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ベンさんへの回答

今年の年明け、日本のインディーズ映画を海外に紹介するウェブ雑誌「indievisual」のベン・ディマグマリュさんからご連絡を頂き、コロナ禍での映画作りについての質問に回答を寄せた。先日、質問を投げた25人の映画作家の回答が出揃い、ようやく記事になったとメールが届いた。記事は全2回で、私の回答は2回目の方にある。

ベンさんには、昨年一度失礼なことをしている。
『すずしい木陰』公開時に、長文の記事を書いて頂いたのだけれど、英文の記事を、どのようにご紹介すべきか右往左往するうちに、機を逸した。
今更だけど、その記事も一緒にご紹介したい。

どちらも記事が英文なので、コロナ禍についての私の回答のみ、下記に原文を。
年の初めに送って、私自身、何度か読み返した。
考える契機を与えてくれたベンさんに感謝。
ベンさん、どうもありがとう。


Q1)コロナ禍によって昨年かかわっていた仕事、又は制作している作品はどのような影響があったでしょうか?

監督した作品『すずしい木陰』が、昨年の4月4日に劇場公開を迎えたのですが、東京都の緊急事態宣言の発令に伴い、映画館が休館に追い込まれ、4月7日を最後に上映が中断しました。2ヶ月弱の中断の後、6月1日に上映が再開。以降、2020年の年末まで、国内あちこちの映画館で上映して貰いましたが、感染拡大防止の観点から、座席数を半分にしての上映がほとんどでした。
封切り時。4月4日から7日まで、都合4回の上映があったのですが、次にいつ映画館が再開するかわからない中、あの4回の上映に駆けつけてくれたお客さんは、劇場を毎回ほぼ満席にしてくれました。お客さんたちの興奮はSNSなどで拡散・共有され、6月の上映再開の後、追加上映に結びついています。映画が公開されるタイミングとして、振り返ってみれば最悪なのですが、その分、どうしても映画が観たいという人間の熱や、映画館を介して映画がお客さんの手に渡り、お客さんのものになって、初めて1本の映画が誕生する、ということを強く意識させられました。


Q2)今後、つまり「ポストコロナの世界」、自分の映画作りが変わると思いますか?又、このようになってしまった世の中を経験して、どのような物語をこれから撮っていきたいか、考え方が影響されましたか?

正直、この質問について、どう答えれば良いのかわからず、数日考えていたら、死ぬまでに撮りたい映画の企画を思いつきました。その企画は、以前、コロナ禍になるよりもずっと前に頭に浮かんでいたものなのですが、あまりにもバカバカしくて途方もないので、放ったらかしておいたものです。……と、ここまで書いて、『すずしい木陰』の企画書にも、同じフレーズを書いたことを思い出しました。あの映画も、あまりにもバカバカしくて途方もなかったので、思いついてから字にするまで、1週間放ったらかしていたのでした。
コロナ禍は、私にとって、時間は限られていることも意識させました。
それは、私の年齢も関係しているかも知れませんが、それ以上に、今日が元気でも、明日も元気でいられるかはわからない。1週間後、生きているかどうかもわからない。そういうことが「もしかして」の話ではなく、covid-19に感染した場合、自分の体に起こる身近な変化のプロセスとして、現実的に私に迫ってきた。つまり、いつか私も必ず死ぬということを、コロナ禍では意識せざるえないし、コロナ禍なんかなくたって、私はいつか必ず死にます。ならば、やるべきこと、作るべき映画を見極めて、そのことに、できる限りの時間を費やすべきだし、人生であと一本だけ映画を撮れるとしたら、という、お楽しみアンケートみたいな設問が、人生の残り時間も視野に入れて、きちんと考えておくべき問題になってきた。いや、そんな理路整然とした話ではなく、ベンさんの質問に、どう答えるべきかと考えたいたら、不意に、しばらく忘れていたバカバカしい企画のことを思い出し、これはどうしてもやるべきだと思いました。大変かも知れないけれど、シンプルに撮りたいと感じ、その気持ちに従って動くべきだと思いました。
ポストコロナの世界では、自分の中から出てくるバカバカしくて途方もないことに、もっと敏感にならなければならない。そのようなものこそが、私が作るべき映画なのだと気付いて、その実現に時間を費やさなければならない。私の映画作りは、そのように変わってゆくと思います。そして、そのようにして見つけられた物語は、コロナ禍になろうがなるまいが、私の中や身の回りに、既にあるものなのだろうと思います。◼️

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