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戦国編5色デッキ分類と2009年のインターネットがクイックントースト論争へ至るまでの憶測。

以前、『かつて【クイックントースト】と呼ばれていたデッキ』についてのnoteを投稿した。

個人的な納得を文章にした物ではあるが、これがある程度閲覧され、少しでも共感や解決、発見の手助けになっている様であれば嬉しい。


その内容は、『情報が錯綜した結果、"正体不明のデッキ"となってしまった【クイックントースト】の正体が【5色低速ビートダウン】であることが分かった。』という物だった。

では、なぜ"情報が錯綜"したのか。

今回はこの話になる。

錯綜した原因となるいくつかの【5色デッキ】の分類と、その舞台となる当時のインターネットの振り返りをしたい。


「うるせぇ!デッキ分類だけ見せろい!!」という場合は下記目次、『錯綜する【5色デッキ】』辺りから読んで頂ければ大丈夫だと思います。それ以前の部分は自分語りがくそ長いので。




※保身:この文章は、関東地方に住む当時の外野(ROM専とも呼ばれていた)が憶測を絡めて極めて主観的な視点で書く為、あくまでも「こういう視点・考え方もあった」程度に見て頂けると助かります。
憤慨や冷笑で2009年のインターネットを繰り返すのは悲しいので、内容について何かあれば追加の情報提供を頂けると嬉しいです。

※この話はフィクションです。一応。



当時のインターネット


まず、当時の情報源の話をする。

TwitterのようなSNSはまだ普及しておらず、インターネット上の一部のプレイヤー達は日常や大会レポなどをブログで投稿し、コメント欄でコミュニケーションを取る。というのが一般的であった。

ブログには「デッキ紹介」という形でデッキリストと採用カード理由を書くものの、その多くは競技というより趣味・自己表現といった趣旨の物が多く、カードショップ等でコミュニケーションを取る為の名刺的役割が大きかった。


当時のプレイヤーの情報のメインとなるのは動画投稿者達だったが、これは数が少なく、極端に言えば2,3ヶ所の投稿者達で殆どのシェアを占めていた。
紹介するデッキの内容は競技というよりは主にエンタメに寄った物で「こういうデッキがあるから使ってみよう。」という趣旨の投稿が多かった。
この2,3ヶ所の動画が当時のデッキ情報の全てだった。というプレイヤーも少なくないと思う。

また、一部ではデッキ投稿サイトでのコミュニケーションも活発ではあったが、情報の精度としては玉石混淆といったところで、そのコミュニケーションは外野や一般プレイヤー(ROM専みたいな言い方が分かりやすいかもしれない。)からは見え辛い部分もあった。


つまり、情報へのアクセスのしやすさは、動画投稿者→各ブログ→デッキ投稿サイト、くらいの順番となる。
(あとは、某大型掲示板などもあるが、これについては正直よく分からない。)

動きの流れとしては「始めに動画投稿者の動画とサイトを見て、その後いくつかのブログを閲覧し、さらに時間があれば相互リンク等を辿って追加で情報を得ていく。
具体的に使いたいカード等がある場合はデッキ投稿サイトを開き、投稿されたデッキを幾つか見てみる。」

という感じだが、もちろん巡回するブログには個人差があるので、各々アクセスする情報にはどうやってもバラつきが出る。

現代の様に、「リツイートやおすすめなどで勝手にタイムラインに表示されるので、多くのプレイヤーがほぼ同タイミングで同じ情報を得る。」なんて便利な事は無い。
情報を手に入れる為には、ある程度能動的なアクションが必要だったのだ。


発信する側のプレイヤーはその目的によってメインの媒体を使い分ける。

カジュアル勢は、名刺代わりに作ったデッキとそれを公開したブログを中心にコミュニケーションを取る。
競技勢は、デッキ投稿サイトで日夜デッキ調整をし激論を交わす。というようなイメージだ。
(※このnoteでは「インターネット内で"強さ"を誇示する層」を便宜上「競技勢」と呼んでいる。静かに真剣に競技として取り組んでいたプレイヤーも多いので、そことは分けて考えて欲しい、一応。)

デッキ調整録を日々ブログで発信するプレイヤーもいて、そのスタイルは主に競技勢に多く見られたが、内容としては身内に向けた個人的な学生日記的要素も大きく、一般プレイヤー視点ではブログ巡回の対象にならなかった物も多い。

