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2022.12.02 at nano "HUMAN ACADEMY"


今回は2回目のnano。および2022京都ライブ納めでした。

MoritaSaki in the pool

  1. September

  2. She set under the bridge

  3. Ride to Moonee

  4. I irk Saki.

  5. For Jules

  6. Ivy in NavySkirt


Ride to Mooneeという結成2回目のライブで一度やったきりの珍しい曲をしました。たまたまこのタイミングで見れた方、そういうリズムの方なんでしょう。

今回からnew singleの物理音源を物販に並べることにしました。たまたま納品されたタイミングだったんですけど、nanoに初回出た時は、たまたまEPが納品されたタイミングだったので、そういうリズムの箱なんでしょう。


上記2点の「そういうリズム」というのは、「その主体に結びつく普遍的一定のリズム」という意味ではなく、「MoritaSaki in the poolと接触した時のリズム」という感じの意味なので、グルーヴという言葉に近いと思います。


これってとてもわかってると便利な概念なんですよね。2つの事象同士のリズムを照らし合わせると多くの場合、毎度同じような動きをするポイントがいくつか見られるのです。これをグルーヴという説明で理解してるとよくわかりますし、ウマく乗りやすくなります。株式や為替のレートも同じですよ、世界グルーヴです。


人間関係はタイミングです。このタイミングの正体もグルーヴです。人間関係をうまくやるには、このグルーヴにうまく乗ることが重要です。

それは「相手に合わせろ」という意味ではありません。「相手のリズムに慣れろ」ということです。

グルーヴとは循環なので、どんなにズレたもの同士でも、長い目で見ればその2つのグルーヴって成立してるんですよ。
例えばですけど、3拍子のリズムと、4拍子のリズムがあったとして、それらは12拍に一回重なる点があるわけですよ。
例えばですけど、bpmが違っても、一旦ズレていくのを許容して、根気良く待てば、一定の周期というのはあるんですよ。
重要なのは、お互いが自分のリズムを乱されずに、相手のリズムに慣れることなんですよね。受け入れて慣れることです。

自分式の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」はこれです。「愛とはなんですか?」ときかれたら「リズムの許容」と答えます。


ここまでは、愛を持つ余裕がある前提(この話を聞いた前提)の方法論での話をしていますが、世の中には、これに意識が向いていない大多数のピープルたちが存在します。

そういった状態から、人間が自然にとれる最適解というのは「生活リズムをそろえる」ということなんだと思います。
個人差要素を減らすのです。そうすると、全体の個人差を込みで毎回同じ周期が発生するスパンを縮められるんですね。
そう考えると、同じ時間に寝起きさせ、食事をとらせ、生活させるというのは組織運営として最も効率的ではあるんですよね。
このほうがお互いイレギュラー少なくやれますし、本当に合わない人間は自然に間引かれていきますからね。
固体の力よりも組織の力を発揮したいのなら最善手です。そういうスタイルの企業を運営したい方はぜひ全寮制にしましょう。カルトを始めるときにもかならず全寮制は必須です。

そういう意味で、人間関係をうまくこなしたいなら「嫁が旦那が帰ってくるまで起きて待ってる構図」はめちゃくちゃ有効手だと思いますし、「子供を固定の時間に寝させる」もめちゃくちゃ有効手です。その上で、起きる時間も全員で完全に合わせるといいです。


リズムの違いがあることとそれを許容する愛があればそんなもの必要ないですけどね。一番いいのは、このことに気づいていることですよ。
あくまでさっきまでのは、個の能力より組織の効率を求めた場合に過ぎないので、個々の能力を完全に最大化した上でのシナジーが欲しいなら、「知ってる側の方法」一択ですね。


まぁ、これにもリズムがありますので、両方ガチガチになんてできないんで、どっちもある程度の落とし所を、詰めるのが一番いいんでしょうがね。

全人類に完全な愛さえあれば、落とし所なんて勝手に決まって楽なんですけどねー。


あー、こんなふうに性善説的解決法と性悪説的解決法を両方握っておくことも人間重要です〜。そうじゃないならコンピュータで事足りますからね。


全然関係ないですけど、

” どっかでひろった100円ライターのガスが小刻みに揺れてる
 液体と気体の間、どっちにも寄りたくない気持ちだ ”

この歌詞大好きですね〜。


オクヤマカナコ(sea's line)

