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つくばポタリング#2 牛久、龍ヶ崎辺り。

さて、昨日の雨模様も朝方には上がりましたので、曇天ですが爽やかに春のつくば路を走り出しました。

とりあえず街中を散策がてらポタリングしましたが、都会とは思えない空気感です。

緑が多いのと街中の空間が広いので、爽やかな風を感じて走ります。

左折フリーの交差点もあり、快適なポタリングです。

筑波大学や万博記念の施設など、さらっとみたら、さあ牛久方面にライドです。

大仏様を見ようと考えてまして、MAPに従い走ってたのですが、なんせあり得ないほどの方向音痴なので、またまたやらかしました。

多分知り得る人の中でも筆頭の方向音痴の私です。自分が何処に居てどちらに向かって走ってるのかを理解出来ないのです。

そんな人がよくロードで旅してるね、とお思いでしょう。そう、普段は大きな通りや街道を走るので流石に迷う事はないのですが、細かな道に入った瞬間から、私は誰?ここは何処?

そんな状態になります。そして、かなりパニック状態に陥ります。

本日はこれの繰り返しで、自分でも呆れ返る程でしたが、空間認知能力の欠如は如何ともし難いので、笑うしかありません。

Google先生の言う通り走ってるのに目的地からどんどん外れていきます。しかも自衛隊基地があるらしく、右側にも左にも行けません。

10分ほど走って流石にこれはまずいと引き返して、住宅地を彷徨い右往左往しながら、なんとか目的地に近づいたその時に、突然巨大な大仏様が出現しました。


巨大です。

噂以上のインパクトで、唖然としました。

120メーターの高さがあるそうです。都庁のビルを見てもここまでの威圧感は感じないのに、圧倒されるのはやはり人型だからでしょうか。

まして、顔まであればその存在を意識せざるを得ません。何故これをここに作ったのでしょうか?

詳しくは分かりませんが、浄土真宗の墓地の様です。なにやらこの宗派のパワーを感じますが、そこの所は今回の旅の目的ではないので軽くスルーして、次に行きます。

出身地の茨城県でも行った事のない地域はあります。鉾田や龍ヶ崎は馴染みがなく一度も訪ねてなかったので、今回は龍ヶ崎を訪れる事にしました。

何か有名所があるのかも知らないのですが、枝垂れ桜が知られてるとの事でそこを目指して走ります。

相変わらずの方向音痴君炸裂で、右往左往の連続です。だいぶ遠回りをした様ですが、辿り着きました。

失礼ながら、❓⁉️⁉️

これですか?


龍ヶ崎の枝垂れ桜

既に散ってましたが、これですか?
と言う感じです。有名所で残念なベスト3がありますが、高知のはりまや橋に匹敵すると思いました。

さて、次はどうするかな?

そうだ、龍ヶ崎駅の神社に行こうと閃いたのですが、これもやっちまいました。

そもそも列車を祀ってるのは龍ヶ崎ではなかったし、向かった駅は佐貫駅でした。


JRと関東鉄道の駅です。

JRと私鉄が合体してるらしく、検索したのは龍ヶ崎市駅だったようです。

龍ヶ崎市駅と竜ヶ崎駅があるのを理解できず、同じ道を2度往復すると言う、笑える事をしてます。

五キロ程の平坦な道を走ってると、ほんの数十分前にそこを、走ってる自分がいる事に気ずきます。

どんだけ方向音痴なんだよ⁉️

と、自分に言いたいけど地図を見ながら走ってるのは私ですから、自己嫌悪に陥るだけです。

なので、毎回の事と春の爽やかな風を感じながら関東平野を走る喜びとして、颯爽と走ってます。エッヘン。

さあ、そろそろ筑波に戻ろうかと、帰り道を探してたら、道中に牛久城跡の表記を見つけました。ちょい寄りながら戻る事にしました。

小高い所にありましたが、ほぼ遺構もない様です。


岡見氏のお城跡、牛久城。

岡見氏が治めてたようですが、昔筑波に同名のお客様がいらしたのを思いだしました。ご子孫でしょうか。こんな事を感じれるのも旅の楽しみです。

天気も回復して気持ち良く走っていると、河童の碑へ3キロの看板を発見しました。

あー、イモセンだな。と気づきまして訪ねてみようと左折して牛久沼の方に戻ります。

小川芋銭の名前と実績は知ってましたが、なんとなくこの辺の人だよなくらいの意識だったのです。時間もあるし訪ねてみようとなりました。

お恥ずかしながら呼び名を間違えてました。
正しくは〝モセン〝です。


河童のモセンです。

更にすぐ隣に住井すえ記念館がありました。
茨城出身なのはしってましたが牛久の人とは知りませんでした。


お袋が好きで本棚には〝橋のない川〝がありました。

何やら牛久は偉人を2人もだしているのですね。おそらくこの景色を眺めて創作意欲を掻き立てられたのでしょう。


牛久沼湖畔

今回は常陸の国の西部から南部地域をざっと巡る旅になりました。知らなかった偉人も含め、歴史の楽しさと、知る喜びを得られました。

その土地に行くと地名の由来をググるのですが、その中で龍ヶ崎が伊達藩領だったのを知りました。

伊達氏は県北地域で佐竹氏と何度か戦ってます。結果攻め落とせてはないのに、後に家康からここを拝領したようです。

さて、帰りは珍しく迷う事なく筑波に入れました。ホテルの駐車場にチェックアウト後も停めさせて頂いてたので、そこを目指す時に何度か右往左往はしましたが。

ホテルが見えて来たその時、雨が落ちて来ました。車に着いてロードを載せた瞬間に滝の様な土砂降りです。

間一髪免れましたが、今回は雨の旅と言っても良いでしょう。

風薫る新緑の頃のつくばにもう一度来たいと思いながら、常陸の国を後にしました。








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