個人的な日常を綴る"ブログ"という共通のツールを使ってはいるが、最低限身内以外の方向にも向いている文章と、完全に身内のみに向いている文章とでは、閲覧する際のとっつき易さが大きく違っていた。
ここに、当時のネット上の情報量についての認識の差が生まれる原因の一部があると思っている。



当時のプレイヤー


前項で当時のインターネットの話をしたが、現代のカードゲーマー(そもそも読んでいるのか?)は疑問に思っている事があると思う。

「最新の競技環境情報はどこにあったのか。」

これについては誤解を生む言い方になるかもしれないが、僕は「当時、そんなものは無かった。」と考えている。

当時、ネット上の"大会"という言葉は主にデュエルロードと呼ばれていた公認の店舗大会の事を指していた。
現代の様に頻繁に大型大会が開かれる事もなく、公式によって年に一度ほど行われる全国大会も結果の発表や特集は非常にささやかな物だった。

その為、競技シーンを認知しているプレイヤー自体そう多くなく、そして、ある程度信用性のあるデッキリストが出回る事もそもそも少なかった。

メタゲーム分布などの客観的な情報も無かった為、当時の大会というのは「プレイヤー個人個人が想定・体感した個人的なメタゲーム予想に合わせて独自チューンされた、それぞれバラバラのリストを持つデッキ達」が戦う場であった。

強豪とされ、競技として取り組んでいたプレイヤーもいたが、彼らによる分かりやすく開かれた形での情報発信は少なく、構築やプレイング等を体系・言語化された物は殆ど無かったと言っていい。
(また、「そもそも何を持ってして強豪なのか。」という部分もあり、あくまでも自称に過ぎなかった。)

戦国編の代表的なデッキである【白黒緑ギャラクシー】でさえ、画一化されたリストは無く、"殴り始めるタイミング"等のプレイングも周知されていなかった為、
「《不滅の精霊パーフェクト・ギャラクシー》を複数体並べて完全に逆転不可能な状況になってからようやく殴り始めるプレイヤーも多かった。」
と言えば当時の異常性が分かるだろうか。

その他、「《キング・アルカディアス》と《スペル・デル・フィン》が揃うまでは絶対に動かない。」タイプのプレイヤーも多く、こういうプレイングは、相手のトップデックで有効牌を引かれ続けて負けるパターンが多い。

これらは典型的な「事前に殴って残りライフを詰めておくことで、相手の選択肢を狭めるプレイング」の認知度の低さから来る物だと思う。
(「迂闊にシールドを殴らないのが上級者。」という短くて分かりやすい情報のみが周知されていた為、この様な事が起こる。)

各地域には「レベルが高い」とされる店舗があり、そこに集まったプレイヤー間での最低限の共通認識や情報共有はあるものの、さらにそこからインターネットに放たれる情報はごく僅かだったと言える。
当時、競技環境情報はデジタルよりもフィジカルの要素が大きい物だったのだ。



これらの情報格差は、当時まだ「カードゲームが強い事」がマネタイズされていなかったという事が大きい。

現代の様に、最新環境デッキの情報や技術を発信してYouTubeの再生数で稼ぐ等の方法は無かった。
(一応、アフィリエイトという夢もあったが、その多くが夢破れて散っていったり、インターネットの嫌儲文化によりそもそもアフィリエイトを貼ること事態を憚れる風潮もあった。)

情報を公開する事が利益にならないのであれば、発信活動は単純に面倒臭い。
そして、誰も発信をしないのであれば、情報を秘匿すればする程自身の勝利に繋げやすい。


また、当時はまだCSと呼ばれる様な大型大会も少なく、仮にあったとしても上位入賞プロモカード(事実上の賞金やトロフィー)などは無い。

「有志が開く大会に1500円程の参加費を払い参加。そこで優勝して、用意された賞品(PS3・DSや最新段BOX等)を手に入れる。」(そしてそれを売る。)
当時の競技勢のマネタイズの限界が、これだった。


つまり、「デュエルマスターズを競技として取り組んでいるプレイヤー」が情報発信にリソースを割くメリットは無いうえ、仮に大きく勝ったとて経済的な利益も殆ど無い。という状況であった。

