創作、最近の自分の動向について。

『ギア・ファンタジア』12話は全く何も進んでいない。
今月の更新は諦めようかなぁ…と思う。

それはそれとして、水面下ではいろんなことに手を出していた。
自分が運営しているDiscordのメンバー限定でよその子を描いたり、ギア・ファンタジアをシェアード・ワールドとして展開することに決めたり。
そうそう、Artstationにも登録してみた。

よかったら見てね!全文英語だけど!

声に出してみて気づいたのだが、私の中にはずっと「自分の創作で、誰かと一緒に遊びたい」という強い渇望があった。
お金が得たいわけでもない。名誉が得たいわけでもない。
そして不特定多数にチヤホヤされたいわけでもない。
ただ一人、ギアファンの世界を面白がってくれて、一緒に遊んでくれる人がいればそれでいいのだ。

これは、私を創作の世界にドボンさせた「10代の頃の渇望」が根底にある。

創作の設定を練り続けていたのも、漫画にすることにしたのも、根底には「誰かと遊びたい」がある。
そうでなければ、目に見える形にすることなんてなかったのだ。

今まで「自分の創作で誰かと遊びたい」という気持ちは、2つに分解して処理してきた。
「誰かと遊びたい」と「創作がしたい」だ。
前者は友達のキャラクターのファンアートを描いて満たしてきた。
後者はひたすら自分の創作の世界に没頭することで満たしてきた。

いや、しかし、これじゃ足りないのだ。
両者は、本当は分かちがたく結びついていた。
本当は「誰かと遊びたい」でも「創作がしたい」でもなく「自分の創作で誰かと遊びたい」のだ。

だからこそ、ギアファンを「シェアード・ワールド」と銘打つことにした。
シェアード・ワールドなら、誰かがギアファンの設定を下地に、新たな物語を展開してくれるかもしれない。
私の知らなかったギアファンを見せてくれるかもしれない。
私はずっと「そういう遊び」がしたかったのだ。

声に出して、初めてそれが納得できた。
と同時に「多くの人にとって価値がなくてもいい。たった一人を見つけられたらそれでいい」と思えるようになった。

友達にこのことを相談したら、友達は言ってくれた。
「私も中学生の頃、プロじゃない普通の人の漫画の世界観にハマったことがあるよ!
ずっと創作を続けて、声を上げ続けていったら、もしかしたら遊んでくれる人が現れるんじゃないかな」

そうか、この渇望は私だけのものじゃなかったんだ。
そして思った。
「今、繋がっている人」たちにこだわる必要はない。
「いつかの誰か」に会いに行くために、動いていいんだ。
いや、動こう。

だからこそ、創作をしながら、腰を据えて「一緒に遊んでくれる人」の到来を待つことにしたのだ。
少なくとも10年は声を出し続けていこうと思う。
それで現れなかったとしても、もしかしたら私は別の形での満足が得られるかもしれないのだから。

あなたのお気持ちが、ギア・ファンタジア執筆の原動力になります!