福岡のsea's line、オクヤマカナコさんのエレキ弾き語りです。
エレキ弾き語り好きなんですよね。
出したい音がすごくわかりやすいからだと思います。

エレキ弾き語りって「音作り」の要素にランダム性が薄いんですよね。人間一人なので。それがすごく好きです。その人の色が見える気がして。もっともわかりやすくその人だけの音なんですよね。

アコギ弾き語りは一旦フォーマット化された音を通るから、「音作り」の要素よりは、作曲の骨と演奏的表現の要素が強くなるじゃないですか。

エレキ弾き語りが「その人の頭の中の世界の色」、アコギ弾き語りは「世界におけるその人の存在の色」といった感じでしょうか。

そういう意味で、その2つは見た目は似てても、全然違うルートなんですよねー。どっちも好きですよ。

どっちも好きなので、アコースティックセットの時は、エレキとアコギのどっちも使う編成にするんですよ。

この方の出す音はなんともドリーミーでした。回転するような。泡のような。素敵な広がりを持ってました。
音の強さや長さによって回転具合が変化するように見受けられましたが、あれはどうやっているんでしょう。


音っていうのは、音楽の手触りの部分ですからね。大切ですよね。
手触りがいいものっていいですからね。例えそれが全くなんの意味もない丸いだけの物体だとしても、手触りさえ良ければ、人間は下手したら購入してしまいますからね。
手触りのためなら数万払えますからね。人間は。これはヒントですよ。「手触り」は文字通りの「手触り」以外の意味も含めてです。

七尾旅人の「サーカスナイト」のカバーをされていました。
以前に青葉市子がやってるのを見て、女性が歌うこの曲もいいなーと思っていたので、なんだか嬉しかったです。
そのどちらでもない独自の寂寥感がありまして、それがとてもよろしかったです。


この方が普段バンドでどんなことをしているのかも気になりますので、sea's lineについてはこれの執筆終了後に聴いてみたいなと思います。


モラトリアム

初めて出会ったのは秋なのに、もう三度目の共演、モラトリアム。
MoritaSaki in the pool全員が曲を覚えてきた今日この頃です。

演奏中気持ちよさそうなのが毎度印象的です。

なんだかいよいよモラトリアムの三人に愛着のようなものが湧いてきました。単純接触効果というやつですね。単純接触効果ってどういう仕組みなんでしょうかね。
調べたことないので適当ですけど、脳が「数回会っても害がなかったというデータ」をゲットするから、とか、脳が「3、4回起きたことは今後もちょくちょく発生する事象」と判断するから、とか、なんかそんな感じですかね。

おそらくそのどっちもで、他にももっと理由があって、しかもそれら全部を内包するもっといい説明があるんでしょうね。

興味が出てきたので後で文献を調べると思います。



モラトリアムの音楽を聴いていて連想した最近の考えたことがあります。

「ミソギ」の感覚の重要性についてです。

なぜ連想するかというと、モラトリアムの音の性質が、光、流動、飽和、波、こういった属性の感じがするからだと思います。

チャリーンヒュワワーみたいな音、何か神道っぽくないですか?


最近、風呂に入る時や家に入る時に強く「ミソギ」の感覚を持つようにしているんですよね。なぜかと言われると、俺は「禊ぎ不十分状態」に弱すぎるのです。ケガれに弱すぎる。不浄属性ダメージ4倍です。

皿とか少し使うとすぐ捨てますし(これは最近治ってきましたが)、何か作業をした後、そのときに着ていた服はもう着れなくなったり、後ひどい時は、夜遊んだオール明けの服は捨てます。
異常に部屋の大片付けを定期的用事として挟む癖もあって、それもその一部ですね。

「時間」の蓄積する感覚も苦手です。気を抜くとすぐに「時間とはケガれの蓄積である」という気分が(無意識下で)起こり、落ち込んだ気分の生活になってしまいます。

この「不浄属性ダメージ大」はドラムの柴田にも共通する弱点で、柴田は図書館の本の劣化部分や、使い古された公共のクッション性のある椅子などに座れません。


「綺麗好き」とは違うんですよ。「ケガれ不得意」なんですよね。
この2つはイコールではないです。

俺と柴田の二人に共通するものとして、自分の使ったものの経年劣化とかは全く気になりません。よくボロボロのカバンとかを持っていて、それは古すぎるから捨てたほうがいいという注意を受けます。