そしてなにより、当時そもそも本格的な競技シーンが公式にとっても、多くのユーザーにとってもさほど求められていなかった。という説はある。

当時、ユーザーの中で最も数が多いのは小中学生を中心としたカジュアル・新規層だったうえに、「強者」を目指す事のリターンが少なかったのだからそれ以外のプレイヤーの興味も競技側には向き辛い。

『デュエルマスターズ』というカードゲームはどこまで行っても、(少なくとも当時は)メーカーが児童向けに作っているコミュニケーションの為の「玩具」であり、大人のユーザーは、「その"子供達の為に作られたインフラ"の中で遊ばせて貰っている。」という立場なのだ。





こういった背景がある中で、それでも大人(というか青年)プレイヤー達がカードゲームをし、発信や競技を熱心にしていた理由は何であっただろうか。


いい感じの言葉を使うのであれば、それは恐らく「存在の証明」である。


SNSのある現代と比べて簡単に人と繋がり辛い当時、人と繋がる、他人に見つけてもらう、此処じゃない何処かに行く、そういう要素をカードゲームに求めていたプレイヤーは多かったと思う。

しかし「存在の証明」という、お金よりも曖昧で、感情に直結したそれがモチベーションとなっている場合、事象は複雑になる。




当時、単純な「強さ」で存在を証明するのは難しかった。
(今でこそ圧倒的な知名度を持つ、元・日本一プレイヤーとその代表的なメタビートデッキでさえ、当時は殆ど認知されていなかった。といえば伝わりやすいだろうか。)

競技勢の求める「強さ」というものに、客観的な指標が殆ど無かった為、自分自身で強いと思っていても他人からは評価され辛い。
多くのリソースを注いで取り組んでも、誰からも認められず、特に生活は良くならず、自身を取り巻く環境は変わらない。

それどころか、一部プレイヤーの高圧的な態度や言動などから、一般プレイヤーからの「競技勢」という言葉へのへのイメージはあまり良いものではなかったと言える。


そんな競技環境を横目に、初心者等にも分かりやすく発信をしている動画投稿者やブログは影響力を増していった。
(そんな発信者達も、その発信によって経済的な利益を得ている訳ではない。)


この辺りの時期で、「強さ」で存在証明をしようとする競技勢と「エンタメ性や個性」によるコミュニケーションで存在証明をしようとするカジュアル勢間の軋轢が明確になり始める。
(正確には、「それまではある程度住み分けがされていたが、インターネットの影響力が上がる事でお互いがお互いの存在を強く認知・意識するようになった。」と言うのが近い。)


そして、当時のユーザー全体の空気感としてはカジュアル側が優勢だった。
(このバランスは、神化編での《エンペラー・キリコ》達による蹂躙や、覚醒編でのゲーム感の破壊とインフレ、『チャクラ→GENJI→ガンヴィート→DDZ』と続くパワーカードのいたちごっこ等によりカジュアル勢が次々と脱落していく事で結果として競技勢が多く残り、以後逆転していく。)



同時期から、カジュアル側のコンテンツに対しての、「◯◯で紹介されてるデッキは弱い。」といった類いの攻撃的なコメントや会話も目立つようになった。

競技勢の一部で、「どう考えても俺の方が強いのに、インターネットで雑魚デッキを紹介してる奴の方が認められて、ちやほやされてるのはおかしい。」
そういう気持ちがあったであろうは事は容易に想像がつく。


実際問題として、動画コンテンツのみを摂取するプレイヤーの振る舞いも目に余る物があった。
受け売りのデッキで受け売りの言葉を喋り、他人のデッキに対しての評価は「動画やサイトで発信されてなければ存在しないデッキ、似た要素を見つければ勝手に◯◯産のデッキ」と認定する。

「それって◯◯で紹介されていたデッキですよね?」
対戦相手から悪意無く振るわれるこの言葉にプライドを傷付けられたプレイヤーは、競技・カジュアル問わず多いと思う。
そういう「知名度で圧殺された。」的な言葉はよく耳にした。



話は少し変わるが、当時の中高生(陰)の中で「格好良い」とされる物は何だったかご存知だろうか。


それは、「テレビに出ない邦楽ロックバンド達」である。(個人差あり)

