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日記:通勤とかいう意味わからん儀式

拙者は一応社会には適合しているので、なんとかサラリーマンのコスプレができている。

肩書は一応エンジニアにはなっているものの、自分でも大した技術を持っているとは思っていない。
何なら事務作業などがとにかく多い。
伝票処理やら採算の取りまとめがエンジニアの仕事か?とは思う。

それでも最近は思考が変わってきていて、
”事務処理ばっかり回されて無能になってしまった”
ではなく、
”人事や組織に最初から無能だと見抜かれているので無能でもできる仕事を任せていただいている”
というポジティブ変換をしている。

ポジティブかこれ?
いいんだよ給料が出れば。

本題として、最近特に苦痛なのが通勤だ。
家から1時間強、遅延すればギリ2時間かかるぐらいの距離から通勤している。
これはもう実家から通っているので完全にこどおじの僕が悪い仕方がないのだが、行って帰るだけで疲れる。
給料の発生はもちろん定時間内なので、通勤時間とかいう一円にもならない時間帯でドチャクソ疲れる羽目になるというなんの罰ゲームかよくわからないことになっている。
某ウイルスのおかげで、ほぼほぼ在宅勤務が可能な時期もあったが、最近はテレワーク制度がナーフされてしまい、半分無かったことにされている状況だ。

都内の満員電車は素晴らしい。
お手軽に地獄を味わえるのだから。
僕は本来近い距離に人がいるだけで落ち着かない性分で、エレベーターの乗り込み具合によっては行き先が5階ぐらいであれば階段を選択するような人間だ。
スマホでもいじろうかと思うときはあるけど、周りに人がいるところでスマホをいじるのは落ち着かないし、片手につり革握っているときにできることなんてたかが知れている。
精々音楽を聴くのがやっとだ。
満員電車でワイヤレスイヤフォンを落とすと”死”なので、それも混み具合によってはできない。

考えれば考えるほど通勤をする意味がない。
一円にもならないし、いうほど運動にもならない。
ただ心身に負荷をかけるだけ。
ラフな格好ならまだしも、いったい誰が決めたのかわからんスーツとネクタイで身体を拘束されている状況。
誰に見せるわけでもない。内勤がスーツ着る意味あるか・・・?

生産性やワークライフバランスを訴える前に通勤をなくした方がいいと思う。

通勤の素晴らしさ、だれか教えてください。

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