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<大人の童話>回想スープ店の本日のスープ

ある北国の深い森に小さな町があって、その更に森の奥に一軒のスープ店があった。

町には他にもレストランがあったが、とりわけ1人で行くにはその店はちょうどよかった。
重たい木の扉を開けると壁側には大きな暖炉があり、中では太い薪が煌々と燃えている。
間隔の開いた客席。1人がけのテーブル。赤いベルベット生地の椅子。音楽はかかっていない。
薪が爆ぜる音がパチリパチリと耳に届く。

おしゃべりが似合わないこの店で客は一様に静かになる。そのためか今日あったことを回想するには全くちょうどいいのだった。

ある木枯らしが吹く秋の夕暮れ、スープ店の噂を聞いたフクロウが店の扉を叩いた。
暖炉に一番近い席に座る。ふかふかした椅子がなんとも贅沢な気持ちにさせてくれる。
厨房と客席は大きな銀色の扉で仕切られていて中は見えないが、背の高い痩せた男が厨房と客席を行き来しているのが見える。
この店の店主であるようだ。席には上質な白い紙の注文用紙と万年筆が置かれている。メニューにはこうある。

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<回想スープ店 注文用紙>
    本日のスープ・・・千円
あなたの今日の気分に合わせたスープをお出しします。今日の回想をこの紙に書いてください。
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「なるほど、メニューを選ぶのではなく、こちらの今日の気分に合わせてスープをしつらえてくれるのか。なかなか気の利いたサービスだ。」
フクロウは今日あったことを思い付くままに紙に書いた。と言ってもさっき起きたばかりなので、正確には眠る前の明け方のこと。
森をほうほう唸りながら寝床へ戻っていたところ、1匹の頭を抱えたリスに出会った。

リスは「あぁ、またどんぐりの隠し場所がわからなくなった。もうすぐ冬が来るというのに、実に困った。」と嘆いている。
フクロウはクツクツ笑いながらこう言った。
「どんぐりの位置を示した地図を書いて、その紙をほっぺの中にしまっておいたらどうだ。」
リスは大変驚いた顔で「それもそうだ。どうして思いつかなかったんだろう。ありがとうフクロウ。」と言いながらほっぺに入っていたどんぐりを全部出して埋めて、さらさらっと地図を書いて大事そうにほっぺにしまった。
「また別の場所でどんぐりを埋めるときは書き足すように」ごほんと咳払いしながら仰々しくフクロウは付け足して、
ふぅと大きく深呼吸して眠りについた。親切に知恵を授けたおかげでとてもよく眠れた。
それだけ書くと、フクロウはニコニコしながら店主を呼んだ。

注文用紙を受け取った店主はそそくさと厨房に引き上げる。
ふむふむとフクロウが書いた文字を声に出して読み上げる。
そうすると読んだ言葉は紙から浮き上がってモヤのように宙を舞い、店主が導いた鍋の中へ入っていく。

そこで素早く火をつけて木べらで慎重に混ぜながら煮込んでいくと、黄色の綺麗なスープが出来上がった。
これはとても質がいいと思い、どんどんどんどん煮詰めていく。
すると本当に濃くて綺麗な橙色になり香りも良くなった。ぱらりと塩を入れて完成。
皿に盛り付けてフクロウのテーブルまで持っていった。
フクロウは大変満足してお金を倍も払って帰っていった。


ある寒い冬の夕暮れ、腹をすかせた通りがかりのキツネが店の扉を叩いた。
店の奥の席に座る。「椅子は古いし、寒い店内だ」とキツネは早速文句を言った。
注文用紙に目を通すと、例の文言。キツネはあからさまに嫌な顔をした。
「ウサギ肉をトマトで煮込んだようなスープが食べたいと思っていたのに、客なのにメニューを選べないのか。がっかりだ。」

仕方がないので今日あったことをキツネは極力整理して書いてみる。
書こうとするそばからむしゃくしゃしてうまく書けそうにないのだが、とにかく万年筆をきりりと握り書いてみる。

今日の昼頃、山の麓でキツネはナキウサギを見つけた。「まるまる太って美味しそうだな、ゆっくりゆっくり近づいて後ろからガブリといってやろう。」
キツネが右手を掛けたその時、ナキウサギはこう言って涙をこぼして泣いたのだ。
「あぁ私はみんながきちんと冬眠しているというに、お母さんのことを心配してこんな冬に山の麓まで降りてきてしまったばかなんだ。お母さんが寝床から姿を消していたからオオカミに連れ去られたのではないかとハラハラして、眠い目を擦ってここまで来たのに、寝起きだからとんだ失敗をしてしまった。どうか今日だけ見逃してくれませんか。」
キツネは流石に可哀想になって、ううんと唸って逃してやった。
「寝起きの動物を襲うなんてルール違反はやめよう。それにこんな涙で濡れているナキウサギは美味しくないだろう。」
それでも腹は鳴るので諦めきれずしばらく逃したナキウサギを目で追っていると、山の上の方の岩肌の陰から、何匹も何匹もナキウサギが出てきてキュイキュイ鳴いているではないか。
よく聞くと「ばかなキツネに気をつけろ」とさっきのナキウサギが笑いながら叫び、それを他がクスクス言いながら復唱している。「ナキウサギが冬眠するはずもないのにね、世間知らずだ」という声も聞こえる。
すっかりばかにされて騙されたのだ。
キツネは自分の正義を証明したいと思った。
冬眠明けを襲うのは卑怯なので春に勝負したいと考えたこの気高さを知ってほしいと思った。
しかし全くひとりぼっちだった。
誰も仲間がいないのにどうすると言うのだろう。
ナキウサギは仲間と一緒に笑いながら穴へ隠れてしまったので、仕方なく山を降りてここまで来た。

