私がコンテンツから「受け取っている」もの
私は、創作活動をしているフォロワーのコンテンツを覗くのが趣味である。
その中でも「これいいな〜」と思ったコンテンツを発見した場合、言葉で感想を伝えるようにしている。
最初は意識的にやっていたが、最近では好みのコンテンツを見ると、自然と言葉が浮かぶようになってきた。
そして最近思うのが「どうも、相手が求めているかどうかに関係なく、感想が自然と浮かんできて、作者を含めて誰かに伝えないではいられない場合があるぞ」ということ。
この本の中に「ハウ」という概念が登場する。
いわく「誰かが他人に贈り物をする時、その贈り物にハウという精霊がとりついている。ハウは持ち主のところに帰りたがっており、贈り物を受け取った人は贈り主にお返しをしないとハウに取り殺されてしまう」という物騒な話だ。
このハウは、私たちが誰かから贈り物をされた時に感じる「あ、なんかお返ししなきゃ申し訳ないな…」という気持ちの擬人化であると見ることができる。
私が思ったのは「私は他人のコンテンツから何かを受け取っており、その結果ハウが発生しているのではないか?」ということだ。
「何か」とは、ざっくり言うと「感動」だろう。
そのコンテンツによって得がたい喜びを得た、あるいは衝撃の展開に心揺さぶられた、など。
私は、コンテンツの作成者が予期していなかった形やタイミングで、コンテンツから「感動」を受け取っており、「あ〜なんかこの受けとったものをお返ししなきゃ〜」という気持ちになって、「感想」という形で「返礼」しているのではなかろうか。
贈与の概念の解説は、このnoteがとても分かりやすい。
これは個人の見解だが。
贈与により受け取っているのは「形のあるもの」というよりも「ものに宿ったエネルギー」の側面が強いと思っている。
自分で購入したチョコレートと、バレンタインに渡されたチョコレートだと、なんとなく手にした時の気持ちは違うのでは?
それはバレンタインに渡されたチョコレートには「贈り主からのエネルギー(と、ハウ)」が付いている気がするからだと思う。
受け取ったエネルギーを、人は返さずにはいられない。
「申し訳ないなぁ…」の負荷に押しつぶされないように。
「申し訳ないなぁ…」の負荷は、その昔にハウという概念が生まれるほどに普遍的であり、強力なものなのだ。
「感想」あるいは「口コミ」というのは、もしかしたら「そのコンテンツから受け取ったハウを、誰かに返礼する行為」なのかもしれない。
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