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ぶらモリタin三島辺り

箱根越えをロードバイクでした時に〝山中城〝の標識を見て、こんな山の中にお城があるんだ?しかも名前が〝山中〝ってそのまんまやんけーと、ゼーゼーしながら一人突っ込みを入れてたのを覚えてます。

その後調べたら小田原城の支城で、小田原攻めの時に防御の為に作られた事を知りました。

2度ほど入口まで来たのですが、都合が付かず見学してなかったので、梅雨の晴れ間を生かして訪ねてみました。

毎度の前乗りで色々見て回ろうと検索してると、車中泊しようとしてる場所からすぐ側にお城を発見しました。

泉頭城。読み方すら分かりません。
ただ、場所は以前京都から日本橋へのロードの旅の時にここを通り、こんな所があるんだなーとの記憶が残ってました。

柿田川公園と言う場所です。


国道1号線が脇を走ってますが、一歩足を踏み入れならそこは安曇野かとの綺麗な湧水の川でした。

富士山を抱いてる静岡県はずるいですね。
国道1号線の数メーター先にこんな世界があるなんて、他では考えられないです。


富士山からの湧水です。


以前あった繊維工場の井戸跡らしいです。

驚きながらお城跡を探しても見つかりません。駐車場のおじさんに聞いてみたら、ここですよの答えです。

遺構など何も残ってないようです。


家康が隠居地として考えたそうです。


家康が隠居地として考えたらしいのですが、何故か急遽取りやめてしまい、何も残らなかったようです。

この環境を体験したらここで癒されたいとの思いは当然だと感じます。もし、この地に大きなお城が出来てたら、三島の町も変わってたでしょうね。

前乗りした時は車の中でおつまみ代わりにGoogleマップで探すのですが、そう遠くない所に韮崎反射炉があるのを発見しまして、せっかくだから行って見る事にしました。

教科書にも載ってる有名な場所ですが、成り立ちや歴史など何も知りません。

現地で勉強と、車を走らせたら30分程で到着です。


意外と小さいです。

江川英龍 この地の代官様


意外と小さいなと感じました。
ボランティアのおじ様のお話しと資料館で得た知識ですが、この地を治めてた江川英龍さんが作った物の様です。

この方お台場の砲台含め色々海防に人力されたようで、地元の英雄のようです。

それ程の実績はないのに何故かこの施設は残ってる不思議さは、もしかしたら彼の人柄かもと感じます。小さな地方都市からでも国の為に為さざるを得ないとの気概が、人々を動かしたのかと思います。

さて、Googleマップを見てると韮崎城跡のマークを発見。しかもすぐそこです。

これは行かないはずはないです。

実はここでGoogle先生との相性が悪かったのか、なかなか辿り着きません。

先程の江川邸に着いてしまい、殆ど諦めかけた時に、ボランティアのおじさん発見して、教えて貰いました。

なにやらたくさんのstaffがいるようです。

そして、遂に辿り着きました。


誘導看板もなくひっそりかと思いきや、派手に主張してます。
すぐ隣が高校のグランドやテニスコートになってました。


北条早雲が最後の時を迎えた場所との事です。でも、北条家は小田原に移ってしまい、この地はあまり馴染みが無い様に感じました。やはり、江川さんですよ。

少し時間が早いけど、山中城に向かおうと車を走らせてると、蛭ケ島の文字が飛び込んで来ました。

あ、そうか。ここは頼朝の場所だと合点が行き訪ねてみました。


雲に隠れてますが、富士山が見えます。

ここにもボランティアの方が居て、説明してくれました。この地で頼朝は囚われの身として過ごしたそうです。

そして政子と出会っのでしょうか。

2人の間に富士山が綺麗に見えるはずなんですが、本日はお隠れになってました。

ここから三島大社まではそう遠くない距離です。2人揃ってお参りに行った事もあったかも知れません。

そんな空想をしながら、いよいよ山中城跡を目指します。時間はまだありますが、朝一から動いてるので、結構お腹(心の)一杯気味です。

なので、メインの山中城は次回で。

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