20年前の今日、オークニーが設立された

20年前の今日、2002年3月13日は、有限会社オークニー(後の株式会社オークニー)の設立日、つまり私が起業した日だ。ただし、2016年に私が代表者から退いた時点で、その事業は終了となり、「株式会社オークニー」はもう存在しないので、残念なことに設立20周年式典を挙げることはできない。

2002年2月まで私は、地理情報システム(GIS)パッケージソフトウェア事業を手がけるマップインフォ・ジャパン(米国MapInfoの日本法人)に勤務していた。本社側の都合で2002年2月に事業を終了したことに伴い私も自動的に失職したのだが、GIS自体の将来性を確信していた私は、この分野に引き続き関わりたいと思っていた。そこで、GISの普及と導入を支援するコンサルティング事業を行うチームを作りたいと思ってこの会社を設立した。私1人からのスタートだった。

当時は、ドットコムバブルの崩壊直後にあたり、GISのみならず、将来有望とされた位置情報サービス(Location based services)分野も逆風が吹いていた。そうした厳しい環境下でも、それまで仕事でお付き合いをいただいていた人々のご厚意で、いくつかの案件を担当することができたことには、今も本当に感謝している。

横浜市中区山下町のシルクビルのSOHOの一部屋を借りていた。2003年に妻と撮影。

当時のGISは1ユーザーライセンスが数十万円もし、サーバー側で地図配信を行うソフトウェアに至っては、数百万円するなど、専門家や限定的な利用に留まっていて、とても普及するレベルでは無かった。同時に、パソコンやモバイルデバイスの性能も不足し、何よりもGPS受信機自体が高額だった。

ハードウェア環境のハードルを下げることは、私にはできることではないので、ソフトウェア利用のハードルを下げられないかと思って行き着いたのが、当時国内では、まだ認知されていなかったオープンソースソフトウェアの活用だった。ネットで調べても、オープンソースGISに関する日本語のサイトはほとんどない。2003年から、一緒に仕事をするようになった丹羽さんも「面白そう」と賛同してくれ、その分野に賭けてみようかと思った。まずはGRASS GISMapServerのダブルバイト対応(i18N)を企画し、当時GRASS GISの日本での第一人者の大阪市立大学のベンカテッシュ・ラガワン先生、升本眞二先生と繋がり、情報処理推進機構(IPA)の2003年度のオープンソースソフトウェア活用基盤整備事業に採択されたことで、事業は歩みを開始した。

2004年4月にGRASS GIS日本語版のディストリビューションを発売(当時のメンバー)

その後、オークニーは、オープンソースのGISの普及を事業とし、OSGeo日本支部の設立を支援し、私がその代表者を務め、事務局機能を引き受けるなど、日本のオープンソースGISの成長と共に歩んだ。コミュニティの皆様の協力を得て、文部科学省の宇宙利用プロジェクトにより、QGISの日本語環境への対応なども実現した。こうした一連の歩みは私が以前書いていたブログ(新規投稿はされていない)に詳しく書かれている。

社名の由来となったスコットランドのオークニー諸島で撮影
(2006年にローザンヌで開催されたFOSS4Gカンファレンスの帰路で立ち寄る)

オークニー時代の私の体験は、成功に満ちあふれたものでは全く無く、未熟さ故の失敗の積み重ねでもある。新規の事業立ち上げや営業、マーケティングの経験はあっても、経営の経験は無い。技術に精通しているとも言えないし、プロジェクトマネジメントスキルも無い。それでも、たった1人から立ち上げた会社が、お客様に恵まれ、10年程で横浜市のみなとみらいにオフィスを構え、売上が3億円、社員が二十数名の規模まで到達したし、何よりも日本でオープンソースGISのコミュニティが成長し、利用が大きく促進される状況づくりに貢献できたことは、大変嬉しい。

「自分の会社」が無くなってから、会社経営者では体験することのできかったことをしたいと思った。その結果Appleに職を得て、その後はフリーランスのカートグラファーの傍ら、HEREでも業務に従事している。グローバルプラットフォーマーでの業務は、日本国内の事業では体験し得ないことが実に多く、これはこれで学ぶことが多い。同時に、オープンソースGISの普及を推進する立場から、株式会社MIERUNEの応援団(社外取締役)を務めている。欲張ってあれこれ同時にやっているので、夜、土日含めてとても忙しい(Pokemon GOは別・・・)。

振り返ってみて、この20年間、起業、経営、コミュニティ、グローバルプラットフォーマーでの業務、カートグラファーとしての業務など、実に様々なことを体験した。必要となるスキルも都度変わってきて、そのたびに学び直して適応してきた。自分自身に関わることだけで無く、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、そして直近ではロシアによるウクライナ侵略もあり、生きること自体のスキルも学び直しの連続である。

かつてダーウィンが、「生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである」と記したように、これからも様々遭遇するであろう変化に、柔軟に適応するようにしていきたい。

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