さびしさの刷り込み

一目ぼれは信じていないのだが、映像や音楽の中には「これに出会うために生まれたんじゃないか」と思わせてくれるものが稀にある。

私にとっては、「たま」がそうだ。初めて会った23歳の時から、解散するまでずっとずっと大好きで、ツアーを追いかけ、ライブの出待ちまでした。後にも先にも、あれほど入れ込んだのは彼らだけだった。中でもとりわけ知久さんにぞっこんで、誰にもまねできないあの歌声と、不思議に寂しくなる曲の世界にやられっぱなしだった。

出会った瞬間に「これだ!」と思えるということは、私の中に「これ」がいたということだ。誰にも見つけられず、静かに埋もれていた「これ」は知久さんの歌の世界で初めて大量の日の光と水を浴び、自分で光合成を始めた。つまり、私の中でないことになっていた感情が、知久さんの歌声で息を吹き返し、じわじわと繁殖を始めたのだ。

それは、ひとことで言ってしまえば「さびしさ」だった。
知久さんが歌う世界は、いつまでも夜が来ない夕暮れの中にいるようで、聞いた瞬間から不安が背中を這い上ってくる。

景色が夕陽に朱く染まり、公園に遊具の影が長くのびる。
家々の窓には明かりが灯り、お母さんが呼びに来る時間はとっくに過ぎている。
さっきまでドッジボールをしていた子どもたちは、ブランコに腰掛けめいめい勝手に揺れている。
昼の光の中で、黒い体を優雅に光らせていた野良猫は、薄闇に紛れてもう所在がわからない。
遊び疲れて、おなかもすいて、帰りたいと思うのに、帰れない。
みんな、帰るところがわからないのだ。
それどころか、お母さんの顔さえ思い出せない。
あれ? 僕は誰だったんだろう? どうしてここにいるんだろう? 
けれど、誰も不安を口に出せず、口に出したら最後、本当に帰れなくなってしまいそうな……。

心象風景を言葉にすると、陳腐なSF漫画の1コマのようだが、本当に毎回、夕方の公園の映像が頭に浮かんでくるのだ。

のちにあるインタビューで、知久さんのお母さんが新興宗教にはまっていた話を読んだ。きっと、お母さんはものすごく不安が強い人だったのだろう。すがれるものを探すことに懸命になるあまり、幼い子どもを育てている自分を忘れてしまうこともあったのだと思う。幼少期の世界のすべてといっても過言ではない養育者の不安は、そのまま少年の心に写し取られてしまったのだろう。知久さんの音楽からは、ひたすら寂しい風景が心に流れ込んでくる。

知久さんの歌に共鳴する人は、どこかで同じような寂しさの刷り込みをされてきた人だと思う。それは、親からとは限らない。信頼と安心を与えてくれる両親の元に生まれても、拭い去れない不安や寂しさを経験させられることはよくある。そこでうまく不安や寂しさを外に出して開放してやれないと、いつまでも自分の中にくすぶり続けてしまうのだ。

私は、知久さんの歌で、自分では見ないようにしてきた感情が、そこにあったことに気づいた。私は寂しかったんだと初めてわかった。そこから少しずつ、自分の心の取り扱い方を知るようになったのである。

「もう必要ないな」と思って、しばらく聴かない期間があったのだが、今日、久しぶりに聴いて「やっぱりいいな」と思った。私には、まだしばらく、知久さんのヒーリングが効きそうだ。


最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。