楽です。なので、うちの子たちが小さい時は、公園でもお母さんの雑談の輪に入るより、子どもといる方が楽しかった。その効果なのかどうなのかは、今となっては比較実験ができないのでわからないのですが、帰り際にぐずられた記憶っていうのが一回もありません。

いずれ離れていくのだから、めんどくさいなあと思わずに、付き合ってあげると良いこともありますよ。(^-^)

私はだいたい、子どものいうことを10きいてあげたら、こちらの要望も1かなえてくれるくらいだろう、と期待値を下げていたので、2叶えば超ラッキーくらいに思ってました。3叶えば、もう、赤飯ものです。

2,3歳児って、そんなものだと思います。こちらが尊重の姿勢を見せれば、あちらも徐々に尊重してくれる。ギブアンドテイクですね。

(つづく)

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