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グローバリズムの真実~婚姻制度の起源~

結婚して幸せになれるかどうかなどというのは、まったくの偶然の働きによるものである。(高慢と偏見/ジェイン・オースティン)

政府主導の男女共同参画政策により、生涯未婚率が上昇し、結婚を望まない男女だけでなく、息子や娘の結婚を望まない親が増えてきました。日本のような資源のない国において、女性が結婚後に仕事を辞めて、育児が終わったら余暇を楽しむような生き方は、持続可能なライフスタイルではなく、戦前の農家のように、女性が結婚後に過労を強いられるのが、経済危機が到来した現代社会では妥当なライフスタイルといえます。

雇用にまつわる女性優遇も含め、社会情勢が急激に変化しているにも関わらず、未だに親世代の結婚生活を夢見る女性が一定数存在するのは、家庭の中で刷り込まれた母親の生き方を踏襲しようとするからだと考えられます。本来、庶民の女性にとっての『ふつうの結婚』は、不自由で不公平であるため、現代的な価値観にそって考えると、あえて苦労を経験し、成長することを目的にするぐらいがちょうどいいのかもしれません。

逆に、父や祖父が事故や病気で働けなくなり、母や祖母が苦労するのをみて育ったとか、兄弟が生まれつき障害をもっていて苦労したとか、育った家庭の中で、ある程度の苦労を経験し、また新たな苦労を経験したいと思わないのであれば、独身のまま暮らした方がいいのかもしれません。先代のモデルロールと今の自分を比較したとき、今の自分の方が良い暮らしをしていると感じられるかどうかが大切だと思います。

もともと婚姻制度は、子どもを産まない性の血筋を基準に資産や家名を継承するためにあるので、男性優位の条件で成立するのが本来的ですし、子どもを産む性の血筋を基準に継承する場合は、もう片方の親を特定しなくてもいいので、本来の意義にそぐわなくなります。中国には、世界的にみても希少な母系社会を維持する民族(モソ族)が存在していますが、そこには婚姻制度が存在せず、『父』や『夫』という概念も存在しません。

日本の一夫一妻の婚姻制度は、明治に入ってから富国強兵の一環としてヨーロッパから導入されたもので、江戸時代まで下層階級の男性は生涯独身者が多く、上流階級の男性が一夫多妻の結婚をするのが『ふつうの結婚』だったようです。財力のある男性が女性に若さを求めるのも、結婚の本来の目的が跡継ぎを残すことだと考えれば自然なことです。男性にとっての理想の結婚とは何かを考えることで、婚姻制度の本質が見えてくると思います。

一般的に男性が女性に求めるのは、自分にできないこと(妊娠、出産、授乳など)や苦手なこと(家庭では主に家事、育児、介護、職場では主に事務に附随する雑務や対人援助業務など)を代わりにやってくれることであり、さらに資産のない男性は、自分が病気や事故で働けなくなっても1人で生計を立てられるくらいの経済力を結婚相手の女性に求めます。女性の多くは男性がやりたがらないことをやることで自己実現しやすくなると思います。

私は母や祖母が定年まで共働きだったため『自分で稼げるなら結婚しなくてもよかったのでは?』と聞いたことがあるのですが、どちらも『仕事が安定していても独身のままだと肩身が狭いので結婚した』と言っていました。独身者の世間体が悪くなくなった今、婚姻制度は形骸化していく一方ですが、最近は同性婚(同性同士のパートナーシップ)が市民権を得るようになり、新たな意義が検討されるようになったと思います。

ドラマ『ダウントン・アビー』では、女性に相続権が認められていなかった20世紀初頭のイギリスを舞台に、限嗣相続制と呼ばれる法律によって、伯爵家の長女が親戚の中流階級の1人息子(相続人)と出会い、葛藤する様子が描かれています。政略結婚が当たり前だった時代のロマンスとは、婿をもらって家を継ぐ女性の使命とはどんなものだったのでしょうか。結婚に必要なのは愛やお金ではなく、母国に対する忠誠心なのかもしれません。


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