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鼻ゴルフ。

幼い頃、鼻の穴に石を入れて遊ぶ習慣があった。
そしてそれを「穴に入れる」という共通の一点のみで「鼻ゴルフ」と呼んでいた。
小さいながらに取り出せなくなったらどうしよう、と思ってはいたのだが、不安と共に小石を詰めては、鼻息と小指を使い引っこ抜いては安堵する、というスリルを楽しむアバンギャルドな幼児であった。
一度母親に見つかり「鼻ゴルフ禁止」のお達しは出ていたのだか、その程度では懲りる事無いのが俺の性分だ。
道楽サラリーマンよろしく、母親の目を盗んでは鼻ゴルフ三昧の日々を過ごしていた。


その日も皆が遊ぶ公園からは一人少し離れた砂利道にいた。
目的は言わずもがなだ。
見渡せば鼻ゴルファーとしては腕が鳴るような、手頃の石がたくさん転がっている。
俺はしゃがみこむと「これは忙しくなるわ」と呟いた。
そして拾っては入れる、そして出す。
拾っては入れる、そして出す、繰り返す、諸業は無常。
かつてこの遊びを始めた当初は少し奥に入ってしまうと、「これはヤバイ!」と冷や汗をかく事もあったが、今やそんな危機を幾度も乗り越えてきた強者だ。
石を取り出す際に最も適した小指の角度、凄まじい鼻息の噴射、鼻の付け根からおさえ押し出す外部圧力法、それらを身につけた俺は少し調子に乗っていた。
車の運転によく言われる、少し慣れて来た時にこそ事故を起こしやすい、という教えも幼さ故まだ知らぬままであった。
そして俺の人生において忘れられない思い出を残す事になるその石と、ついに出会ってしまう。


それは目があった瞬間でわかった。
他の石達とは一見して違っていた。
拾い上げ指先で感触を確かめれば尚更に、そのツヤ、その丸み、絶妙なサイズ感、全てが他の小石達と一線を画していたのだ。
これは只者じゃない。
原宿竹下通りで生き行く人波の中から、後に伝説のアイドルとなる素材を掘り当てたスカウトマンはきっとこんな気持ちであろう。
しかし、その時俺は耳を澄まし聞き取るべきだった。
幼い俺を手招きし、嘲笑っている忌まわしきその声を。
俺は取り憑かれたようにその石を見つめ、初めからそれが決まっていた事かのように顔へ近づけて行く。
西日に照らされ紅潮する頬。
その狭間にある二つの鼻穴の左側。
そこへ小石が滑り込む。
角がない故に引っかかる事はなく、瞬く一瞬の間に鼻腔の奥へスルッと収まる。
まさにチップイン、今までにない程の深部に侵入する機動力、流石の逸材、などと感心したのも束の間であった。
いざ取り出そうと思ったがまるで動かない。
小指を突っ込んでほじくり出そうとしても、フンハッ、フンハッと右鼻穴を塞ぎ鼻息で押し出そうとしてもまるでびくともしない。
動かざること山の如し、甲府の名将武田信玄公である。
今迄の危機に関して言えば、鼻の穴が石で塞がったとはいえそこに微かな隙間があり、その隙間風でどうにか呼吸が出来る状況であった。
しかし、今回は違う。鼻息完全通行止め、隙間一つ無くピッタリなのだ。
これはまずい、、、と背筋を冷たくした時
「キヒヒ!あたしゃこの穴が気に入ったよ!死ぬまで住み続けてあげるから覚悟するんだね!」
という石の声を聞いた気がした。
なんてこった、逸材と思いきや「呪い石」を掴まされていたのだ。
ようやくその状況の深刻さ気付き
「ハメられた!」
と思った。
厳密に言えばハメたのは俺の方、という事実はさておき、どうにかしなければならない。
首を振って遠心力で外へ弾き出そうとしたり、ジャンプしてみたりと試行錯誤する。
しかし微動だにしない。
「キヒキヒ、むぅだぁだよぉ!もうお前とあたしは一心同体なのさ、観念するんだねぇ!」
真夏の燃え上がる太陽の下、呪い石の声と冷や汗とあぶら汗が同時に体を這っている。
どうしよう、このままだったら性悪の呪い石が、寝ている間に脳まで浸入して俺は死んでしまうかもしれない。
そんなあり得ない事態さえも、幼い子供の想像力の中では十分にありえた。
直ぐにでも母に泣き付きたい。
でもあれだけ鼻ゴルフ禁止を言いつけられていたのに、それを破ったとなれば相当怒られる。
ゲンコツが落ちる可能性だってある。
心の中に重しが吊るされてるような不安の中、それを誰にも打ち明ける事が出来ず陽は暮れていった。


