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ギアファンカフェ感想と、Xを畳んだ所感。

本記事は最後まで無料です。

2024年5月11日、イベントバーエデン日暮里にて、私はイベントを開催した。
題して、「もろこし生誕祭(副題:ギア・ファンタジアカフェ)」

3月、一次創作漫画『ギア・ファンタジア』のコンセプトカフェをやらせて頂いたエデン日暮里様で、今度は私の生誕祭も兼ねて二度目のカフェ風バー営業をさせていただいた。

前回のイベントに関する記事はこちら。

準備に給仕にてんやわんやのもろこし

前日まで私は「まあ前回より緊張してないし、準備も万端だし、余裕やな!ガハハ」と笑っていた。

これが大間違い。
あれもこれもと準備しすぎたもろこしは、当日クッソ重たい荷物を抱えてエデン日暮里まで徒歩で向かっていた。
たくさんの荷物を背負いながら、私は「お…おれはただ誕生日を祝ってほしいだけなのに…なぜこんな目に…」と電車の中で自問自答していた。
※自業自得である

なんやかんや設営も終わり、ビーフシチューを仕込みながら開店。
開店早々に4人のお客さんが来てくれて、盛り上がる店内。
お祝いの言葉をくれる人、誕生日プレゼントを手渡してくれる人。
そして合間に挟まれるドリンクの注文。
お客さんも次第に増え、店内はそこそこ満杯とも言えるぐらいの人数が。

できあがるビーフシチュー。
「ビーフシチュー食べたい人ー」と声をかけると、全員の手が上がる。
そして合間に挟まれるドリンクの注文。

ビーフシチューとドリンクの準備にてんやわんやしながら、私は「お、おれはただ誕生日を祝ってほしいだけなのに…なぜこんな目に…」と自問自答していた。
※自業自得である

心配をよそに、自然に盛り上がる店内

本番まで、私は「みんなが楽しめるように盛り上げていくぞ!」と意気込んでいた。
しかし、蓋を開ければ私は給仕にてんやわんや。とても盛り上げるどころではなかった。

しかし、私の心配をよそに、バーを訪れたお客さんは自然とお互いに話しかけあい、いろんな話で盛り上がっていたようだった。

思えば、私は「人に会うこと大事!人間関係をやること大事!」とXでもリアルでもさんざんに言っていた。
そのもろこしと今でも付き合いがある時点で、人と関わることに意欲的な人が集っていたのだった。
自然に盛り上がるのも当たり前の話だったかもしれない。
これが風水…運気…

ケーキを持ってきてくださったお客様もいらっしゃった!

中にはもともと知り合いだった人たちもいたり、はるばる沖縄からご足労いただいた人もいたり、なかなか個性的なメンツが揃っていた。

当日の様子は、こちらの方の記事がおすすめ!

「生身をやるべきだ」と思った私の勘は間違いじゃない。そう直感した生誕祭

ここ最近の私は、Xでもnoteでもずっと「生身の人間関係を大事にすべきだ」と熱弁してきた。

生身の伴わない関係性はインスタントだが、非常に脆弱だ。
ボタンひとつでフォローが完了し、相手とはつかの間「つながった気」になれる。
しかし、身体から切り離された魂だけが漂うインターネットの世界は、どんなものでも容易に代替できてしまう。
相手を気に入らなくなったらブロックやフォロー解除でおしまい。
なにも傷は残らないが、大事にすべきものが収まるはずの場所は常にからっぽ。
そういう中身が空洞になった人間関係が、インターネットでは当たり前になりつつある。

生身の人間関係は、それよりもっと面倒で、それよりもっと質量がある。
相手と空間を共有するということが、インターネットでは決してできないことだ。

相手と同じ空間に立ち、顔色や身振り手振りを見る。生の声を聴く。
それは、予想外の出来事の連続である。
相手が自分の思い通りのリアクションをすることなどほとんどない。
思わぬ言葉でお互いが喜んだり、ひどく傷ついたりする。
それは怖いことでもある、と思う。

しかし、その怖さを乗り越えていった先には、確かに残るものがある。
10000のいいねも、10000のリポストも、ただの数字であり、SNSからアカウントを消してしまったら全ては消え去る。
しかし、ひとたび生身で言葉を交わし、また会おうと約束した人間同士は、一本の「肉の糸」で繋がれる。
それは断ち切れば血が出る。痛くて辛い出来事になる。傷跡が残る。
だから、糸を切らないように、お互いに対話をし続ける。

それでも糸を切るとしたら、相手の幸せを願ってばっさりと切る。
血が出ることも、痛みを伴うことも覚悟して。

この日、私は「生身をやること」がもたらす熱量を知った。
点と点だった人々が、たしかな糸で結ばれるのを見た。

いずれ、もしかしたらその関係は、痛ましい最後を迎えるのかもしれない。
だが、そこには確かに「言葉を交わしたあの日」が残る。
相手の顔が、身振り手振りが、声色が、脳裏に焼き付いて離れなくなる。

大事な人たちを大事にしたい。だから私は、Xを閉じた。

思えば、私はSNSの中に「友達」を求めていた。
生身で言葉を交わし合う友達を。

その友達は、この3年間でたくさんできた。
Xを介してできた友達も、何人もいる。

だからこそ、私はもう、Xをやっている場合ではなくなった。
Xの世界は私にはいささか広すぎて、脆弱すぎるのだ。
私はもっと小さく、たしかに糸で結ばれあった世界を大切にしたい。

私はもう、数字を見ない。
私はこれから、人間を見つめる。
私と同じように喜び、怒り、悲しみ、楽しむ一人一人の人間を、その目に焼き付けるのだ。