おじさん式をやろう

今年で僕は36歳になる。
で、最近ひしひしと感じていることがある。自分はおじさんになっているのか、と。趣味でフットサルをやっているのだけれど、いつの間にか周りは自分より若い人が増えてるし、最近は捻挫にもなりやすいし、なると治りにくくなった。なにより、フットサルで意見を交わしているときに、何故か気を使われている、と思う場面が増えた。チーム内で、他の人と話しているより遠慮がちに僕に話していると感じる人が少しずつ増えていて、ふと、これはもしからしたら年齢によるものなのかな?と思い始めた。

特にフットサルのときは、10代の頃から年齢を気にしていなかった。高校生の時から社会人チームにいて、時には自分が一番若かったけれだ、言いたいことを言ってきたし、言われてきた。プレーに年齢は関係ないから、それでいいと思っていた。その自分のスタンスが変わっていないのにも関わらず、相手の対応の変化を感じた。自分は変わっていないのに、と思ったあとで、自分が変わっていないからだ、と思い立った。

歳をとっていくなかでひしひしと感じる恐怖は、体の衰えではない。フィードバックが減っていくことだ。10代20代の頃は望む以上のフィードバックをもらえたのが、それがどんどん減っていく。体の衰えは自覚できるけど、経験によって得られる実力と、自らの至らなさを自覚させるフィードバックが減るのは、実力と反比例しているからなのか、ただ歳をくって言いづらい存在になっているだけなのかの判別が難しい。潜在的は気づいていても、目を逸らしてしまう。

話がくどくなるのも、LINEのスタンプが気持ち悪いのも、うざいのも、フィードバックがないからだ。

そんなこと自分で気づけよ、という意見は大いに賛同できる。ただ、多くの会社が、上司からの評価があったり、はたまた360度評価をしているのは、自分を正しく評価するのは難しいからだと思う。

じゃあどうすればいいのか。

僕は成人式をするように、35~45歳くらいを対象に、おじさん式をすればいいと思う。

さっきは10代20代の時はいろいろ言われたと書いたけど、特に成人式前後は特に言われたのではないだろうか?もう大人なんだからとか、もう社会人なんだから、とか。

もう学生気分でいるなと新入社員のときに言われて、当時は理解できなかった部分もあったけど、学生を終えて社会人になった、という自覚があったから、そんなものなのかと受け入れた。

成人・社会人になったときに受けた言葉は、傾聴に値するものもあれば聞き流したものもあるけれど、通過儀礼として成人・もしくは社会人になったことで、自分も、自分の周りも、僕のことを成人・社会人に見做すことができたし、~になったんだからと、周りも当人に変化を促すことができた。

おじさんはどうなのか。

たいていの人は、おじさんと若者の狭間に揺れながら少しずつおじさんになっていくのではないだろうか。そこで自覚的になれなかったり、過剰適応することによって、周りにとって嫌なおじさんになってしまう。

だからおじさん式をしてほしい。

そして、おじさん式の際には、話が長いとか、LINEのスタンプがキモいとか、パパくさいとかという呪い言葉ではなく、これから話は短めにねとか、LINEのスタンプと自分のキャラのバランスは考えてねとか、パパ好きとかの祝いの言葉がほしい。そっと、嫌なおじさんになる落とし穴を教えてほしい。

もちろん希望者だけでいいし、いいおじさんを指南する必要もない。そうすると、おじさんになることに対して少しばかり自覚的になって、いい年の取り方がしやすくなるかなぁと思う。

もちろんおばさん式も、おじいちゃん式もおばあちゃん式もいいと思う。

人は変わらない部分と変わらざるを得ない部分とがある。自分と、自分に対する周りの変化に対して少し自覚的になって、それを楽しめたらいいな。

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