保守、遊牧民、傀儡子
自分の中に保守の気が育っていっていることに最近気付いている。いやだなと思った。
新しいこととか変化とかを怖いって思うのめっちゃいやだと思ってたのに、その気持ちがわかるようになっちゃった。
気持ちがわかるようになったことは嬉しいけど、新しいことや変化を怖いって思いたくない。怖くても仕方ないけど、嫌悪したくない。歓迎したい。
怖がってると気づけるならまだよくて、最初、その新しいものに対して、不快感とか嫌いとか感じてしまったりしていることに気づいた。本当は怖いだけなのに。
うげー、と思った。でも気づいてよかった。
原因は、移動が減ったからじゃないだろうか。
価値観は、自分で独自に育てているような気がするけど、実際は、環境とか土地から多大に影響を受けていて、同じ場所に長くいると、そこの価値観で固くなっていく。
それで別に不自由はないからさらに厄介。 家父長制でやだなとわたしが思う一つはそれです。その家の独自の価値観の世界の中で一生いきていくから、その価値観が崩されることがなくて、そこが心地良くてそこから出ないからその正しさが増していってしまう。でも、それと同じ気配が、自分の中に生まれている。物理的にか精神的にか、移動が必要ですね。
またコテンラジオのことだけど、遊牧民の回を聴き始めた。遊牧民、、いまのわたしに大変響く民です。国家の概念が全然ちがうそうです。土地じゃなくて人が国家だそうで、移動するから物を持たないから、権力とか富とかの考え方も違うそうで、考えたことなかったけどそりゃそうか、と興味津々になった。
自分は定住の農耕民族なのかぁと思うとなんとなく残念。移動の民に憧れる。
ツアーしまくってたときは、傀儡子(くぐつし)という存在がめっちゃ気になっていた。平安時代ぐらいからいた旅芸人みたいな感じで、人形劇みたいなのしながら各地を回っていた、みたいな感じでです。それが江戸時代に人形浄瑠璃とか歌舞伎とかに発展していたとかなんとか、、。自分も音楽とか人形劇しながら各地回ってたから、なんか、傀儡子にシンパシー感じていた。流浪の民って、めちゃくちゃ魅力的と思ってた。
流浪の民とか旅芸人とか傀儡子とかジプシーとか、あと歩き巫女というのも気になっていた。
今ではもう傀儡子にシンパシー全然感じてないことが寂しいです。
あと畑をやるっていうことへの少し何かモヤモヤはここにも原因がありそうです。でもいまコロナで、そんなにびゅんびゅん移動はできないし、
こんな5Gとかの時代で、自分のいる場所、物理的な現在地が、以前とは意味が変わってきて
そのうえでいい具合の、新しい環境を取り入れ続けたいです。遊牧民の考え方知りたいです。
遊牧民と流浪の民はちょっとまた話が別ですね。一方は集団でもうそういう生き方をしていて、もう一方はどちらかというと、集団から外れたような感じでしょうか。イメージ的に。そう考えたらほんとに遊牧民のことって全く知らないなって思います。
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変化の怖さがわかって嬉しいけどやっぱ変化を怖がるのやだなーと思います。はじめに書いたのと同じこと書きました。
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