それを言われた瞬間から、それまで気にならなかった「ケガれ値」が爆上がりして、すぐに買い替えます。


「ケガれ」といった言葉を使ったのはこの方が、人間および柴田の事例に馴染みがいいのでそうしましたが、自分自身はこれを「キャッシュ」と呼んでいます。
現金のキャッシュではなく、データ蓄積処理のあれのことのほうです。

「ケガれ」とはつまり「不要なキャッシュの蓄積」です。

これが蓄積していることに気づかないと、慣れてしまって、少しずつ良くなくなっていきます。
「良くなくなっていきます」っていいですね。すごく俺の世界観にマッチしています。俺の生きてる世界レイヤーは減点方式ですからね。

そう、減点方式なんですよね。自分にとってスタート位置の状態が一番美しく、何か不要なものが増えていくたびに、それは染みとして残っていく。

その極限状態になったときによく「全部邪魔だし全部美しくない」とパニックになり家に篭ることがよくありました。

最近それがまた強まってきたところで、「ミソギ」に行き当たりました。


今までそう言葉にしたことはなかったのですが、俺の生活は異常に「ミソギ」重視なんですよ。

「ミソギ」とは「絶縁」です。

絶縁という言葉がミソギと一緒に出てくると、普通なら人間は、そういう意味での「縁を切る」をイメージすると思いますが、絶縁シートの方を思い浮かべてください。絶縁シートに何かを包むのです。

「朝起きたら風呂に入る」「夜寝る前風呂に入る」この二つの行為で、寝る時間を完全に平常時から絶縁し、「いただきます」「ごちそうさま」で食を平常から絶縁する。さらに瞑想で生活時間を細切れに絶縁しています。

丁寧に絶縁してあげないと自分はすぐに雑味がたくさん混ざってしまう。
それを知ってるから、丁寧に絶縁シートに包んであげることで純度を保持します。エンタメとかもあんまり触れないようにします。テレビに布をかけて意識から見えないようにしたり、時計を常時停止させておくなど、一種のパラノイアの域だと思います。

下:布のかかったテレビ
上:電池を抜いてる時計


なにかこれ以上語ると自分の異常生活がバレすぎてしまう気がするので緊急中断します。結論までちゃんといく前に中断してすいません。ありがとうございました。


自分のニュートラルポジションに戻す時に流す曲。自分の一番真ん中の曲を貼っておきます。


The9O$

すごい物を見たという感じがあります。それ以外の感想は逆に浮かばないです。すごいものを見たんだとしか言いようがないです。

目が覚めました。寝ボケてましたよ最近。
ありがとうございます。


今ちょうどひらいた本の文章がちょうど


私たちは毎日、誰かがデザインしたものに囲まれて暮らしている。別の言い方をすれば、生きてゆくということは、いろんな人の“仕事ぶり”に24時間・365日接し続けることだとも言える。そして、「こんなもんでいいや」という気持ちで作られたものは、「こんなもんでいいや」という感覚を、ジワジワと人々に伝えてしまう。
出典ナイショ

という一文でして、まさにそういうことだと思いました。いやー、グルービーですね。タイミングバッチリですよ。

この数日、世界は俺にこのことを気付かせるために回ってたんですね。

「こんなもんでいいや」を強く排除する気持ちを取り戻しました。


クマズのライブからは「こんなもんでいいや」が一切感じられませんでした。全ての瞬間が「こうあるしかない」の連続。なんという密度でしょう。社会に転がる「こんなもんでいいや」な音楽ばかりに辟易していた俺の目を覚ますには十分でした。

俺自身、作品には「こんなもんでいいや」がないように努めてきたつもりでしたが、ライブに対してそうか、と言われるとライブにおいては完全にそうではなかったことばかりに思います。

気持ちを入れ直しました。もぐらさん、さすがです。確かにこれはアカデミーですね。スクールではない。

今から久しぶりにミュージックに入れてる音楽からから刺さりの純度が薄いものを消していく作業に入ります。



このノートって毎度、バンドごとに違う連想をしているようで、実は全部通したら一本の大きな考えの幹に基づいてできてるようになってるんですよ。

ブッキングイベントの楽しみ方ってこうだと思います。「ブッキングイベント」もそれはそれでひとつの作品なんですよね。ブッカーはブッカーというジャンルのアーティストなんですよ。

だから面白いイベントにはイベント全体のグルーヴがあって、その流れの中じゃないと生まれない着想っていうのがあるんですよ。

ブッキングイベントも「こんなもんでいいや」じゃダメですねー。みんなイベント組むのとかタイトルつけるのうまいな〜って感心します。

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