まだテレビが絶対的な影響力があった頃、その舞台から距離を置き、日陰者達に寄り添ってくれていた様な彼らに憧れていた若者は少なくない。
僕の前髪も、恐ろしく長かった。
(その後、2010年前後の色々でバンドがテレビに出ても後ろ指を指される事が少なくなるが、それはまた別の話。)

そんなバンド達のスタンスに自分自身を重ねて、「"本物"は自分から表に出ようとしない。」的なマインドも醸造されていたのだろう。
(藤くんはそんな事、望んじゃいなかったと思うが。)


話を戻す。

「情報発信者とそれを鵜呑みにする数の多いフォロワー」vs「自己顕示欲はあるが発信は幼稚で、いざ大会となると利己的でトラブルの多い競技勢」

インターネットは、ぼんやりとこんな構図になっていた。

それらがエスカレートする事で、「自分のやりたい事が出来ない故に競技的要素を嫌悪する攻撃的なカジュアル勢」や「実力は大した事ないが競技プレイヤーの発言を鵜呑みにしてカジュアル勢にマウントを取るワナビー強者」なども目立ち始めるが、インターネット上の匿名の発言からそれらをはっきりと仕分ける事は難しく、状況は混沌としていく。



こうして、土壌が育まれていった。



錯綜する【5色デッキ】


長かった状況の説明が終わり、本題に入る。

当時のインターネットが、まともな議論が機能する場ではなかった事が理解できたと思う。(今もか。)

加えて当時はデッキという物に自己表現の要素が多分に含まれていた為、そのアイデアを勝手に発信する事はオリジナルの製作者の尊厳を踏みにじる行為であり、タブー扱いされていた。

カードショップで対戦して「良いな。」と感じたデッキがあったとしても、その概要を発信する事は許されない。
アイデアの泥棒になるからだ。

肝心のその製作者達は、発信する事の面倒臭さ・メリットの無さや、「自分から伝えようとアピールするのは格好悪い。」スタンス等で基本的に対外的に分かりやすい形での情報発信をしない。
(ゲーム自体が楽しすぎて、発信や記録をする必要がない。という「ONE PIECE1巻作者コメント」的な説もあると思うが。)

我々ROM専プレイヤー達は、対戦レポ等で出てくるカード名などからデッキリストやプレイングを断片的に考察する事しか出来なかったのである。

そうした断片的な情報から、各々のプレイヤーが歪んだリストを作成し始める。
それを見たプレイヤーがまたデッキを組む。

全く同じリストを公開すると、またパクリだ何だとトラブルになる為、オリジナルの要素として独自のカードを数枚採用する。

こうした伝言ゲームが続いた結果、「デッキ全体のシナジーやグルーヴ感で勝つ。」という当初の勝ち筋を失った【カードの束】が大量に世に放たれる。

そういうデッキの勝ち筋はもはや、個々のカード達によるアドバンテージしかない。
結果、共通認識としてのグッドスタッフ、つまり【5色コントロール】が生まれたのだと思う。


一度生まれてしまった共通認識は非常に覆り辛い。
仮にあの時、正しい反論の記事を書いたブログ投稿があったとして、一体どれだけの人間がそこへたどり着けただろうか。
リツイート1つで広く飛んでいくTwitterと違い、「普段は身内にしか向いていないブログの中のほんの一投稿が、その瞬間だけ強く光を放つ。」なんて事はファンタジーに近い物であった。


そんな訳で、多くのプレイヤーが【クイックントースト】だと誤認していた【5色コントロール】は、「全てのプレイヤーが別々のタイミングで、別々のデッキ情報を見ていた為、ずっと話が噛み合わなかった結果生まれた、"折衷案"だった。」と考える事が出来る。

では、その「別々のデッキ」とは一体何だったのだろうか。

これについては、当時の僕が観測していた範囲と改めて戦国編を触った際に思った事を併せて、いくつかの仮説と共に分類してみた。
次の項で順番に説明していく。

どのデッキも使用感は楽しく、一定の強さはあるものの、構造上の欠点もある為メタゲームの一角に食い込めるレベルかどうかは怪しく、結果として当時は【それなりに強いカジュアルデッキ】の域を出ていない。

しかし、各々光る部分は持っていたので、当時各デッキ毎にしっかりと情報が整理・共有され、沢山のプレイヤー達によってブラッシュアップされていればもしかしたら可能性はあったかもしれない。


以下、各デッキのサンプルリストと解説になる。
自分がイメージしていた【5色デッキ】がどれに近かったか改めて確認し、「あったかもしれない過去」に思いを馳せて頂けると嬉しい。

戦国編【5色デッキ】分類


当時のデッキリスト達は久遠の闇に消えてしまっているので、概要が分かる程度の雰囲気でデッキを組んでいます。強さ・精度は保証しません。
気になるデッキがあれば実際に組んで調整して、本当の姿を君自身の手で確かめよう!!



