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褒めて育てる…は、ちょっと違うかも

「叱るのではなく
褒めて育てよ」。

ちょくちょく聞きますよね。

なんですけど

子育てが終わったいま
これ、ちょっと違うよな…
と感じています。

褒めて育てると

褒めてもらうために、やる

という構図が
出来上がってしまうような、
そんな気がするんですよね。

親としては、
その子自身が輝けること、
心の底から「やりたい!」って思えることを
やってほしい。

でも、
「褒める」という行為によって
「褒められること」こそが
やるべきことだと思い込んでしまう、
そんな危惧もあるような気がして…。

かといって、
何かいいことがあったのに
褒めてもらえないのは
寂しすぎます。

「うちの親は
私に興味がないんだ…」と
思わせてしまう。

で、考えたんですけど

祝う

っていうのが、
いいんじゃないかと
思うんですよね。

テストで100点をとってきた。
「よく頑張ったね」でもいいけど
「よかったやん、おめでとう!」
のほうがいいような気がする。

そこには、
あなたも頑張ったけど
頑張れるだけの体力と健康があったのは
カミサマのおかげかもしれないし、
周囲の人たちの応援や気遣いも
あったと思うし、

つまり
あなたの周囲の状況すべてが
あなたの味方だった

ホラ、あなたは、
宇宙のすべてから
愛されてるんだよ♪

みたい意味が
含まれている気がするんです。

宇宙のすべてから
愛されている感覚。

これはつまり、
基本的自尊心てやつです。

私は、生きていていい。
何の根拠もないけど、
私ってスゴイ。

そんな感情を育てるのは、
やはり、「褒める」より
「祝う」なんじゃないかと思っています。

100点を取って
褒められるってことは
じゃあ、60点だった時は?
ってことなんですけど。

その時も、
「祝う」でいいので
覚えやすくて便利です。

点数が悪かったことで、
めっちゃへこんだ。

勉強のやり方が
悪かったのがわかった。

それなら、
「いい経験になったね」と、
祝えばいいだけですから。

まあ、私も
子育てが終わったいま
好き放題言ってるだけで
実践できたわけじゃないです。

点数悪かったら
フツーに叱ってました(^ ^;;

自分ができなかったことを
さらけ出して、
せめて、どなたか
子育て中の方の
お役に立つことができればなあ…
などと、夢見ている
オバチャンなのでした。


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