感想/映画『ボヘミアン・ラプソディ』の観客は、映画を観たのか?

映画『ボヘミアン・ラプソディ』はロックバンドQUEEN(クイーン)のボーカルであるフレディ・マーキュリーの伝記ドラマだ。特に「ラスト21分」からは自然と涙が流れるほど感動する、らしい。幼いころからよく知っている友人から、「周りは泣いていたし、泣く気持ちは理解できる。ただ、何故涙がでるのかはよくわからない。観るべき映画だ、自分はギリギリ泣かなかったけどね。」と小学生の時によくした無駄な意地の張り合いのようなセリフと共に薦められた。

観てみると、確かに最後のシーンがいい。感情を揺さぶられる、とはこのことだと思った。ただ、なんで感情が揺れるのか、確かにいまいち言語化できなかった。

でも薦められた映画がただ良かったとだけ伝えるのは癪なので、感情を揺さぶられる理由の言語化を試みてみた。

例えば、主人公(フレディ)が魅力的である。間違っていない。フレディの、夢に真っすぐで、葛藤を抱え、周囲と衝突しながらもがき続ける姿は、美しいし、悲しい。映画を彩る重要な要素だ。でも、これだけではこの映画の素晴らしさの半分も説明できていない気がする。

例えば、ライブシーンが圧巻である。間違っていない。10万人の観客の前でやるライブは格好良く、時には観客を巻き込みながら作るライブ空間は1つの作品を言っていいほどだと思う。でも、ライブシーンの素晴らしさを重ねても、この映画の魅力の半分も説明できていない気がする。

じゃあ何が『ボヘミアン・ラプソディ』を良作足らしめているのか。ここまで考えて、思いついてしまった。

答えは2重構造の体験だと思う。2重とは何か。映画と音楽だ。そりゃロックバンドの映画なんだからそうだろうと思うかもしれない。だがちょっと待ってほしい。順番に説明していこう。

映画体験
これはフレディのヒューマンドラマだ。この映画の中のフレディは粗削りな魅力を放っている。『フォレスト・ガンプ』や『ショーシャンクの空に』に劣らないヒューマンドラマがこの映画の通底にある。そしてQUEENの名曲のいくつかにも、それが出来るまでのドラマがある。

ライブ体験
ライブ会場にある、一体感と解放感、演奏者と共にライブを作っているように感じる体験を、カメラワークと音響で実現している。カメラワークは、ライブ会場後方から、中央、前方の観客と舐めるように映していくシーンもあれば、フレディの目線から10万人の観客を見つめるシーンもある。

ラスト21分からのライブシーンは、それまでのヒューマンドラマの最終地点にいるフレディに対する感情移入と、ライブ会場にいてQUEENを見つめる観客の1人になりきった感情とが入り混じる。

映画としてフレディを見ているのか、ライブに参加して会場のフレディを見ているのか、あるいはその両方なのか。今までのヒューマンドラマを通底としたライブシーンとカメラワークの完成度によって、観客は2重の観客になってしまい、もはやいま体験しているのは映画としての『ボヘミアン・ラプソディ』なのか、はたまた音楽としての『ボヘミアン・ラプソディ』なのかわからなくなってしまう。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』はただの映画ではない。映画であり、音楽なのだ。

この映画をみて感情を揺さぶれた理由をつらつら考えてみたら、こんな結論になった。幼いころからの友人に張り合って、お前が『ボヘミアン・ラプソディ』に感動した理由を教えてやる、と言ったらどんな反応をするだろう?


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銀行で営業→不動産人材サービス会社で財務経理→M&A先のバックオフィス業務全般担当→兼務のまま新規事業推進&事業承継・売却とかのときの担当。 日々の気づいたことを書いていこうと思っています。