《フェアリーミラクル》軸

まず、《フェアリー・ミラクル》というカードをメインとしたデッキから挙げていく。
このカードの2ブーストを軸にして、多色カードを投げていくのが基本的な戦い方。

マナに落ちたカードは《ヴァルチャー》のO・ドライブで回収する。

2マナブーストで展開を加速。
O・ドライブ効果でマナからカードを拾ってくる。



【5色コントロール】(汎用)

ベーシックな【5色コントロール】。
《フェアリー・ミラクル》のマナ加速から、各色・多色のパワーカードを適宜使用しコントロールする。

1番最初に紹介し「汎用」と銘打ってはいるが、「インターネット上の様々な5色デッキのアイデアを、既存のデッキ構造に丸く落とし込んだ物。」というのが実情に近く、デッキとしては後発寄りだと思う。

構造上、速攻に弱く、事故りやすい。
コントロールに対しての勝率にも疑問符が付く。
デッキの体を保つ為に必要なスロットが多く、環境の各デッキ達への対策カードを充分な枚数採用するのが難しい。

「《ゲルネウス》による無限リソースがあるからコントロールに強い。」という言説もあるが、上手いプレイヤーのコントロールデッキは適宜殴るので、間に合っていない事も多い。

O・ドライブ効果で自身をバウンスする事で、永遠に墓地回収が出来る。

ただし、その無限リソースの動きは、当時多かった「殴るタイミングが分からず一生盤面を溜めているコントロール使い」にぶっ刺さるのは間違いないので、その成功体験が誤解を生んでいたと考えられる。

一部スーパーレアを使用する事もあるが、基本的にベースの部分はコモン・アンコモンを中心に組まれているので、「大枠だけコピーし残りは手持ちのカードで組む。」というのがやりやすく、そういう要素が流行った理由でもあると思う。

カード資産の都合上、いわゆるガチデッキと呼ばれるデッキを所持することが難しいプレイヤー達の、「このデッキタイプがインターネット上でガチデッキとして扱われていて欲しい。」という願いが炎上の燃料になった部分もあったのかもしれない。


【5色墳墓コントロール】


上記デッキのコントロール特化の変異型。
同時期に流行っていた【墳墓ボルコン】のコンセプトを入れ込んで組まれている。
《天使と悪魔の墳墓》を強く使う為に採用カードの種類が散らされていて、それらを《アマテラス》や《クリスタル・メモリー》によりピンポイントでサーチして使用する。

同名カードが並ぶ事を許さない。

《エンペラー・キリコ》系デッキを筆頭に神化編以降増えてきた、『強い動きの再現性を最重要視して、フィニッシャーと道中のカードを各4枚ずつガン積み』するタイプのデッキに対してぶっ刺さる。

【墳墓ボルコン】共々「ハイランダー構築」と言えば聞こえは良いが、高額カードを複数枚採用しない理由を"持っていない"ではなく、ハイランダー構築という”こだわり”と変換する事が出来るので、それで体裁を保っていたプレイヤーも多いと思う。

また、採用カードの情報に振り回され、とにかく種類を採用していった結果生まれ、「これはこれでアリ」となった可能性も高い。



【5色ビッグマナ】

これはかなり後発のデッキで、"情報が錯綜した後”に生まれた典型的な型だと思う。
《フェアリーミラクル》から《ロマネスク》の動きでマナ加速をし、
《ヴァルチャー》《ゲルネウス》《クリスタルメモリー》によって、解答となるカードを自在に調達する。
《ロマネスク》のマナ加速のおかげで、調達したカードをすぐに使用出来るのが強み。

最終的には《キング・アルカディアス》を立てるが、仮に処理されても《ゲルネウス》の墓地回収でしつこく出し直す事で最終的に封殺する。
「《キング》と《ゲルネ》の組み合わせで《VAN・ベートーベン》を作る。」と言えばイメージしやすいだろうか。

