私には決まりが必要である (後編)
以前の記事の後編です。前編の記事はこちらです。
前編では、私の中にある決まりが、特性上の理由をふまえて「ぼちぼち」のところで生きるために、自分なりに作った対処法である、という「インプット」の話をしました。
この記事では、そのインプットをふまえて現在私がどういう「アウトプット」を求めているのか、についての話をします。
※この文章には発達障害の特性傾向的な話もちらほら出てきますが、あくまでどれも私個人の場合の話ですので、ご留意ください。
◆後学のために、客観的にどう見えるのかという情報を求めている
さてここからは、「自分が何を求めているのか」の話です。
1年ほど通っている地元の発達障害者支援センターで、尋ねたことがあります。
「お葬式の時って、どういう風に振舞っていればいいのでしょうか?」
冠婚葬祭では、少し特別なふるまいが求められるらしいということは、人から教わって理解しています。しかし、どのように振舞えば、悲しい気持ちや嬉しい気持ちをちゃんと伝えた上でうまく溶け込めるのかが理解できていません。
すると、その時話を聞いていた支援センターのセンター長が、こう答えてくださいました。
「うつむくように斜め下をみて、ポケットに入れたハンカチを取り出して握ってみたり、ちょいちょい涙をぬぐうようにしてみたり。そういう風にするといいかもしれませんね。」
まさに、私が知りたかった情報を教えてくださいました。
一部の方は「人をだますようだ」「気持ちが入っていないならただのポーズだ」と嫌悪されるかもしれませんが、私が知りたい情報は、こういうものです。
場にふさわしい振る舞いとは何なのか。そこを知ることは、自分の中にある気持ちをある程度正確に伝えるため、内と外を近いものにするために必要な「調律」のようなものです。
私は私を守るために、自身の「調律」がしたい。
◆「わたし」を知るために、先入観にとらわれない視点を求めている
前編でもちらほら取り上げたように、私の場合は、思っていることと外に出る行動によるイメージが乖離することが多いです。
たとえば、以前支援センターの方に、こんなことを言われたことがあります。
「新坂さん、今日はいつもよりとてもよく喋るし、テンションが高いですね。もしかして、疲れてませんか?」
言われてみると、その日はちょうど特別な用事があって、いつもはしない早起きをして、午前からその時まで用事づくめの日だったのです。
正直、目から鱗でした。自分が疲れていることに、自分でまったく気づいていなかったからです。それにだいたいの人は、「とてもよく喋る」「テンションが高い」ことと「疲れている」ことは、結びつかないのではないでしょうか。
このように、先入観にとらわれない観察と把握、アウトプットがあると、自分が知らない自分の気持ちや声を知ることができるので、先ほど話した「調律」もより進みます。非常にありがたいです。
◆これから決まりをつくっていきたいこと
さて、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。最後に、自分なりにこれからの課題について考えたいと思います。
・怒っている時の決まりの作成
嬉しい時や面白い時、悲しい時のための決まりはありますが、実は、怒っている時のための決まりがありません。そういう時はその場で爆発してしまうか、必死になかったことにするしかない状況です。なので今後は、怒っている時にそれを伝えられる決まりの作成を進めていきたいと思います。
・当たり障りのない相槌リストの充実
語彙が少ないためか、相槌の幅が非常に狭い難点があります。これには、読書等から始めて引き出しを増やしつつ、いい資料を探していくことで、今後少しずつ増やしていきたいと思います。
これで、今回の話は以上になります。拙い文章ではございますが、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。よろしければ今後も、こうして書かせていただきますと幸いです。
この度は目に留めていただきありがとうございます! フォローはお返ししておりますので、是非相互になりましょう! もしサポートもいただけることがありましたら、とっても幸せです。