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夫の「いいとこ探し」をしてみようと思った話

三浦瑠麗さんのにわかファンである。

「にわか」という言葉からご推察の通り、ロシアのウクライナ侵攻以降にその存在を知った。ネットの対談動画を見て、彼女の知性と、他者尊重の姿勢と、受け答えの反射神経に感銘を受けてしまい、それ以来、名前をお見かけするたび記事を読んでいる。

三浦さんは、出演される討論番組では、ファシリテーターを担われることが多い印象だ。番組内では、明らかに論点がずれた話を長々と続ける相手にも、不快な顔をせず、その意見の見るべき点をきちんと取り上げながら、本筋に戻していく。彼女のファシリテーション能力の高さは、羨ましさを通り越して国宝ものだと思う。

そんな三浦さんの子育てエッセイも、ロジカルでベタベタしない愛情が読んでいて気持ち良い。お嬢様に対する姿勢は、時として母というより、同性の先輩のようだ。
「いつかあなたに、ボーイフレンドが出来たら」と題されたそのエッセイは、「恋愛」という10歳の女の子にとって未経験のイベントについて、二人が話し合う場面が描かれる。

女性ならわかってもらえるかと思うのだが、日本の女の子たちは少女マンガで恋愛を予習する。したがってその世界観と現実とのギャップには、恐ろしい乖離がある。特に小中学生時代なんて、男の子も女の子も、自分のことだけで精一杯な時期だ。相手を慮るつもりの行動だって、独りよがりになりがちで、少女マンガに出てくるヒーロー、ヒロインのようなスマートな対応はできない。そもそも、コミュニケーションだって、「大人になりかけ」の女の子たちと、「まだまだ子ども」の男の子たちでは、見ているものが違いすぎて成立しないことばかりだ。

大人の三浦さんには現実と地続きである「恋愛」を、10歳のお嬢様は頭の中でしか知らない。だから、

相手の言動を許せなくなるのは、込めた期待が裏切られるから。相手が言ってほしいようなことを言ってしまい演じてしまうのは、相手に失望されるのが怖いから。恐れが介在する関係性は、まだまだ自分というものを離れられていないのです。

「子どもの未来をクリエイトする、国際政治学者の個性派子育て」

なんてことも言いたくなるのだが、ぐっと耐えるのである。体験による学びをこそ、大切にしたいから。

いいいいいなああああああ!!

私は三浦さんちのお嬢様が羨ましくて仕方ない。こんなもののわかったお母さんが、そばにいて見守ってくれるのだ。健やかに育たないわけがない。健康な恋愛を楽しめないわけがない。

思春期の恋愛を拗らせた私は、脳内お花畑の「恋に恋する女の子」から、一転「恋愛?そんなの繁殖期の生物の本能でしょ?要するに発情期のことじゃん」という身もふたもない考えを持つに至った。

これは酷いと我ながら思う。こんな恋愛哲学(?)からは、娘にも息子にも伝えられることが何ひとつない。

恋愛って、実践でしか学べないのはもちろんその通りなのだが、見守ってくれる人達が「良い恋愛を経た素敵なお手本」になっているかどうかが、幸福な関係の維持における大きな要因になっていると思う。ロールモデルがいることで、自分の行動を修正していけることがあるからだ。

「理屈はわかるけど、今さら遅いな。我が子達には、そこは来世に期待してもらおう」と諦めかけたが、

十分に認められて安定した愛情を注いでくれる存在には、浮き沈みを感じることはありません。むしろ、どのように相手の長所を見出し、相手に愛情を注げるかというところが、関係の重要部分となってくるからです。
同上

この文を読み、まだ現世で我が子らのためにできることはある、と思わされた。

能動的に夫の良いところを見つけ、能動的に夫に愛情を注ぐ。アルコール依存を抱え、しょっちゅう嘘をつく相手に、難しいことではあるが、やってみる価値はあるのかもしれない。

これからとりあえず一週間、夫のいいところを探そうと思う。ルールはこれだけ。

「いいな」と思うところが目についたら、必ず口に出して伝える。

さてどうなるか。一週間で、私の「夫の見え方」にも変化があるといいな。

**本日2本目のおまけ**

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