盤面リセット+召喚制限+除去耐性
E2編以降のフィニッシャーは1枚で何でも出来る。

《ロマネスク》、《クリスタル・メモリー》、《キング》+《ゲルネ》をそれぞれ、後発のカードである《イントゥ・ザ・ワイルド》、《ドン吸い》、《VAN》に置き換えた、【5色ビッグマナ】みたいな言い方が一番しっくりくる。

デッキが生まれた流れとしては、後述する【5色ゲルネウスビートダウン】と戦ったプレイヤーが「《フェアリー・ミラクル》→《ロマネスク》→《ヴァルチャー》or《ゲルネウス》+《キング・アルカディアス》連打」というビートダウン以外の動きを喰らった事で【クイックントースト】の動きを"そう認知した"事が始まりではないかと考えられる。



【5色スペクトライト】

『クイックントースト論争』が大きな話題になった後、有名動画投稿者が発信した【5色コントロール】。

錯綜する情報をなるべく採用したうえ、「5色である理由」をより強調する為に、5色クリーチャーである《晶鎧亜スペクトライト》が採用されている。

殴る時にマナ払って効果を使う。という珍しい挙動をする。

このカードの効果によるシールド焼却とフルタップが、多くのコントロールデッキのフィニッシャーであった《不滅の精霊パーフェクト・ギャラクシー》に対してぶっ刺さる為、「【5色コントロール】はコントロールに対して強いデッキ」という体裁を保つ為の補強をしている。

ただし、色事故や速攻対面など、【5色コントロール】が抱える問題は依然として残っている。


当時、唯一と言っても過言ではない『ネームドプレイヤーが書いた説明書の付いている【5色コントロール】』だった為、これが当時の【5色コントロール】の基本形として印象付いているプレイヤーも多いと思う。


【5色ゼンアク】

制圧力の高い《ゼンアク》をフィニッシャーに採用した型。

スーパーデッキによる再録も、この型流行の後押しに。

《フェアリー・ミラクル》のマナブーストが《ゼンアク》のゴッドリンクをサポートし、多色ゴッドである《ゼンアク》は2体で4色を供給するので《フェアリー・ミラクル》の2ブーストをサポートする。

…と言えば聞こえは良いが、残り1色である火文明を足した分のバリューがあるかどうかについてはよく考える必要がある。

白青黒緑の4色でまとめる事で、細かい妨害等を挟む堅実な《ゼンアク》デッキを組む事も出来るが、まぁそもそも【4色ゼンアク】自体がtier1デッキではないので、5色にして「大振りな動き+大振りな動き」の上振れの強さや楽しさを狙うのは間違いではない気もする。



【5色ミラクルランデス】

《フェアリー・ミラクル》のマナブーストから《ラスト・バイオレンス》や《英知と追撃の宝剣》を叩き込んでマナ破壊を狙う型。

中継に《焦土と開拓の天変》なども採用される。

1:4交換出来る必殺技。

フィニッシャーは《ラスト・バイオレンス》からサーチ出来る多色クリーチャーである事が多いが、《ヴァルチャー》を経由するのであれば何でも採用可能。

ランデスデッキの常として、勝ってる時は完封して気分が良いが、事故や負けてる時は本当に何もできない。
ただし《ラスト・バイオレンス》は5色デッキのみが使える最高峰の"暴"なので、デッキを5色にする動機としてかなり納得感がある。


【5色オファニス】

先述の【5色スペクトライト】と同様に、デッキを5色にする理由を採用クリーチャーによって強調しているが、《五連の精霊オファニス》のG・ゼロによる多面展開で、より攻撃的なアプローチが取られている。

5色クリーチャーが居るとタダで場に出て、除去耐性を付与する。

《トラップ・コミューン》+《オファニス》による盤面処理から、《ミスト・リエス》とG・ゼロによる軽量展開とドロー、それらを《キリュー・ジルヴェス》のS・A付与によって突撃させる動きは、図らずも後述の本家【クイックントースト】である【5色ゲルネウスビート】の動きに近い物であった。


