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おふっ、おふっ

初めてCDをリリースした時のお話です。
(エッセイ集「俺のがヤバイ」より。)

母だけなら煙にまける自信があった。
ただ、姉がいるのは誤算だった。
二人は学校を卒業しても定職につく事もなく、地元にも帰って来ようとしない俺をしばき上げ、なんとか実家へ引き戻そうと東京までやって来たのだった。
待ち合わせの喫茶店の席に着くなり、眉間に皺を寄せながら母は
「あんたは東京で何をしてるんだい?」
と訪ねた。
俺は絶対に良い顔しないだろうなー、と予想しながら
「ラップだけど。。。」
と、渋々と答えた。
母は
「ラップ。。。」
という言葉をうわ言のように反芻しながらポカンとしていた。
恐らく母の頭の中では透明なビニール状のものが巡っていたに違いない。
それもそのはずである、母がよく知る俺は丸坊主のユニフォーム泥だらけの高校球児であったのだから。
そのやりとりを横で見ていた姉が口を開いた。
「あんた、そこらのクソビッチに貢いでるんじゃないでしょうね?」
飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになりながら俺は
「違うよ!なんでそうなるんだよ!」
と返した。するとすかさず母が
「クソビッチさんってのはどこの国の人だい?ロシア?」
と真顔で尋ねた。
卓上にとんちんかんな空気が流れた。
これはもう埒が明かないと思い、俺は持っていた懐刀を抜く事にした。
「実は今度、、、、CDを出すんだ。だから、、、、、もう少し東京にいさせて欲しい。」
なるべく行間を空け、勿体ぶりつつ、慎重に、なるべく大事に聞こえるように伝えた。
正直なところ2010年代の昨今の状況を言えば、CDを出す=プロ(音楽でご飯が食べれる)だった数十年前とは違い「CDをリリースする。」という事はかなり手軽になっていた。
しかし母も姉も田舎者、ましてや音楽業界の内情など知る由もない。
案の定、俺の言葉を聞いた途端、二人とも表情を変えた。
母は言った。
「CDを出す、って事はあんた、げ、芸能人になるの!?」
明らかに気が動転していた。
姉は驚いてはいたがまだ平静を保っていた。だが
「あんたのCDがタワレコとかに並ぶってこと?」
の問いに対し
「うん。モロハっていう名前だからアイウエオ順で多分、森進一の横あたりかな。」
と答えると
「おふっ、おふっ、おふくろさんの横っ!?」
と、アワアワと慌てふためいた。
こうなればしめたものだ。
所詮、我が一族の血統はこんなものだ。
などと自分自身さえも貶める事を思いながら、勝利を確信し心の中で「森」と書かれた旗を大きくに振りながら雄叫びをあげた。
こうして東京生活の延長許可を手にしたのだった。

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