そこまで書くとわずかに筆先が震えていた。悔しくて悲しかった。
注文用紙を受け取った店主は、また例の如くその文字を読み上げモヤのように宙に浮かべて鍋へと放り込んだ。
焦げつきそうだったのでゆっくりゆっくり煮込んでいくと黒いスープになった。
このままではとても出せないと思ったので、細かい目のザルで丁寧に濾して、緑色のさらりとしたスープに仕上げた。
香りも悪くない。最後に塩をぱらり。皿に盛り付けてキツネのテーブルまで持っていった。
それを飲んだキツネは少し落ち着いた様子で、穏やかな顔になって、お勘定を済ませて帰っていったのだ。


さて、厨房のザルの上には先ほど濾過したキツネの心の澱が残っている。
ばかにされてひとりぼっちだと思ったあの心だ。
ゴミ箱にポイっと行きたいところだが、そうはいかない。心のかけらを燃えるゴミに出すことは法律で禁止されている。
命の宿る入れ物にしかしまえないと決まっているのだ。
庭で飼っているブタにやろうとしたが、あんまり目がキラキラしているので可哀想になった。
森の木にかけてやろうとしたが、あんまり緑の葉がツヤツヤしていて可哀想になった。
店主は仕方がないのでそのザルに残った心の澱を晩御飯のスープに入れて食べた。
すると腹はいっぱいになったが心が少し曇ったようだった。
そういえば私は料理がそんなに得意じゃないし、友達がいなくて孤独だと感じた。


それからも店主は、いい色のスープは煮詰めて凝縮し、悪い色のスープは濾過してさらさらにして、客に出した。
閉店した後にザルの上に残った心の澱があれば、店主が1人で食べた。

ある日窓の外から店主にシマエナガが話しかける。
いつも残ったパン屑をもらっている小さな白いシマエナガだ。
「今日はなんだか辛そうだね」
店主は「心が疲れているお客が多くてね。でもこれで町が元気になるよ。」と答える。
その翌日もシマエナガは話しかける。「人の心の澱を飲んであげるなんて、体に毒だからやめておけばいいのに。」
店主は「私がやらなきゃ誰がやるんだ」と答える。
店主の顔色はどんどん悪くなると町では密やかにささやかれるようになった。


ある夜、閉店後の厨房で店主はばったり倒れてしまった。 今日の心の澱のスープはまだ皿に残っている。
いよいよ体がこたえて食べきれなくなったのだ。
それを窓からシマエナガが見ていた。「あぁだからあんなに忠告したじゃあないか。1人で抱え込むなんてありがた迷惑だね。」
小さな羽をパタパタさせて窓の隙間から厨房に入ったシマエナガは、その小さな体にすいっと心の澱のスープを流し込んだ。
ぐぐっと黒いものが体を流れたが、なんとか飛んで帰れそうだ。
「これで店主も少しは良くなるだろう。パン屑をもらえなくなったら困るからね。」

翌日、シマエナガは友達1人連れてきて、店主とシマエナガとその友達3人で心の澱のスープを分け合って飲んだ。
その次の日は友達3人、その次の日はさらにフクロウも一緒に来た。
その次の日はまたさらに人数が増えて、そんな具合に心の澱のスープは店主を応援するみんなで分かち合うようになった。
すると店主はだんだんだんだん良くなって、ますますスープ作りに精を出した。
スープ作りが好きだし、孤独ではないと感じた。


ある日、店主は考えた。
心の澱を使って新しいスープが作れないだろうか。
みんなが協力して閉店後に飲んでくれているけど、これは本当は私の仕事なのだ。
そこでその晩は心の澱を飲むことはやめて、翌日のお客さんのスープにひと匙だけ隠し味に入れてみた。
そうするとどうだ。これまで綺麗でさらさらだったスープはとろりと複雑な味わいになり、また味が良くなったと評判になった。
「これまでの綺麗でさらさらなスープは美味しかったけど、今日のスープはクセになるね」とフクロウは言った。

店主はたちまち笑顔になり、注文用紙を書き換える。

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  <回想スープ店 注文用紙>
    本日のスープ・・・千円
みんなの気持ちを分かち合ったスープをお出しします。
いいことも悪いことも出し合って、一つのスープに仕上げましょう。今日の回想をこの紙に書いてください。
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さて今日もスープ店は忙しい。
みんなの注文用紙を抱えて店主は厨房へ行き、全て読み上げて鍋へと言葉たちを放り込む。
いいものも悪いものも分け合って1つのスープが完成する。

その日その日でスープの味は違ったが、本日のスープが、いい言葉を出した人も悪い言葉を出した人も、両方を癒してくれるのはいつも同じだった。
 

それからというものの、店はさらに評判になり、フクロウは悪いことがあった日も行ったし、キツネもいいことがあった日も行くようになった。

回想スープ店は町のみんなをずっとずっと癒し、町のみんなはもっともっとお店を、そして自分を、大切にするようになった。


おしまい

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