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群馬、栃木のお城跡を巡る旅。#1

関東7名城の一つである新田金山城跡に行ってきました。事前に知ってましたが、その石垣は圧倒的な存在感を放ってます。

上の建物は民家の様です。
400〜500年前の物?

この辺は新田氏の地元であり、その後下克上の時代を経て、様々な殿様に変わったそうです。

その中に由良氏が居ましたが、知り合いにこの名前の方がいて、末裔なのかなと考えてしまいました。

少し離れた所ですが、後閑氏(お城跡もあります)も活躍した事を知りまして、この名前にも親近感があります。

なんと会社の大屋さんなのです。

やはり、距離的にも近い(100キロ圏内)ので、東京にも出て来てる家も多いのでしょう。

実はここ太田市はメインのお客様が拠点を構えてる場所です。打ち合わせがてら何度かお邪魔してますが、社長がこちらの出身なのです。

考えてみると、常陸太田出身で大田区に住み、太田市のお客様と実根なのは、何かの縁でしょうか?

因みに、以前会社のあった隣町の武蔵新田は新田氏ゆかりの地です。

この町出身の有名人は新田義貞です。駅前に銅像も建ってました。

しかしもう一人、現代の我々に多大な影響を与えてる人物もいます。

中島知久平その人です。

この地域の農家の長男として生を受けたそうです。

中島飛行機を創業して、その志は現在までスバル自動車として世界的な大企業にまでになり、メンメンと続いてます。

駅前に巨大な自動車工場があり、その存在や史実は知ってましたが、特に興味を持っていた訳ではありません。

時間も早いので次のお城跡に行く前に何か無いかなと、地図を拡大したら、旧中島知久平邸とありました。

宮大工が贅を尽くした作りです。
敷地面積 3000坪

ご両親の為に建てて、今は市に譲渡して管理されてるそうです。

管理人の方にその人となりなどお話しを聞かせてもらい、俄然興味が湧きました。

1人の人間の想いや行動が社会を作り、人々の暮らしまで変えてしまう。そのパワーの凄まじさを感じます。(飛行機製作が全盛の頃は従業員が25万人居たそうです。)

だって太田市はスバルで出来てる町ですし、隣の大泉町にはその為にブラジルからやって来た人達のコミュニティが出来上がってます。

まさに、社会と人々を変えてしまったのです。
企業城下町と言えば他の地域にも沢山ありますが、中島知久平が政治家になったのも大きな要因でしょう。

飛行機から車への辺りの知識がないので、調べてみようと思います。そして、やはり政治家と実業家の生き方に興味があります。

直系の御子息は既にないそうで、スバルとも関係は無いようです。1代でここまでの事を成し遂げても3代続かないのは、歴史が語ってます。

お家を続ける難しさは、昔も今も変わらないのかもしれません。

そんな想いを持ちながら、訪ねた偶然に感謝です。これも出会いでしょう。取り敢えずyoutubeで調べようっと!

お城訪問からズレてしまいましたので、この後は次回にお話しします。






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