モロ先生の授業「『MidJourney』の衝撃と、人間の生活の変化」
論破を目的にした対話と創造した時のリターンの大きさ
最近は、あらためて「作ること」の大きさ(資産性)を痛感しています。
ツイッターやテレビとかを見ると、日本人の多くが「論破することを目的とした対話」を繰り広げていますが、やっぱ「論破」ってリターンがあまりにも小さい。
その活動に資産性が無いから、要するに自転車操業で、延々と自分の身体を目先の口喧嘩に捧げ続けなきゃいけない。
それよりも、皆で手を組んで、何かを作って、そいつに働いてもらった方が大きいんですけども、それって、成果が出るまでに時間がかかるので、皆さん、あまり選ばない。
あとは「創造した時のリターンの大きさを知らない」というのもあると思います。
「クリエイティブな活動」はテクノロジーで民主化されている
こういう話をすると、「いやいや、私には関係ない次元の話だし」「私、絵とか描けないし」と片付けちゃう人が多いと思うのですが、それって、ものすごく古い考え方だと僕は思っていて、ここが今日の本題です。
たとえば、今、「写真を撮る」というアクションって、子供から爺ちゃん婆ちゃんまで、誰でも、やっているじゃないですか?
なんなら撮った写真を加工までして、インスタにアップしたりしてますよね。
中には、趣味で始めた、それが仕事になっちゃっている人もいる。
「写真を撮る」というアクションは、大昔は本当に超超超専門家にしかできなかったことですが、テクノロジーが発達して、現代においては特殊技術じゃなくなった。
そんな感じで、歴史的に見ると、「クリエイティブな活動」って、ジワジワと民主化されていって、あらゆる業界でプロとアマの境界線が曖昧になっている。
「私には関係ない」が減ってきているんですね。
『Midjourney』で人間に残される仕事が見えてくる
で、ここにきて、ついに「絵」というジャンルに時代のメスが入ったなぁと思っていて、それが先日お話ししたAIアートですね。
今だと、『Midjourney』が AIアートのスーパーエースだと思うのですが、これ、まだまだ触ったことがない人がほとんどだと思うんですね。
こういうことって、絶対に知ってた方がいいと思うんです。
それこそ、「コンセプトアート」の領域では、これからは「画力」よりも、「AIに指示を出す力」の方が確実に重要になってきて、そうなってきた時に、「私、絵は描けないから」は、「私、写真とか撮れないから」ぐらい、不思議な言葉(古い言葉)になってくる。
これ、話を聞いているだけだと、いまいちピンとこないと思うので、今日の放送終わりで、一度、『Midjoueney』を触ってみてください。
「『絵を描く』という特殊技術が、今、これだけ一般化されたんだ」ということが分かると思います。
「クリエイティブが、これだけ身近になったんだ」ということが分かると思います。
あと、少し触れば、AIの性格(得意/不得意)が見えてきます。
つまり、人間に残される仕事が見えてくる。
今日の話をまとめると、まずは「論破するな。創造しろ」というところで、作った方が絶対にリターンが大きいから、そっちに時間を割いた方がいい。
そして、「作る」ということに関して、今まで「プロの仕事」と思っていたことが、テクノロジーの進化によって、そうでも無くなってきたので、「私には関係ない」と判断する前に、一度、テクノロジーに触れてみてください…といったところです。
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