家に着くと母が台所で夕飯を作っている。
その背中を見ながら
「母さんごめんなさい、あなたの息子は鼻の穴に石を入れた事でもう長く生きれないかもしれない。本当にごめんなさい。」
と心の中で呟いた。
夕飯の食卓でも俺の気持ちは沈んだままだった。
大好きなハンバーグにも箸が進まない。
「どうか神様お願いです。毎日歯を磨きます。手洗いうがいもします。」
と何度も神に祈った。
こんな時ばかり神頼みする俺の言う事なんて聞き入れてくれるだろうか、と思ったがそれでも今日に限って神様の機嫌がめちゃめちゃ良いかもしれない。
諦めず祈る。
時折、母と姉の目を盗んで小指でなんとか引っ張り出そうとするが、やはりうまくいかない。
姉はそんな俺に気付かず何か話しかけて来る、セーラームーンがどうだとか、クラスで飼ってるカブト虫がどうだの、全くのんきな女だ。
とはいえ、この姉との会話すらもう少しままならぬ程に呪い石にこの体が蝕まれるかもしれない。
そう思うと涙が出てきた。
ダメだ、泣いたらバレてしまう。ぐっ、歯をくいしばる、しかし流れ行く涙を止めない。
そんな俺を不自然に思った姉が顔を覗き込んでくる。
必死で顔を反らすものの、余計に怪しんだ姉が力づくの手段にでてくる。
3歳年上の姉に力ではまだ叶わない。
そしてついに、
「お母さん!!大変!!勇斗の鼻の穴に石がつまってる!」
姉が叫ぶ。
母親が血相を変え台所からとんでくる。
そして俺の鼻の穴を覗き込み
「もうっ!鼻ゴルフはダメだってあれだけ言ったでしょ!ばかたれっ!」
と怒鳴る。
その通りである。
鼻の穴に石ころを入れて取れなくなるなんて、ばかたれ以外の何物でもない。
珍しく母の怒号に同調し「そうだ!そうだ!おれのばか!ばか!」と思っている所、母が引き出しから金属器具を取り出した。
細長い切っ先は二本の鋭利な槍、全身を銀色に光らせるその姿は銀鎧を纏った中世ヨーロッパの騎士のよう、登場したのはピンセット将軍だ。
「ククク、呪ち石の誘惑にまんまとハマるなんて迂闊なボウヤだ。私の槍でその呪い打ち消して魅せよう!」
ピンセット将軍は普段、母のムダ毛を征伐するという将軍らしからぬ激務に励んでいる。
その仕事内容から普段侮られがちの将軍ではあるが、今日は我が家の大騒動に終止符を打つべく高貴な表情をしているように見える。
母が指で鼻の頭を押し上げ穴を拡げる。
そしてピンセット将軍が槍で石へ襲いかかる。
しかし、それでも呪い石はびくともしない。
様々な角度を試し母は汗だく、雫が俺のおデコに垂れ落ちる。
あまりに遅々として進まない戦況にしびれを切らしたピンセット将軍は、かなり強引になってきた。
痛い。めっちゃ痛い。
あまりの痛さに母の腕を振り切り半泣きで
「このまま鼻の穴に石を入れたまま暮らすのもあり?」
と懇願してみたがあえなく却下。
その後も再度試みたが成果は得られず、あえなくピンセット将軍は退却命令を下される事になった。


次に登場したのは、戦車の如く重厚な体で家の中のゴミというゴミを片っ端から吸い尽くす、一家に一台でお馴染みの掃除機大佐だ。
「ガハハ!我輩に掛かればどんな大岩も一飲みだ!かつて喉に餅をつかえたお前の祖母の命を救ったのも我が祖先の功績だ!任せておけい!」
大佐は唸り声を上げて俺の鼻を吸い込みに来る、最初は弱、そして中、ついには強にスイッチは切り替わりグワーッという大佐の雄叫びと、ギャアー!という俺の悲鳴が重なって部屋の中に響き渡る。
しかしまたしても成果は得られず、得たの丸い吸い込み口の形で赤みを帯びた真っ赤な鼻周りの跡のみであった。
大佐は「シューン、、、」という音と共に動きを止め、押入れへと帰っていった。
もうダメだ、誰もが諦めかけたその時だった。
「大変だったわね。もう大丈夫よ。私達に任せて。」
登場したのは綿棒と石鹸水だ。
しかし正直、将軍や大佐に比べて攻撃力に頼りなさを感じる。
あの二人でも太刀打ち出来なかったのに華奢な二人に何ができるだろう。
「女子供が顔を出せるような現場じゃねぇんだ!引っ込んでやがれ!」
そんな言葉が喉まで出かかったが、今や藁にもすがるような状況だ。
綿棒に石鹸水を含ませ、呪い石の周りに少しずつ染み込ませて行く。
すると、なんだか今までビクともしなかった呪い石が少しだけ動いた気配がした。
これはいい!柔よく剛を制すとはこの事だ!
そして再び登場、ピンセット将軍が名誉挽回とばかりに入り込み、そして今度はしっかりと挟み込み、引き抜いた。
遂に呪い石による左鼻穴完全封鎖は解かれたのだ。
俺はその開放感を喜び、何度も何度も深呼吸した。
身体全体に酸素が行き渡っていく!目に見える世界も彩りを増し鮮やかに見える!
ああ、素晴らしい!
事態が収束したその後、母から改めてこっぴどく叱られ「もう二度と鼻ゴルフはしません。」と誓いを立てたのだった。
あれから二十余年、鼻ゴルフはやっていない。

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