【5色ゲルネウスビートダウン】

かつて【クイックントースト】と呼ばれていた謎のデッキ。
正体は、5色O・ドライブにより後続を補給し殴り続けるビートダウンだった。詳しくは以下記事。

《ゲルネウス》のバウンスにより盤面処理をしながら、《ハッスル・キャッスル》と併せて後続を確保。
《キリュー・ジルヴェス》による一斉攻撃の連打で相手を押し潰す。
処理しきれない打点の連打によってコントロールに対して強い。

小型クリーチャーをばらまき、S・A付与で押し込む。

2マナ域のマナ加速が《フェアリー・ライフ》ではなく《幻緑の双月》なのは実質的に1マナ1ドローのアタッカーになるからで、ここが他のデッキとの大きな違いになる。

相手の盤面に触る除去呪文なども入っておらず、一見何をするか分かり辛いデッキの為、デッキリスト詳細やプレイング解説が無かった当時に正しい動き方までたどり着けたプレイヤーは非常に少なかっただろうと思われる。




【5色ドラゴン】

これについてはかなり特殊寄りのデッキである為、「今回の話題に必要か。」と言われると怪しいが、知らない人は衝撃を受けると思うので紹介する。

《フェアリー・ミラクル》と《コッコ・ルピア》、どちらも3→6へジャンプするカードな為、ここから《バルガゲイザー》や《ロマネスク》に繋げて、後はドラゴンを連打する。
3マナ域と6マナ域どちらも2種合計8枚ずつ投入されている為、動きの再現性は想像しているよりちょっとだけ高い。

《バタル・ネプタラス》や《バイオレンス・サンダー》で手札を補充したり、《バジュラズテラ》でマナを消滅させたりと、進化ドラゴンによるダイナミックな動きが格好良い。

動きの派手さ・格好良さを重視して、防御は殆ど捨てているが、《バタル・ネプタラス》や《G・Eレオパルド》からの《ハヤブサマル》サーチで「最低限はやってるぞ。」という心意気を見せている。

入手難易度の高いカードばかりで構築されている為、知名度はかなり低いが、派手なドラゴンを連打するその使用感は病みつきになる。



《フェアリーミラクル》系以外


《フェアリー・ミラクル》でのマナブーストを用いない5色デッキ。
ここではとりあえず2種類のデッキの話をする。

生まれたタイミング的に言えばどちらも先発寄りのデッキで、独自のエンジンはあるものの、それ以外の動きとしては一般的に想像する【コントロールデッキ】に近い。

これらの5色デッキと《フェアリー・ミラクル》を用いた【5色ゲルネウスビート】の情報が近いタイミングで混ざりあってしまった事から、『クイックントースト論争』が始まったのではないかと推測される。



【5色アヴァラルドランデス】

《アヴァラルド公》のアドバンテージ力を中心とした呪文コントロールデッキ。

実質2~3ドローしてマナ破壊とマナ加速を手札に持ってくる。

《神秘の宝箱》を使ってマナゾーンに5色揃えて、《ラスト・バイオレンス》等を打ち込んでいく。
役目を終えたアヴァラルド公を対象に《メビウス・チャージャー》で2マナ加速する動きも強力。

《フェアリー・ミラクル》型と比べて単色のカードを多く採用出来るのでタップインのもたつきが少ない。

この《神秘の宝箱》や《メビウス・チャージャー》を使用したエンジンは当時、一部プレイヤーから【5CG】などと呼ばれていたりもしたが、曖昧なプレイヤー達の発するそれらのワードは『クイックントースト論争』の横槍にしかならず、混乱を助長するだけであった。

※注:【5CG】という名前は恐らく、かつてマジック・ザ・ギャザリングに存在した【5CG(ファイブ・カラー・グリーン)】というデッキから来ている。
これは、マナ操作が得意な緑のカードを中心とした5色(緑単タッチ4色)デッキの事なのだが、この要素を《神秘の宝箱》に見出してMTGから引っ張ってきたのだと思われる。
一部プレイヤー達が、上記説明の無いままこの名前を多用した結果、《フェアリー・ミラクル》系のデッキに対しても【5CG】と呼ぶ層が出て来たり、空目したプレイヤーが【5CC】(5 color control)という言葉を使い始めたりして、『クイックントースト論争』の混沌はさらに加速していくのであった…。

【5色バキューム】

《青銅の鎧》から《バキューム・クロウラー》に繋いで、そこからアドバンテージを稼いでコントロールする。

個人的に、戦国編最強のカードだと思っている。

定番のマナ加速から、5つの文明それぞれのカードを使用していく。
非常にシンプルで本来の意味に近い【5色コントロール】。

”詰み”の盤面にされない為の小回りが利くカード選択と、相手やゲーム展開によって様々なプランが取れる勝ち手段の多さが魅力。

《バキューム・クロウラー》+《封魔アドラク》によるドローロックは分かりやすく強力な動きで、これによりほとんどの相手を封殺できる。

コントロールの理想を体現したようなデッキで、このデッキは普通に強い。
やはり《バキューム・クロウラー》というカードは、何かおかしい。





《アマテラス》型とか、《ミンメイ》型とか、《カシオペア・ストーリー》とか、まだまだもうちょいありますが、一旦とりあえずこんな感じで。





幕を閉じる『デュエルマスターズ ブログ時代』


そんなこんなで色々とあったインターネットデュエルマスターズ界も2010年頃から個人ブログによる発信が少しずつ減っていく。
そして、入れ替わる様に、競技環境に焦点が当たり始める。
理由としては以下の様な事が考えられる。

・Twitterの普及によりコミュニケーションがより個人的になったこと。
・SNSによる情報発信速度の変化。
・大型大会の増加。
・公式の情報発信の強化。
(デッキ開発部などが精力的に更新される様になり、その完成度の高さもあってカジュアルデッキを中心とした個人ブログの立つ瀬が無くなった。)
・デュエルマスターズというゲーム自身の競技化。
(これにはインフレやゲーム性の変化、強力カードのレアリティ上昇等によってカジュアル環境が耐えられなくなった。というネガティブな意味も含まれる。)


公式によるインターネット媒体への力の入れ方だったり、ユーザー全体のインターネットへの関わり方だったり、とにかく全体的に変化のあった時代だったのだろう。

ここから、いわゆる"YouTuber"という存在の出現によって世界的にも動画による情報発信が爆増するが、デュエルマスターズ界にもその波が来るのはもうしばらく先の話になる。
その時頃のインターネットについては別の話になる為割愛する。



『クイックントースト論争』は、2000年代後半に起こるインターネットユーザーの急激な増加と、それに耐えられなかった当時のツールと文化が見せた、『デュエルマスターズ ブログ時代』最後の(きたねぇ)花火だった。



みたいな言い方で、この話を終わりたいと思います。




あとがき


あれから10年以上の時が過ぎ、現代のゲーム界隈は、「"最強"・"結論"・"新常識"・"○○式△△"」少し調べればこんな感じの言葉で溢れている。
沢山の情報によってデッキリストは洗練され、デッキ構築でプレイヤーが迷う事は少なくなった。

それについて僕は、
「情報が整理されて、いい時代になった。」
「画一化されて味気が無くなった。」
そのどちらも思う。


僕にとってのカードゲームは「自分の頭の中で仮説を立てて、それをどれだけ正解に近づけられるか。」を楽しむゲームなので、同様に暗中で光を探しながら模索したであろう当時の各プレイヤー達の多少歪なデッキリスト達が愛おしくて仕方がない。
そしてその中で、自分が到達出来なかったアイデアに触れた時の、尊敬と悔しさと興奮が入り交じった感情が堪らない。

そういう価値観のプレイヤーなので、大半のユーザーが攻略本を片手にプレイしている様な現代ゲームの状況に、多少の居心地の悪さを覚えているのは事実として、ある。
(新環境後2週間程で、とんでもない強度を持った完全無欠の40枚や60枚を大半のプレイヤーが握ってる事に違和感がある。)

しかし、『クイックントースト論争』が当時、現代の様に情報の整備がされていなかった故に起こった事件なのだとしたら、あの時ちゃんと攻略本を配って盤面を平らに出来れば良かった。

なので、2009年に居る当時の僕達の為に、このnoteを書いた。
これで各自、自分の目指していた【5色デッキ】がどの型なのかをある程度認識して住み分けが出来たら、その後各々の強みを生かしたデッキに各自進化してたんじゃないかと思うし、「そうであったかもしれない過去」と「その世界線だった現代」が気になって仕方がない。

このnoteが何らかの力で2009年当時の僕達に届いて運命再編され、平和なインターネットになる事を願っています。僕がサルカン・ヴォルだ!!


おわり。







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